第20話 約束
アヤナについていたパイドパイパーの気の塊は、大して強くなかった。
ということは、アヤナはじかに植え付けられたわけではないのだろう。いつきがされたように。そのことに少しだけほっとする。
流れる水をしばらく眺め、あれが浮かび上がってこないことを確認すると、いつきは溜め息をついた。ひとまず祓うことができた。
「お直りください」
声をかけると、アヤナが顔をあげた。心なしかすっきりした表情だ。
「ちょっと肩こりが治ったかも」
左肩をぐるぐると回している。あれがずっと憑いていたのなら、肩もこっただろう。しかも、パイドパイパーからの課題をするたびに、悪い気が増幅してしまう。
「……何かあったら、いつでも穂積教本院に来て。大抵神社にいるし、夜は隣の自宅にいるから。あと、これ連絡先」
携帯電話の番号とメールアドレス、LINEのIDを書いたカードを渡す。彼女はためらいながらも受け取ってくれた。
まだ警戒されているようなので、彼女の連絡先を訊ねるのはやめておく。
「あ、でも、アヤナちゃんから連絡してねっていうのはハードル高いか。じゃあ、明日の朝、もう一回ここで待ち合わせよう」
え、とアヤナが口ごもる。
「明日って、ちょっと早い……」
よく考えたいのだろう。
人間は何かを辞める場合、今までかけてきた時間や労力がもったいなくて決断が鈍ってしまう。
とはいえ、あまり時間をあけてもよくない。期限がせまっている。
「じゃあ、明後日。明後日の朝、この時間に、ここで待ってる」
アヤナからの返事はなかった。冷たい風が吹く。
ポケットに名刺カードを入れて、アヤナが軽く会釈をしてくる。
フードをかぶり直して立ち去ろうとする彼女に、「待ってるから!」と念を押す。
まだ暗い遊歩道を懐中電灯なしで歩くアヤナの後ろ姿は、濃いグレーのパーカーが闇に紛れてしまって、ひどくはかなげに見えた。
アヤナと別れたあと、いそいで神社に戻ったいつきは、朝拝の前に由良へLINEでメッセージを送った。
『由良、朝拝の時間にごめん。緊急事態! 私も由良みたいに、電話から遠隔でお祓いできるようになりたい、というより、ならなきゃいけないの。訓練法を教えてください』
アヤナに頼ってもらえたとして、肝心の自分が役立たずではしょうがない。
視点切り替えの訓練で、かなり見えるようになったとはいえ、護身法も、遠隔での祓もできない。やはり由良の言うことを聞いて、早めに訓練しておくべきだった。
悶々としながら午前中のお勤めを終えたところで、由良から返信があった。
『今日、お勤めが終わったら、うちに来て。できれば、泊まりの予定で』
明日は土曜日で、外祭で氏子さんの三年祭が入っている。父が赴くから、その間三時間ほど、いつきが神社にいなくてはならない。
そうでなくても休日は、近くにある有名な神社のついでで参拝者が多い。神社を空けることはできないだろう。
何とか外祭の始まる十時までに帰ってくれば、と計算をしながら自宅の台所で昼食を作り、お盆に乗せて社務所へ持って行く。
参拝者が途切れた隙を見計らった父が、社務所に入ってくる。神職は、
「お父さん……じゃなくて管長。明日なんですけど」
電話のベルが鳴り、話がさえぎられる。
儂が出る、と言って電話機の近くにいた父が受話器を取る。相手は氏子さんらしい。しばらく話したあと、「お大事になさってください」と言って電話を置いた。
「明日の川谷さんの三年祭、延期だ。子供さんとお姑さんがインフルエンザだそうだ。周りに感染したらいけないからと。来月の第一日曜で調整するそうだ」
「十一月で、もうインフルエンザ……」
「まだ予防接種も打ってなかったんだろうな。我々もそろそろ予防接種に行かないと。年末年始は絶対に休めないぞ」
流しで手を洗った父が、振り返る。
「話の途中だったな。明日、なんだっけ」
「あ……。今日の夜から明日の午前中まで、出かけたいので休みをもらえれば、と。ちょっと由良さんに急用があって」
由良は何度かうちに遊びに来たし、有名な神社の跡取りだから父も知っている。
「ああ、なるほど、『呼ばれて』いるのか。それでちょうど。……大事な用なのだろう。行ってきなさい」
父は勘づいている。
由良に限らず、神社関係者の間でどうしてもはずせない用事ができた場合、なぜか他の予定がキャンセルになって、支障なく出かけられる流れになることがある。
おそらく、神様に呼ばれたか、力の強い者が手を回しているのだ。
インフルエンザにかかった川谷さんには申し訳ないな、と思いながら、いつきは父に礼を言って頭の中で段取りをした。
その日は大きな問題もなく、閉門する五時前にはぴたりと参拝者も途絶えた。
今日の晩ご飯当番は鈴だから、心置きなく出かけられる。
いつきは、お土産の地酒と栗と、お供えの油揚げを持って車に乗り、京都の由良の元へと急いだ。
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