第13話 脱引きこもり

「まったく、冗談にもほどがありますよ! 真榊はともかく、お姉さんまで」


 応接室の机を挟んで、いつきと鈴は康博の説教を聞く。


「まあまあ、何事もなかったわけだし。ほら、画伯、ピザ食べてよ。三人前頼んだからさ」


 鈴が、机の上のピザを康博のそばへと押しやる。先ほど配達されてきたピザが、おいしそうなにおいを漂わせている。


「いや、僕は菜食主義で」

「うそ、弁当バクバク食べてたじゃない」

「いつの話だ。今は食べないの! ほっといてくれよ」


 ヘソを曲げてしまったのか、パイドパイパーの課題が気になるのか、康博は食べようとしない。


「でも画伯、あたしのこと心配して来てくれたんだよね。ありがと」


「心配するなという方が無理だろうが! 真榊、悪ふざけがすぎるぞ。俺はてっきり、あいつが来たのかと」


「パイドパイパー?」


 いつきと鈴が同時に言うと、康博は顔をこわばらせた。


「……俺、あいつの名前まで言ったっけ。しかもなんで」


 康博が、いつきの方を見て顔をしかめる。


 鈴から又聞きしていたことがわかったら、きっと怒るだろう。彼は鈴を信用して話したのだから、本来他人に明かしてはいけないことだ。


 しかも、いつきは康博の「助けて」という心の声を聞いている。あのときの気まずさもあって、さらに心を閉ざしてしまうだろう。


 いつきは何とか場をつくろおうとした。


「実は今、パイドパイパーについて調べているの。知り合いの女の子が、パイドパイパーの変な企画──#092っていうの? あれを実行していて、ちょっと危ない状況で。それで鈴に相談したら、もしかしたら康博くんが知ってるかも、って」


 康博が、今度は鈴の方を見る。Twitterアカウントを特定していることは、伏せた方がいいだろう。


「こないだチャットで、『笛吹男が来たりて笛を吹く』って言ってたじゃん。パイドパイパーって、ハーメルンの笛吹男のことでしょ? お姉ちゃんが探してるパイドパイパーと同一人物かなと思って」


 悪びれもせず鈴が言う。

 いつきは机に手をついて、頭を下げた。


「康博くん、お願い! 協力して! この間、パイドパイパーがうちの神社に来て宣戦布告していったの。二週間以内にその女の子――アヤナちゃんを助け出さなければ、自殺するように仕向けるって」


 康博自身の状況を根掘り葉掘り訊ねて援助を申し出るより、こちらが助けて欲しいと頼んだ方が、彼のプライドも保てるだろう。

 実際、いつきには助けが必要だった。


「あいつ、来たんですか」


 頭を下げたままのいつきの耳に、康博のおびえた声が届いた。


「やばいよ、僕んちの近くじゃん。もう特定されたかも。いや、されてる。僕も自殺するよう仕向けられちゃう」


 軽くパニックを起こす康博を、鈴がなだめる。


「大丈夫だって。画伯が気をしっかり持ってれば、自殺なんてしなくてすむでしょ」


「あいつ、特殊能力を持ってるんだよ。他人の心の中に入り込めるって言ってた。催眠術みたいに相手を操作できるし、言ってない情報も心から直接読み取ることができるって。だから逃げ隠れしても無駄だって」


 そんなわけないじゃん、と笑いながら言う鈴を、いつきは制した。


 軽々しく否定してはいけない。

 実際、パイドパイパーはマインドコントロールをしようとたくらんでいる。それを、人間の心理を熟知して弱みにつけこんでいると取るのか、霊力のような説明できない特殊能力と受け取るかの違いだ。


 それに、奴はいつきに気の核を植え付けていった。ということは、ある程度相手の「気」を操作できるはずだ。


「そうだね、康博くんの言う通りかも。あいつ、結構強い」


 いつきが言うと、康博はかすかに安堵したような、怯えるような、複雑な表情を浮かべて、いったん落ち着いた。


「奴の能力を、便宜上『霊力』って言うね。霊力って電波によく似てるの。だから、ネットとか電話はすごく親和性が高い。チャットで文字を交わしたり、Skypeで話したりすることで空間をつなげると、パイドパイパーの持つ霊力に影響を受けてしまう」


「じゃあ、どうすれば」


「いちばん簡単なのは、接触しないこと。メッセージを見ない、通話をしない。それと、きちんとご飯を食べて十分な睡眠を取る」


 考え込んでいた康博が、口を開く。


「……無理ですよ。メッセージにすぐ反応しないと、ペナルティが課される。本人を特定しているから、必ず見つけだして追い込む、何なら家族も巻き添えにするって」


 そのとき、携帯電話の振動する音がかすかに聞こえた。

 康博がズボンのポケットに手をやる。


「康博くん、見ないで」


「そういうわけにはいきませんよ」


 条件反射のようにスマートフォンを取り出し、ロックを解除する。


「僕だけならともかく、親に迷惑をかけるわけにはいかないので」


 画面を確認すると、彼はすばやく右手を動かした。返信しているのだろう。

 送信し終えたらしく、再び携帯電話をポケットにしまう。


 いつきは、心の目のフィルターをはずして康博を霊視した。やはり携帯画面から黒い靄が立ちのぼり、彼の首にからみついている。


「でもね」

 深呼吸してから、いつきは言った。


「パイドパイパーの言うことを聞き続けていたら、最後は本当に自殺することになるよ。その方が、おじさんやおばさんにつらい思いをさせることになるんじゃないかな」


 康博が唇を噛む。

「でも、どうすれば……」


 黒い靄が、康博の健全な思考能力を奪い取っている。

 いつきは「ちょっと待ってね」と言って立ち上がり、神殿から大麻おおぬさを取ってきた。


「さっきメッセージを見たから、パイドパイパーから送られてきた悪い気が、康博くんに憑いちゃってる」


 鈴が苦笑いをしているが、いつきは「方便だから」とでも言うように目配せして、机を挟んで康博の向かいに座り直す。


「ちょっとお祓いするね」


 いつきは大麻おおぬさをさわさわと軽く揺らすと、康博に軽く頭を下げるよう告げた。


 つむじの見える彼の頭上をかすめるように、大麻おおぬさを左、右、左と振る。

 紙垂しでがシャッシャッと音を立てるたびに、悪い空気が祓われて、康博の回りが清浄になっていく。


(よし、取れた)


 携帯電話越しに飛ばされた気だから、弱い。いつき程度のなんちゃって霊力でも何とかなった。

 それに、霊力の無い神主でもマニュアル通りにきちんとお祓いをすれば、大抵のものには対処できるのだ。


「どう?」

 いつきが声をかけると、康博が驚いたように顔をあげた。


「あ……なんか楽です。さっきまで、苦しくて息がうまく吸えなかったのに」


 本物の神主にお祓いを受けたからという自己暗示もあるのだろうが、偽薬効果プラシーボだろうとなんだろうと、相手がよくなればいいのだ。


「よかった、取れて。気分も軽くなったでしょ。でも、またメッセージ見たら憑かれちゃうから、できればもう……」


 いつきが言い終わる前に、康博が絞り出すような声で叫んだ。


「助けてください!」

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