第18話 説得


「あの、何が言いたいんですか」


 いつきへの不信感を隠そうともせず、アヤナが言う。


「うまく言えないんだけどさ、死んだ後の世界って、生きている人間にはどんなに頑張ってもわからないのよ」


 神主のくせに、とでも言いたげな目で、アヤナがこちらを見ている。


「いろんな宗教で、いろんなモデルが示されているけど、死後の世界自体、あるかもしれないし、ないかもしれない。……だから、そんな不確かなもののために、現世で命をかける必要はないんじゃないかな。おいしいものを食べたり、たっぷり寝たり、楽しい映画を観たり、好きな音楽を聴いたり。そういうことを我慢してまですることじゃないし。もし死後の世界がひどいところだったら、我慢するだけ損じゃない」


「でも」


 いつきの耳の裏にうっすらと、「お前は醜い」「ぶくぶくと肥え太って」と聞こえた。


 はかなげなくせに、人を見下したような調子の声。パイドパイパーだ。


 一瞬周りを見回したが、これはアヤナの記憶の声だ。

 パイドパイパーとじかに会話をしたことがあるのか。


「あなたは、醜くなんかない」


 アヤナの目を見て、いつきは一語一語はっきりと言った。

 フードの下から、アヤナの大きく見開いた目がこちらを凝視している。


 大きめのフリースの上からでもわかるが、アヤナは誰が見ても痩せ型だ。

 けれども本人は、他人から「太っている」と言われれば、そう思い込んでしまうだろう。


 自尊心を打ち砕くには、容姿をけなすのがいちばん手っ取り早い。

 あくまでも主観的な基準だから、批判するのに客観的事実は不要だし、本人も反論できる根拠がないからだ。


「アヤナちゃんで『肥え太って』たら、世の中の女の子全員そうよ。アヤナちゃんは細いし、スラっとしててうらやましい」


 しかし、彼女は露骨に顔をしかめた。

「知らないんですか? 最近は、相手の容姿を云々言うのはセクハラなんですよ」


 確かにそうだ。いつきは素直に頭を下げた。


「そうね。ごめんなさい。……でも、それだったら、パイドパイパーだってアヤナちゃんにセクハラしてるじゃない。『お前は醜い』だの『ぶくぶくと肥え太って』だの」


 いつきの言葉を、アヤナがさえぎる。


「なんで知ってるの? あたしがパイドパイパーさんに言われたことを」


 それは……と答えかけていつきは逡巡した。

 アヤナは、怒っているというより怯えているように見える。盗聴やハッキングを疑っているわけではなさそうだ。それなら。


「聞こえたから、さっき。『お前は醜い』、『ぶくぶくと肥え太って』って」


 え、とつぶやいて、アヤナが肩を丸める。


「二十代前半くらいの、色白で栗毛の男。人を人と思ってないみたいな雰囲気。……見えたの。アヤナちゃんの後ろに」


 アヤナが後ろを振り返る。が、白み始めた空を映す川面が広がっているだけだ。


「本当は、嫌なんだよね? 醜いってけなされること。だからパイドパイパーから少しでも評価されたくて、腕に#092って刻む課題もためらいなく切った。でもそれは、また怒られたくないから。褒められたいから」


 アヤナが唇を噛む。


「アヤナちゃんはかわいいし、努力家だよ。何回だって言うよ。自信持って……」


「だから!」


 アヤナが上半身を折って叫ぶ。


「そんな口先だけで褒められたって、腹立つだけだし!」


 しまった。あせるあまり、アヤナの心を無理矢理開かせようとしていた。

 いつきは続きの言葉を発せられないまま、口を開いて彼女を見た。


 正論はときに相手を傷つけるし、アヤナにとって自分は通りすがりの人間だ。いきなり深いところまで関われるだけの下地がない。


 実力のある宗教者なら、目を見て「大丈夫」と言うだけで初対面の相手を納得させられるのだが、それだけの厚みは、いつきにはない。


「……ごめんなさい。口先だけのつもりじゃないのよ」

 素直に頭を下げると、頭上に声が飛んできた。


「じゃあ、ほっといて!」


「ほっとけないよ」


「赤の他人でしょ」


 敵対のまなざしを向けてくるアヤナに、起き直ったいつきは静かに言った。


「他人じゃないよ。少なくとも私はそう思えない」

 いつきの本音だった。つくろう暇もなかった。


「自分が出会う人、特に偶然関わることになった人は、出会うべき人だったんだと私は思ってる。たぶん、前世とかそういうところでちゃんと関わることができなかったから、もう一度チャンスが与えられたんだと」


 ああ、まずい、絶対におかしい人だと思われている。けれども、いつきは正直に言った。


「だから、アヤナちゃんが気になるの。これは単なる私のわがまま。でも、後悔したくない。だからお節介焼かせて」


 アヤナの目が泳いだ。拍子抜けしたような顔をしている。

「なにそれ。変な考え方」


「でも、正解か不正解かは誰にもわからないでしょ。じゃあ、アヤナちゃんはもしかしたら前世で私の恋人だったかもしれない」


「やめてよ、キモイ」


「キモイね、確かに。じゃあ、前世で兄弟だったかもしれない。……だから、心配するくらいは許してよ」


 もう帰ってもいいですか、というアヤナに、いつきは「じゃあ一つだけ」と粘った。


「左手を出してくれる?」

 アヤナが警戒したまま、距離を保って左手を差し出す。


「まず、その左手をしっかり見て。指の形、手相の皺の一つひとつまで」


 上目遣いに様子をうかがっていたアヤナが、しぶしぶ視線を左手に向ける。


「……じゃあ今度は、手と目を動かさずに視線だけ地面に焦点を合わせて」


 由良から教わった、霊視の訓練法だ。

 何となくだが、アヤナの目は普通の人と違うような気がする。


「はい。じゃあ、手と地面を同時に見て」


 アヤナの目の瞳孔が開く。びくり、とその肩が動いた。

 やはり、彼女は見えている。


「ちょっとごめんね」


 そう言っていつきは、アヤナの左手のひらに浮き上がっていた、黒い靄の塊をつまんだ。

 テニスボールほどのそれを、川へと投げる。靄は川面に落下する前に霧散した。


「何、今の」


 アヤナが靄が消えたあたりを凝視する。


 目千両とはこういうことかと思うほどアヤナの瞳は印象的だったが、やはり第三の目があったのだ。


「さっきの靄は、平たく言うと『魔』かな。気分が暗かったり、よくないことを考えていると、空気が澱んで棲みつくの。逆に、あれを取れば気分が晴れる。神主がするお祓いは、魔を取り除いているの」


 やはり、自分の目で見たものに対するインパクトは大きい。


 アヤナが初めて、いつきの言うことを素直に納得してくれたようだ。

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