第30話 祭詞

 神葬祭では、五つの祭詞を読み上げる。

 死者の生前をたたえ、この世に未練を残すことなく幽世かくりよに赴き、家を守る祖霊となってもらうためのもので、祭詞はすべて書き下ろしのオリジナルだ。

 過去の文例を参考にし、故人の経歴と照らし合わせて言葉を選ぶ。


 いつきは手を洗うと、アヤナの経歴を聞き書きした書類を読んだ。


 田村彩奈。六月十七日生まれ、父は道重、母は響子。

 大阪府堺市に生まれ、小学生のときに奈良県に転居。


 幼少時にはしかにかかり、後遺症で左耳に難聴が残る。

 友達と話をしていても聞き取れないことが多く、一人でいるのを好むようになる。

 高校入学祝いにスマートフォンをもらうと、SNSに夢中になった。相手の発言が文字で見えるから、聞き取れなかったり、ひそひそ話に心を痛めたりせずにすむから。

 

 彩奈の携帯のロックナンバーがわからず、親は中を確認していない。

 耳が聞こえづらいことで、からかわれたり目の前で内緒話をされたりと、彼女は中学校で嫌な目に遭っていた。


 高校の合格発表の日にそのことを初めて打ち明けられた、と母親は語った。

「でも、もう卒業したし、二度と会うこともないし、耐え抜いた私の勝ち!」と彩奈は嬉しそうに言ったそうだ。「高校ではうまくやる」とも。


 両親は、もともとおとなしくて不器用な性格の彩奈が、難聴のせいでうまくコミュニケーションを取れずにいたことに、気づいていなかった。

 共働きで顔を合わせる時間も少なく、彩奈自身が無口なこともあったが、その反省から、彩奈が高校生になってからは母親は娘と話をするよう心がけていた。


 ここ最近、寝不足でいつも疲れた顔をしていたことについては、「行きたいところがあるから毎日頑張っている」と言っていたので、レベルの高い大学に入りたいのだとしか思っていなかったそうだ。

 野菜以外のものを食べようとしないのできつく諭したら、機嫌を損ねて顔を合わせないようになってしまい、途方に暮れていたという。


 周りに気を遣う性格で、小学生の頃に毎週電車で病院に通っていたのだが、なかなか帰宅しないので心配して駅へ見に行くと、膝に猫を乗せてじっとしていたそうだ。「よく寝ているから起こしたら悪いと思って」と彩奈は小さな声で言ったという。


 やはり彼女はやさしい子だった。

 いつきに送ってきたDMの罵声は、自死に対して負い目を感じさせないための気遣いだったのだろう。


 悲しみに負けそうになる自分を鼓舞して、いつきは祭詞を書いた。

 死者の生前を讃えることで慰めになるように。彼女のやさしさを、しっかりと書き留める。


 祭詞の執筆はなかなか進まず、自分の感情との戦いだった。

 集中力が切れて呆然としていると、携帯電話が鳴った。由良だ。


「もしもし」

「いつき」

 しばらく無言が続いた。


「……助けられなかった。せっかく由良にも協力してもらったのに……」

 また涙がこみ上げてくる。


「まだ終わってないよ、いつき」

 由良が低い声で言う。


「落ち込んでるときに言うのは申し訳ないんだけど。自殺者の魂は、上がりにくい。よくわからないけど、本来残っているはずの時間の分、時が止まったように現世に留まっている感じ」


 では、アヤナもそうだろうか。


 通常、葬祭のときに遷霊詞せんれいしを唱えると、魂は体から出て霊璽れいじに遷る。そして五十日祭まで遺族たちに拝まれて、清らかな光になって上がっていく。

 業が深いせいで、天に上がれる浮力を得ることができないのだろうか。


「どうすれば……」

「うちの神社は葬祭はしないから、関わった経験がなくて確かなことはいえない。ただ、この世のしがらみや思い残しを取り除くことで、浄化できるはずなんだ。だから、これ以上ないくらい丁寧に、心を込めて葬祭を執り行って」


 それはもちろんだ。

「わかった。精一杯ご奉仕する」


「パイドパイパー対策は私たちに任せて、葬祭に集中してくれ。……助けになれなくて、すまない」


 電話を切って、祭詞の執筆に戻る。

 入学式のときのアヤナの写真は、希望に満ちた表情を永遠に閉じ込めていた。もう本人がいなくても。



 翌日の夜、通夜祭が執り行われた。

 参列者はアヤナの両親と親戚だけで、二十人にも満たなかった。本来なら学校関係者も参列するのだろうが、断ったのだろう。


 葬祭会館の家族葬用の部屋は、狭かった。中央の祭壇には菊の花が飾られ、アヤナの棺桶が安置されていた。


「ご挨拶させていただきます」

 遺族に声をかけて、いつきは棺桶に近づいた。


 遷霊祭を行うまでは、御霊みたまはご遺体に存在すると解釈されている。彼女が「いる」として、どう接したらいいのか考えあぐねながら、ゆっくりと歩み寄る。


 開いたままの窓から、顔が見える。青白く、以前会ったときより一回り小さくなったように感じる。包帯を巻いているのか、髪の毛はあまり見えなかった。


 彼女の魂がそこにいるだろうと思ったのに、気配が感じられない。


「顔は、きれいだったんですよ」

 後ろから近づいてきた母親がそう言って、泣き崩れた。つられて泣きそうになるのをぐっとこらえ、でも何と声をかけていいのかわからず、無言のまま深々と頭を下げた。

 泣き止まない母親は、親戚になだめられながら部屋を出て行った。その後ろ姿を、唇を噛みながら見送る。


 アヤナのためにも遺族のためにも、葬祭を滞りなく進めなくてはならない。


 斎主である父とともに、神社から持参した案やさかき、供物を設置する。

 他の神社に依頼していた、雅楽を演奏する伶人れいじんが到着した。龍笛、篳篥ひちりき、笙、太鼓を持った神職が、鈍色の衣冠を着て、脇の席に着座する。


「いつき、大丈夫か」

 父が小声で問う。

「大丈夫です。斎行できます」

 自分に言い聞かせるよう、はっきりと言う。

「では、副斎主は任せる。葬祭が終わるまでは、しっかり頼む」


 セレモニーホールのスタッフが、通夜祭の開始時間が来たことを告げに来る。父がすぐに始める旨を指示し、伶人に声をかける。


「ただ今より、故・田村彩奈比売命ひめのみことの通夜祭を始めさせていただきます」

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