第二章
第21話 修行
夜の山道を、いつきはさまよい歩いていた。
懐中電灯で照らすと、先ほども見たはずの石柱があった。
『山の中腹に、お堂がある。この
そう言って由良が、箱状の
懐中電灯と杖を借りて、いつきは夜の山へと入った。
道はまっすぐで、途中に「壱」「弐」と、どこまで来たかわかるように小さな石柱が建っていた。
石柱は七までだと由良が言っていた。
しかし、「六」の石柱を過ぎたあたりから道がループしていて、進んでも進んでも「六」の石柱が現れ続ける。
現在位置を確認したいのに、後ろを振り返ることができない。もちろん、携帯電話もない。
距離的には短く、沢や崖もないから大丈夫だと由良は言っていたが、全然大丈夫ではない。
このまま六の石柱の周りを延々と回り続けるのではないか。
そう思うと、背筋が冷たくなって足がすくんだ。
日が昇れば嫌でも場所がわかる。そう思うけれど、もしかしたら場所だけでなく時間もループしているのでは、という不安に駆られる。
なにせ、由良が修行の場として指定した山なのだ。通常とは違う
それでも、進むしかない。いつきは再び歩き出した。
落ち葉を踏む音が、かさかさと鳴る。
自分は今、六の石柱付近をぐるぐる回っているのだろうか。そんな風に考えていると、自分が進む先に人影が見えてきた。
こんな時間にこんなところで、何をしているのだろう。自分と同じく修行をしているのだろうか。
距離をあけようかとも思ったが、心細さから足を速めると、後ろ姿が近づいてきた。
とたんに、背後から小さな光に照らされているのを感じた。
前にいるのも、後ろにいるのも、自分自身ではないか。
肝が冷えた。あれらは、過去や未来の自分だろうか。
奇妙な時間の流れに捕らわれている。このまま、永遠に朝は来ないのではないか。
恐ろしさに、立ち止まる。前と後ろの人影も、歩みを止めた。
頭上で鳥が鳴いた。子供の叫び声のような、甲高い声だった。
一度疑心暗鬼に囚われてしまうと、恐怖心がよくないものをどんどん呼び寄せ、いもしない魔物を幻視してしまう。わかっていても、止められない。
正面に、白いものが見えた。人影が二つ。
先ほどの
母が死んだときに見た、あの者たちだった。
小学生のときの記憶がよみがえる。
見えていることを知られたら、殺される。
いつきは反射的に、来た道を引き返して逃げようとした。が、「絶対に後ろを振り返ってはいけない」という由良の言葉を思い出し、踏みとどまる。
ここは修行場だ。悪いものは入ってこられないはず。
あれは、自分の恐怖心が見せる幻影だ。
「玉の緒は」
「取った」
「足らなくて難儀した」
「これで予定通りだ」
母が亡くなっていたときと同じ会話が交わされる。
急激に目眩がした。目を閉じて杖につかまり、しばらくじっと耐える。
まぶたを開くと、あの日の光景が目の前にあった。
白い紙を顔につけた者たちの間に、母が横たわっている。
「お母さん!」
いつきは母に駆け寄り、白衣を着た体を揺する。
今の自分とそう変わらない歳で、顔もそっくりだ。自分自身が倒れているのかと錯覚するほどに。
「
「自分の命で
両脇の面の者たちが言う。
過去の自分が聞き取れなかった、もしくは記憶を閉ざしている部分なのだろうか。
「虫封じくらいは昔からあったので見逃したが」
「さすがに、定命が来ている者に気を分け与えるのはな」
頭上の会話に、いつきは驚いて母を見る。
そういえば、母は信者さんたちに、病院で心臓の検査を受けるようにとか、今月は旅行をしないようにとか、助言とも予言ともとれることを言っていた。
確か、体が痛むと訴える人に手を当てていたこともあった。
「他人に気を与えて、自分が
「人の身には出過ぎたことだったのだ」
右側の者が、袖の中から
バチ状の中啓で、錦で杉の木を覆った神依板を二度ずつ三回に分けて叩く。
死者の霊を、
母の体から、霊魂が抜け出す。
生前と同じ姿の霊体が、いつきの方を振り向く。
――これは、仕方がないことなの。死ぬはずの人を助けてしまったから。
頭の中に、母の声が響く。
「そんな。お母さんは悪くない、むしろ善いことをしたのに」
――善悪の問題じゃないし、そもそもそれは人間が決めていいことじゃないのよ。
「だからって、お母さんが殺されなきゃいけないなんて」
――殺されたんじゃないの。自分の気を与えすぎたせいなの。
母の手が、いつきの方へと伸びる。手のひらが目の前にかざされ、視界をさえぎる。閉じたまぶたに、母の肌の感触がある。
――状況に左右されずに、正しくあるがままに物事を見て。
手がどけられる。
いつきはゆっくりと目を開いた。
視界が、いつもよりも鮮やかに見えた。
木の葉の葉脈がわずかに光り、幹に気が通っているのがわかる。
不気味に見えていた面の者たちも、ただそこに在る。
第三の目が開いたのだと感じた。
余計なものが見えるようになってしまうと怖れていたが、なんのことはない、あるがままに見えるだけの話だったのだ。
――死ぬはずの人を死なないようにすることも、死なないはずの人を死ぬように仕向けるのも、人の身には出過ぎたことなの。よく覚えておいて。
死なないはずの人を死ぬように仕向ける。
それはきっと、パイドパイパーが目論んでいるようなことだろう。
母が背を向け、面の者たちに両手を差し出す。
彼らはその手を取り、ゆっくりと歩き出す。
記憶の中にあった昼の光景が、もとの真夜中の山中に戻る。
母と面の者の後ろ姿が、闇の中を進んでいき、やがて消えた。
静寂が戻る。
いつきは深呼吸をして、懐中電灯を下ろした。行く先の闇をじっと見る。
(こっちだ)
方向を定めてから、道の先を懐中電灯で照らした。
一歩一歩、踏みしめながら進む。
石柱が見えてきた。恐る恐る確認する。
書かれている数字は「七」だった。
(抜けた!)
歩みを早める。
道の先に、小さなお堂が見えた。光の柱が、お堂の屋根から天へと向かっている。
思わず安堵の溜め息が漏れた。
お堂に着くと、いつきは杖と懐中電灯を脇へ置き、丁寧に二拝二拍手一拝した。
そして
その拍子に、
(過去のわだかまりをここへ置いてこい、という意味だったのね)
いつきはお堂に一礼すると、杖と懐中電灯を持って、来た道を引き返した。
後ろは一度も振り返らなかった。
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