第31話 招かれざる参列者

 通夜祭とは、家族親族が故人の面影を讃え慕うことで、よみがえりを祈る儀式だ。


 まずは斎主である父が祭壇に一拝する。続いて、伶人れいじんが楽を奏する中、副斎主であるいつきがせんと呼ばれる供え物を供する。三方に乗せた米や酒、魚、野菜などを、一台一台丁寧に運ぶ。すべて、手に入る限り最高の食材を用意した。


「あな哀れ涙に眼もくれ伏せ、思ひに胸塞がり……」


 斎主である父が、いつきの書いた通夜祭詞を読み上げる。

 家族たちがいかにアヤナの死を悼んでいるかを、切々と述べる。後ろ髪を引かれた故人が蘇生することを祈る意味もあるのだ。


 続いて、楽が奏される中を、斎主が誄歌を奏する。

 次に、玉串奉奠。紙垂しでのついた榊の枝を決められた所作で奉る、仏式でいう焼香を行う。斎主以下、喪主、家族と順番に、いつきは玉串を渡していった。

 

 通夜祭の次第がすべて終了する。もはや故人の蘇生は期待できず死が確定したとみなし、今度は遷霊祭が執り行われる。


「これから、遷霊祭を取り行います。故人の魂をこちらの霊璽れいじにお遷しし、この家の守り神となっていただく儀式です」


 管長が説明をしている間に、いつきは棺桶の前に立ち、手を広げて袖を垂らし、参列者から見えないように隠した。父が、柩といつきの間に入る。


「……明かりを消していただけますか」

 セレモニーホールのスタッフが、電気を消す。


 霊が遷る瞬間は人に見られてはならず、浄闇じようあんの中で行われなければならない。


 かしこみを促すため、警蹕けいひつといううなり声をあげる。

 管長が死者にのみ聞こえるよう、小声で遷霊詞を唱え、神依板かみよりいた中啓ちゆうけいで軽く打ち鳴らす。


 母の霊魂を連れて行った半紙の面の者たちを、いつきは思い出した。

 しかし、ここにあの者たちはいない。死者を迎えに来る使いであるはずなのに。


 通常ならすんなりと上がってくるはずの光の玉が、柩から出てこない。

 アヤナを呼ぶように、いつきは警蹕けいひつの声を強めた。


 遷霊詞も終わりに近づいた頃、うっすらと弱い光が棺桶の上に浮かんできた。それがだんだん人の形となっていく。


 猫の目のような大きな瞳が、こちらをとらえる。アヤナだ。


 彼女は寂しそうに、じっとしていた。恨み言をいいたい様子はなかった。

 時が止まったように表情を変えず、たたずんでいる。


 父が霊璽れいじを近づける。しかし、アヤナはそちらを見ようともしなかった。


 しがらみに捕らわれたままでは、天に上がることはできないのか。しかし、依代よりしろに入らず魂のままでは、長時間留まることができないだろう。


 ――アヤナちゃん。その霊璽れいじに入って。


 呼びかけるが、アヤナは不思議そうに首をかしげたまま、立ち尽くしている。


 自分が死んだことに気づいていないのだろうかと思ったが、両親の方を向き、いっそう寂しげな表情になってうつむいている。


「此の御霊代みたましろに遷りせ」


 管長の詞に、ようやくアヤナが霊璽れいじへと向かう。が、彼女は首を振ると、いつきの方を見た。入れないのだ。


 遷霊詞が終わり、霊璽れいじの蓋が閉められる。

 父にはアヤナが見えていない。まだ依代の中に入っていないことがわからないのだ。霊体のみの状態は弱いのに、このままでは電気を点けられてしまう。


 ――アヤナちゃん、私に入って!


 アヤナがゆっくりと顔をあげる。

 彼女はしばらく首をかしげたあと、唐突に消えた。


 とたんに、左肩が重くなった。

 アヤナが「いる」と感じる。いつきの身体に憑いたのだ。


 このままいつきの中にいれば、幽体のまま現世に留まっているよりも早くあがれるはずだ。三木よし子が自分の中に死者の魂を取り込んで浄化していたように、アヤナのことも少しずつしがらみを取り除いて行こう。


 左肩に憑いたアヤナは、いつきに対して何か言ったり要求したりするでもなく、ただそこに在った。どうしたいのか言って欲しい気持ちと、恨み言や泣き言を言われても受け止めきれない気持ちがない交ぜになっていたのだが、それを見透かされたようで申し訳なくなる。


「明かりを点けてください」


 部屋に照明がともる。

 アヤナの魂は霊璽れいじに遷ったものとして、仮霊舎に奉遷された。

 斎主一拝の後、遷霊祭詞奏上、再び玉串奉奠と続く。


 棺桶の前にある案に玉串を捧げる親族を、アヤナが見ているのがわかった。

 母親が泣き崩れたとき、いつきの左肩が亀裂でも入ったかのように痛んだ。深呼吸をして気持ちを整え、玉串奉奠を見守る。


「これをもちまして、田村彩奈比売命ひめのみことの通夜祭および遷霊祭を終了いたします」


 スタッフが翌日の告別式の案内をアナウンスすると、親族は挨拶をして三々五々に帰って行った。寝ずの番は、アヤナの両親だけでするようだ。


 父とともに、明日の打ち合わせをする。一人娘を亡くしたアヤナの母は、放心状態と錯乱状態を繰り返していて、父親はそれを支えるのに必死で、自分の感情は抑え込んでいるようだった。


 左肩に激しい痛みが走る。


 またアヤナが心を痛めているのかと思ったが、髪の毛を引っ張られるような感覚に、いつきは後ろを向いた。


 親族が帰って開け放たれた部屋の扉の向こうに、人影があった。中背の男性だ。

 セレモニーホールのスタッフかと思ったが、あの雰囲気には覚えがある。


(パイドパイパー!)


 中座すると断りを入れたいつきは、浅沓あさぐつのままで走った。第三の目を開き、以前覚えたパイドパイパーの雰囲気と同じ気を持った者を探る。


 セレモニーホールを出て駐車場に向かうところで、車が急発進してこちらに向かってきた。たじろいで後ろに下がり、車をかわす。

 黒のコンパクトカーが、目の前を横切る。


 運転席にいた栗色の髪の男が、こちらを見てにやりと笑った。


 慌てて後を追ったが、車はテールランプをともらせると、左折して車道へと出て行き、他の車に紛れてしまった。


(あいつ、笑ってた。自分がそそのかしたせいで、本当に人が死んだのに)


 左肩どころか、全身がちぎれそうに痛んだ。

 泣かないと決めていたのに、あふれ出した涙は止まることなく流れ続けた。

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