エピローグ

第45話 日常へ

「うう、寒い寒い」


 参道の掃除から戻ったいつきは、応接室の火鉢に手をかざした。炭がはぜてパチッと音がする。反射的に身を引く。


 この間、火の粉が飛んで白衣に穴を開けてしまった。転んでもただでは起きないとばかりに、焦げて小さな焼き穴のついた白衣をTwitterに投稿したら、結構リツイートされていた。


 あれからもいつきは、穂積教本院のTwitterアカウントで日々の神社ネタをつぶやいている。

 神職は近寄りがたい存在ではなく、みんなと地続きに生活している普通の人間であり、気軽に話しかけてもらいたい、という願いを込めて。


 パイドパイパーは勾留され、まもなく起訴される予定だ。精神鑑定を受け、相応の治療が行われるだろう。


 あの日、舞子海上プロムナードの展望広場にいた男性二人は、非常通路で繰り広げられたやりとりを上から撮影し、そのまま動画をライブ中継していた。パイドパイパーもそのチャンネルを見ていた履歴があったという。


 というより、そもそもパイドパイパーが、実況中継動画をよく配信していたYouTuberに「明石海峡大橋で何かが起こる」と声をかけ、あそこで待機するようそそのかしていたらしい。


 動画は削除されたが、コピーやスクリーンショットが出回った。

 いつきと由良も「自殺志願者を止める美人神主」として特定されかけ、落ち着かない日々を過ごした。


 テレビのワイドショーやインターネットは、自殺教唆サイコパス・パイドパイパーの話題でしばらく持ちきりだった。


 SNSの危険性や、自殺予防の重要さ、現代社会の生きづらさなどのお決まりの着地点に落ち着いたあと、人々の関心は別のゴシップへと移っていった。


 それでも、あの事件に関わった者たちは、日々を生きていかなければならない。


「お姉ちゃん、昼ご飯作ったから、お父さんの分も持ってきたよ」

 自宅との渡り廊下から、お盆に焼きそばを二つ載せた鈴が現れた。


「康博くん、今日も来てるの?」

「うん。年明けに鯖街道旅行記本出すから、校正を手伝ってもらってる」

「ちょっと、転部試験も近いんだから、考えてあげなさいよ」


 康博は、二月の転部試験の勉強と、鈴の同人誌の手伝いで忙しくしている。最近は風刺性の高い一枚絵をTwitterに投稿し、着々とファンを増やしている。


 #092参加者だった暁のマ太郎は、神主になるためすめらぎ學院大学を受験するそうだ。あのとき雨を降らせたことよりも、宗教哲学に興味があるらしい、と中嶋が言っていた。彼も、教え子が後輩になるかもしれないのが嬉しいようだ。


 他の#092参加者、ワルキューレ、セラフィム、不知火、越後の虎も一緒に、あのときの五人には新たな企画に参加してもらっている。


 一日に一つ課題をこなし、LINEグループで報告する。ただし強制ではなく、できない場合はできないと投稿すればよい。


 課題を出しているのは、いつきだ。


 パイドパイパーの真似みたいで気が引けたが、あくまでも、空いてしまった彼らの心の穴によくないものが入り込まないようにする臨時措置だ。


 しばらく様子を見て、一人で立っていけるよう徐々にサポートし、課題も終わらせるつもりだ。

 もう誰かに依存したり、自分の主導権を他人に委ねたりせずに済むように。


 ちなみに、昨日の課題は「玄関を掃除する」だった。


(今日の課題は何にしよう。できるだけハードルの低い、それでいて、心が晴れるような)


 考えていると、お腹が鳴った。早朝からずっと働きづめだったのだ。

 いつきは、鈴が作ってくれた焼きそばの写真を添えて、今日の課題を投稿した。


真榊いつき『本日の課題。おいしいものを食べること!』



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神無月の笛吹き男 芦原瑞祥 @zuishou

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