第22話 開眼
どうやって山の中のお堂から戻ってきたのか、いつきは思い出せなかった。
登山口のそばで、由良が車で待っていてくれたことは断片的に覚えている。
おそらく、由良が自宅まで連れ帰ってくれたのだろう。
「お風呂入る?」「何か食べる?」と聞かれても「寝る」としか答えず、「ちょっといつき、ここで寝ないで」と言われたところで記憶が途切れている。
体があたたかい。
由良が毛布をかけてくれたらしい。
もう少しだけ寝させて、といつきは思ったが、まわりが騒がしくて眠りに落ちることができない。
「起きないね」
「顔に落書きしてやろうか」
どうやら自分のことを言っているらしい。
早く起きないと、顔に落書きをされてしまう。由良のことだから、油性ペンで書くかもしれない。
「太鼓叩いたら起きるんじゃない? 寮の起床のときのやつ」
学生寮は、神道学科のある大学らしく神殿があり、朝と夕方に必ず拝礼があった。
朝拝に間に合うよう、起床の時間には全館放送で太鼓の音が流れた。太鼓当番は生徒が順番に行うのだが、ときどきふざけて祭り囃子のように叩いたり、ロックバンドをまねてビートを効かせたりして、寮母さんに怒られたものだ。
「寝させてあげようよ。疲れてるだろうし」
聞き覚えのあるこの声は、誰だろう。
そうだ、大学の同期の三木よし子だ。由良が呼んだのかしら。
いつきが重いまぶたを開けると、由良とよし子がこちらをのぞき込んでいた。
「あ、起きた!」
「いつきちゃん、おはよう」
口々に声をかけてくる。
体を動かすと、固まっていた背中が痛んだ。
倒したクッション座椅子の上に寝かされ、毛布が二枚かけられている。ふと見ると、座椅子のすぐそばの畳に、お菓子やジュースが置かれている。
「お供え、お供え。真榊大明神に」
由良が、こちらに向かってふざけて柏手を打つ。
「もー、やめてよ。……でも、喉渇いたから、もらっていい?」
体を起こして座椅子の上に正座し、いつきはオレンジジュースに手を伸ばした。
ぼんやりする頭で二人を見る。視界がまだ定まらず、まばたきをしながら焦点を合わせる。
由良の頭の上に、まっすぐな光の柱のようなものが見えた。
かなり強烈な光で、彼女の霊力の大きさがうかがえる。
どうやら「目」は、ちゃんと開いたようだ。
だとすると、よし子のこれは、どういうことだろう。
三木よし子には、黒い靄がべっとりとまとわりついていた。
よく見ると、いくつかの塊に分かれており、左肩から体に食い込んでいるものもある。
「びっくりしたでしょ。これでもギリギリのところで調節してるのよ」
よし子がほほえむ。
不躾にまじまじ見ていたことに気づいて、いつきは視線をそらした。間をもたせるためにオレンジジュースを飲んで、喉をうるおす。
「調節って?」
よし子が笑みをたたえたまま口を開く。
「私ね、親が新興宗教の教祖でしょ? ときどき、信者さんに憑いた悪いものを取ってあげてるの。でも、神職ならわかると思うけど、祓うって、ほら」
よし子は、いつきが畳に置いたジュースのペットボトルを持ち上げて、脇へ動かした。
「目の前にあったものを、どこか別のところへ移動するだけなのよね。だから、目の前はきれいになっても、悪いもの自体はなくならない」
そう言って、ペットボトルを小突く。
「でね、うちの親、悪いものを遠くへ流しているつもりなんだけど、それがなぜか私のところに来るの」
え、と言ったきり、いつきは言葉を失った。
「私もある程度は跳ね返せるんだけどね、私が拒絶しちゃうと、悪いものを流せなくて、信者さんの依頼を叶えられないの。だから、いったん引き受けて、自分で浄化してたんだけど、もう追いつかなくなってきて」
よし子の親は、そのことを知っているのだろうか。
「よくある話だ。除霊をする霊能者の家族には、体が不自由だったり病気だったりする者がときどきいる。大抵、知ってか知らずか、悪い気を家族に流しているのだ。血縁者にはつながりやすいからな」
由良が渋面で言う。
「大学のときは由良ちゃんが、学内の
由良はそんなことまでしていたのか。
今更ながら、いつきは自分の友のすごさに驚く。
「大学の気を利用した仕掛けだったからな。平たく言えば、悪い気が来たら自動的に祓戸神社に転送する仕組みだ。……卒業するときに、悪い気を濾過する仕掛けも作ったが、あれは壊れたのか」
「ううん、自分で取った。濾過できないような大きな依頼が入ったから」
あー、と由良がうめき声をあげる。
「自分の体の方が大事だろう。また作ってやるから、いつでも言えばよかったのに」
「あれくらいなら何とかなると思って、つい」
眉をハの字にしてほほえむよし子は、昔から自己犠牲が強いというか、苦労を苦労と思わないタイプだった。
神道学科の有志で、修験道の奥駆体験に行ったことがある。
険しい山道をひたすら駆け、危険な岩肌ものぼるコースで、疲れと空腹からみんなぐったりと黙り込んだり、不機嫌になったりしていた。
そんな中、よし子だけは「大丈夫?」と周りに声をかけ、体の不調の訴えや泣き言に耳を傾け、脚や背中をさすってあげていた。
極限状態でも他人に気遣いができたのは、幼少時から親に、教祖一族としての心がけや振る舞いを叩き込まれたからだろう。
そのあたりは、既存宗教よりも新興宗教の方が信者に寄り添っていると、いつきは感じる。
由良がこちらを向き直る。
「ちょうどいい。いつき、まずよし子に憑いている悪い気を取り除いてみろ」
いきなり実践ときた。由良は何事にも手加減しない性格だ。
「わかった」と言いつつも、失敗したらどうしようといつきは身構える。
「そんな不安な顔しないで。いざとなったら祓うだけでもいいんだから」
よし子の声に、脇にどけられたオレンジジュースを見る。
祓っても、移動させただけで悪いもの自体はなくならない。別の人が拾ってしまう可能性もある。悪い気を相殺できるほど良い気がある場所に捨てるか、細かくほぐして浄化しなければならない。
いつきは目をすがめて、よし子に憑いている黒いものを凝視した。
粘土状のものが左肩に被さっていて、一部が身体の中に食い込んでいる。
精神統一をして、指先から気を細く出す。
レーザーメスのようにイメージしながら、いつきは黒いものをよし子から切り離そうとした。
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