第33話 アヤナの記憶
身体が思うように動かない。体内に、自分以外の何者かがいる。
そうか、アヤナの魂の
アヤナは、時が止まったかのように、ただそこにいた。怒りも悲しみも、再生途中で一時停止されてしまったかのように、感じ取れなかった。
これが、由良の言っていた「自殺者の魂は時が止まっている」現象らしい。いつきはそっと、アヤナの魂を抱きしめた。
彼女の過去の記憶が流れ込んでくる。未来は止まっているが、過去を読み取ることはできるようだ。
高校の制服を着たクラスメイトたちがいた。教室での、休み時間中のおしゃべり。いつきは、過去のアヤナの中にいて、彼女の目を通してそれを見、感情に同調している。
斜め後ろから話しかけられて、振り向く。声がうまく聞き取れない。唇の動きと合わせて意味を推測しようとしているうちに、「ねえってば」と返事を催促される。
「ん?」
聞き返す意味も込めて首をかしげたが、彼女は「あっそ」と言って立ち去った。別の子に話しかけ、ノートを借りている。休んでいた間のノートを見せて欲しかったのか。悪いことをしてしまった。しょんぼりしているうちにチャイムが鳴って、みんなが慌てて席に着く。
前の席の男子が、お菓子をコンビニの袋に戻して机の中に突っ込む。しかし、袋をガサガサ言わせる音がまったく聞こえない。どうやら、高い音は聞こえにくいらしい。
先生の授業も、ところどころ聞き取れない。何とか聞き取ろうと神経を集中させると、人一倍疲れてしまう。補聴器も持ってはいる。が、頭が痛くなるし目立ちたくないから、できるだけ使いたくない。
インターネットで調べたら、幼少時に治療を開始していれば、かなりましになったはずだと書いてあった。親がもっと早く気づいてくれていれば、と思う。
父は仕事人間だし、母もアヤナが小学校に入ると同時に再就職した。娘にさく時間は少なかったし、合理主義の母は「耳が聞こえにくいから友達とうまくコミュニケーションを取れない」と打ち明けても、「耳鼻科に行ってきなさい」と保険証とお金を渡したり、聞こえがよくなる体操の本を買ってきたりするばかりだった。
解決法を提示しようとする母は正しい。けれどもアヤナは、「今自分がつらい」ということを理解して欲しかったのだ。
スマートフォンを買ってもらってから、アヤナはSNSに夢中になった。
特に、匿名で使えるTwitterは性に合った。媒体が文字なので、聞こえなくても大丈夫なのが安心できた。
学校で、女子の集団がこちらを見ながらひそひそ話をして笑っている。きっと悪口を言われているのだろう。アヤナは自分の席で拳を握りしめ、唇を噛んだ。親指の腹に食い込んだ爪先が痛い。
『もうやだ、死にたい』
どうせ個人的にやりとりするフォロワーもいないしと、軽い気持ちでTwitterにつぶやいた。意外にも、いくつかのレスがついた。
『大丈夫? 話聞くよ!』
『死んじゃだめだ! おいしいものでも食べて、気持ちをゆったり持って!』
『かわいそうに、死にたいほどつらいんだね』
ネット界隈では、味方であるように見せかけて女性を誘い出す手口が横行している、というのはアヤナも知っていた。
それでも、話しかけられているのに無視するのは悪いので、「励ましてくれてありがとうございます」といった意味の返信をした。
最初の男性は、「無理しないでいつでも愚痴って」などと言いつつ「どこ住み?」と聞いてきた。過去のツイートをたどると、弱っている女性とおぼしきアカウントにやさしげな言葉をかけて誘い出している常習犯だったので、適当に煙に巻いた。
二番目の人は、ときどきツイートに「いいね」を押していた猫好きさんだ。
いつも「いいね」をくれる人が愚痴っていたから、励ましてくれたのだろう。お礼をツイートすると、「このかわいいニャンコで癒やされて!」と土鍋に入った猫の写真付き返信が来た。
三番目の人には、「他の人のつらさに比べたら大したことないです。明日には復活します!」と返信した。
『君は我慢強いんだね。つらいときはつらいって言っていいんだよ』
すぐに来た返事に、アヤナは逆に警戒した。
励ますというより、つらいと認めるよう強いている気がしたからだ。どうせ悩み相談の押し売り系かナンパ系の人なのだろうと、その人──パイドパイパーのページを見た。
パイドパイパーというアカウント名の由来は、ハーメルンの笛吹き男らしい。
プロフィール欄には、「
過去のツイートは、つらいと思うことは駄目じゃないとか、同じく死にたいとつぶやいているアカウントへの声かけが多かった。そういうことを発信するのが「神官としてのつとめ」なのだという。
その日はこれ以上のやりとりをしなかった。しかし、パイドパイパーはアヤナによくTwitter上で話しかけてくるようになった。
『おはよう。気分はどう? 学校行けそう?』
『心がつらいときは、流れている水のそばや、大きな木の近くへ行ってみて。いい気をもらえるから、少しでも楽になるよ』
『近くに神社はあるかな? 手前味噌だけど、神社にお参りすると、すがすがしい気分になれるから行ってみて』
学校でも孤独で、母は常に結論や解決策を求めるので単なるおしゃべりもできない。そんな中でパイドパイパーは、ちょっとした雑談を交わせる貴重な相手になっていった。
ツイートではなく
パイドパイパーが、アヤナの日常の一部になり始めた。
そして、「つらい」と言うと一層やさしくしてくれるから、つい大げさにつらいアピールをするようになってしまった。
中間テストの成績が悪いと、母にしかられた。
「だって教室の後ろの席だから、先生の言ってることが聞こえないんだもん!」
「じゃあ、事情を言って前の席にしてもらいなさいよ。聞こえにくいことを理由にしないで。大体アヤナ、耳鼻科もサボってるでしょ」
「元はといえば、お母さんが小さい頃に気づいて治療してくれていたら、こんなことにはならなかったんじゃないの! 全部お母さんのせいよ! 責任取ってよ!」
しかし母は、「確かに母さんも悪かったけど、自分の弱さを他人のせいにするな!」と一喝した。
『もうやだ。本当に死にたい』
DMではなく、ツイートでそう言った。
ベッドで泣きながらうずくまっていると、通知音が響いた。パイドパイパーからのDMだった。
『アヤナちゃんには現世で幸せになって欲しかったから勧めなかったけど、もし本当に死にたいのなら。
何人か、どうしてもつらくて死ぬ以外の方法が残されていない人にそれを教えて、僕もしんがりとして
死にたいというより、その死ぬ手順を教えてもらうことでパイドパイパーと連絡を取り合えることの方が、アヤナにとって大事に思えた。反射的に返事をした。
『私も行きます』
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