第19話 お祓い

「アヤナちゃんには、あの黒い靄と同じのが、まだたくさんついてるの」


 え、と言ってアヤナが両手で肩や腕をはらう。


「大丈夫、大麻おおぬさを持ってきてるから、後で全部取るね。……でも、パイドパイパーの課題を実行していると、またあれにびっしり憑かれちゃう。睡眠不足や暗い気持ちや自己卑下が大好きな連中だから」


 アヤナがうつむき加減になり、パーカーのフードで顔が陰った。


「だから……もう#092のゲームからは抜けて欲しい」


 黙ったままうつむくアヤナの返事を、いつきは根気よく待った。


「でも……途中で抜けることは許さないって。それは幽世かくりよで幸せになることを目指して他人のために尽くしているパイドパイパーさんを侮辱することだって。だから、どんな手を使ってでも正しい道に連れ戻す、幻覚、幻聴、現実世界での個人特定、追い込み……何でもするって」


 じっと聞いていた康博が、おずおずと話しかける。


「あの、ちょっといいですか。……僕も、#092から抜けたくて、でも抜けられなくて、すごく怖かった。今はまだ、続けているふりをしているけど、辞めるってきっぱり言うつもり」


 アヤナが康博の方をちらりと見る。

 彼は視線を合わせるのが恥ずかしいのか、微妙に目線をずらして続けた。


「僕はあの課題をこなしているうちに、本当は死にたいんじゃない、一度死んだつもりになって生まれ変わりたかったんだって気づいた」


 アヤナがかすかにうなずいたのを、いつきは見逃さなかった。康博が続ける。


「でも、リセットしたって、もう一度人生が始まる保証なんてない。……死ぬのは怖いよ。それだったら、もがきながら生きた方がましかもしれない。そう思うようになったんだ。それはたぶん、お節介を焼いてくれる昔の友人とか、その姉の神主さんとかがいて、まだこの世界でやっていけそうだって感じられたから」


 そんな風に康博が感じてくれていたことに、いつきの方が逆に救われた気分になる。お節介をして踏み込んだことを、申し訳なく思っていたから。


「だから、あなたも一緒に辞めようよ。現実世界での個人特定は、警察に相談したりして何とかなるよ。超常的な方は……こちらの神主さんが守ってくれるから」


 康博がいつきを手で指し示す。

 実を言うと、そこまでの実力はないのだが、溺れている人が自分がつかんでいるのは藁だと気づいたら、また溺れてしまう。揺るぎない木のふりをしなくては。


 極力自信たっぷりに、いつきは言った。

「そちらの方は、頼ってくれて大丈夫。だから、もしパイドパイパーのことを完全に信じ切れなくて、少しでも彼の言動に反発を覚えているなら、もうあの課題には手をつけないで」


 アヤナの目が泳ぐ。

「少し……考えさせてもらえますか」


 あせってはいけない。時間はまだある。期限まで、あと一週間。


「わかった。とりあえず、今アヤナちゃんに憑いてるよくないものを取らせてもらっていいかな。すぐ終わるから」


 背負っていたリュックサックから、袋にいれた大麻おおぬさを取り出す。

 軽く振って紙垂しでを整える。さわさわと紙ずれの音が、川の流れる音と一緒になって響く。


 姿勢をただして、アヤナの正面に立つ。

「お祓いをしますので、頭を下げてもらえますか。できれば、フードを取って」


 アヤナがフードを下ろす。肩まである髪が現れ、風になびく。

 やはり、印象的な目だ。大きくて、アイラインを描いていないのに縁取りでもしたかのようだ。


 いつきが目で促すと、アヤナは素直に頭を下げた。

 小さな声で祓詞はらえことばを唱えると、彼女の体から黒い靄が浮き上がってきた。一部は体に食い込んでいる。


 奏上し終わると、呼吸を整え、腹の中に光の玉があると観想する。その光の玉を、大麻おおぬさを持つ両手へと移動させる。大丈夫、あれを祓うことができる、と自分に言い聞かせながら。


 いつきは精神を集中させ、アヤナの後ろに誰もいないことを確認すると、大麻おおぬさを左、右、左と、鋭く振った。

 シャッシャッという音とともに、目には見えない旋風が生まれ、アヤナの体についた黒い靄を体から切り離し、遠くへ飛ばす。

 動力源である気の核を持たないただの靄は、川の水や草木で浄化されるだろう。


『そんなことで僕に勝てるのかな?』


 いるはずのないパイドパイパーの声が聞こえ、思わず身構える。


 アヤナの左肩に残っていたドロドロとした黒いものが、パイドパイパーの顔の形になる。


『代わりの何かを与えてあげることもできないくせに』


 頭だけだった黒いものが、上半身を形作る。


『君も、楽になればいいじゃん。望んで神主になったわけじゃないし、本当は他人の人生を引き受ける重圧から逃げたいんだろう?』


 少しは思い当たるだけに、いつきは耳をふさぎたくなった。


 落ち着くのだ。これはただの悪い気の塊で、パイドパイパーの分身ではない。

 自分の中の負の感情に連動して、痛いところを突いてくるだけだ。


『せっかくキスして、君の中に入れてあげたのに。どうして取っちゃったの?』


 思わず唇を噛む。由良が取ってくれた、奴の気の核。


 あれを残したままにしておいたら、自分にもこの黒い塊が取り憑いて、嫌なことを言い続けたのだろうか。


 いつきはありったけの力を込めて、大麻おおぬさを振った。振りすぎて紙垂しでが一本取れた。


 パイドパイパーの形をした黒い塊は、吹き飛ばされて川の方へ飛んでいった。

 塊はぼろぼろと崩れていき、川に沈んだ。

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