第20話 前哨

 ここは……。オレは働かない頭を必死に回しながら、体を起こした。ソファーから立ち上がり、グッと体を伸ばしながら、壁に掛けられた時計を見ると短針は『12』と『1』の間に居座っている。


 まさか、こんなに寝入ってしまうとは……。それもこれも、ステラのせいだ。オレは自室で悠々と寝ているであろう、彼女に恨みがましい視線を壁越しに向ける。


 あの後、今日に備え寝ようとしたのだが、ステラが駄々をこねた。まだまだ話したりないとか言って。そこからは本当に長かった。オレの三年間の出来事を根掘り葉掘り聞くわ、ステラが世界を旅してきた話を聞かされるわで、結局眠りにつけたのは、朝日が昇り始めた頃だったことを覚えている。


 全く、決戦前だというのに何を考えているんだか……。オレは、ステラが寝ているはずの部屋の扉をコンコンと叩く。


「おーい、もう昼過ぎてるぞ。そろそろ起きろよ」


 呼びかけて見たが、返事はない。もう少し声を張るか……。


「おーい! もう昼だぞ!」


「分かってるわよ」


 聞き覚えのある声が、すぐ後ろから聞こえ、びくりと体を震わせる。急いで振り向くと、そこには呆れた顔をしたステラが立っていた。


「お、起きてたのか」


「当たり前でしょ。決戦の前日だっていうのに、悠長に寝てるわけにもいかないもの」


 グッ……。確かにその通りだ。だが、オレが寝ていた原因を作った奴が言っているのは、何だか釈然としない。何とも言えない面持ちでステラを見ていると、隠しきれなくなったのか口角が上がりだす。すると、我慢も限界を迎えたようで、彼女はプッと吹き出し笑い始めた。


 オレは、そのふざけた態度を、冷ややかに無言で見下ろし続ける。ひとしきり笑い終えると、満足そうな笑みを浮かべ、顔をこちらに向けてくる。


「そんな顔しないでよ。ちょっとしたジョーク、唯の悪戯じゃない」


 全く悪びれる様子もなく、ステラはそう言い放った。全く……。オレは諦めたように、口から大量の息を吐き出す。


「あー、はいはい悪戯ね。それじゃあ、しょうがないな」


「何よ。なんか対応が御座なりじゃない?」


「胸に手を当てて考えれば分かるはずだ」


「それ、セクハラじゃない?」


 ステラは体を両手で隠すように縮こまり、身を引く。ご丁寧に、軽蔑の視線もセットで向けてくる。


「何でだよ!」


 思わず、大きな声が口を突いて出る。彼女は何が面白いのか、クスクスと笑い声を漏らした。一日前ならイラついていたかもしれないが、今は何故か許容できる。昔、知り合いであったことを知ったからだろうか。それとも、オレの中に少しでも記憶の残滓が残っているのだろうか。それを探るように、オレは胸に手を当てる。


「どうしたの?」


 はっとして、目の前を見ると、端正な顔がすぐ近くまで来ていた。青玉のような瞳が意外にも、心配そうに見つめている。不味い……。昨日の今日で余計意識してしまう。オレは顔を逸らしながら、返答する。


「いや、何でもない。まだ眠気が抜けきっていなかったらしい」


「そう。ならいいけど……」


 曖昧な表情を浮かべているが、一応の納得はしてくれたようだ。だが、まだ安心できない。オレは、素早く次の会話のネタを放り投げる。


「あー、そういえば、どこに行ってたんだ? 東さんあたりに用でもあったのか?」


「ま、当たらずとも遠からずってところね」


「じゃあ、正解は何なんだよ」


「島の探索とある仕掛けを施していたのよ。正剛に手伝ってもらってね」


 ステラは誇らしげに、豊満とも言えぬ程度の胸を張り、ちらちらと視線をこちらに向けてくる。これは……褒めろと言っているのだろうか。


「さ、流石 ステラ。用意周到だな」


 ぎこちない笑みを浮かべながら、雑な誉め言葉を何とか紡ぎだす。流石にダメか……。オレは彼女の反応を探るように、視線を移す。


「ふふっ。ま、私だから当然ね」


 意外にも、上機嫌な返しが返って来た。案外チョロいな。


「でも、そんなわざとらしい言葉だけじゃなくて……」


 いきなりステラを中心に引力が発生したかのように、オレは引き寄せられる。体は彼女の寸前でぴたりと止まり、何故か右手は金色の髪の上に置かされる。


「これぐらいしてくれてもいいんじゃない?」


 右手の下にいる少女は、気持ちの良い笑顔を浮かべている。流れに従い、彼女の頭をゆっくりと撫でる。艶やかな金髪の肌触りのよさに驚きつつも、ステラの顔色を伺う。満足そうな顔をしてるところを見ると、これでよかったと言えよう。


 ただ、彼女が見ているのは今ではなく、過去なのだろう。そう思うと、若干の虚しさを感じないこともない。だが、そんなことを言っても、仕方がないな。誰も悪くはないのだから。乗せていた手を下ろし、抱いた感慨にも終止符を打つ。


「あら、もう終わり?」


「今はこれくらいで勘弁してくれ。それにまだ備え、本番はこれからなんだぞ」


 彼女の理解に期待して、同意を求めてみる。すると、ステラはニヤリと笑った。何だか嫌な予感がするな。


「それもそうね。楽しみは最後まで取っておくわ」


 言外に褒美を用意しておけと、言われた気がする。勝っても負けても気が重いな。そんなどうでもいい感慨に流されながら、オレも笑みを浮かべた。


「そうか……。期待はしないでくれよ」


「そう。なら期待させてもらうわ」


 予想通りの返答に、肩をすくめた。ステラはその様子を見ても、湛えた笑みを張り付けたままだ。何だか懐かしささえ感じるこのやり取りが、妙に心地いい。こんな穏やかな気分になるのは久々な気がするな。快然たる雰囲気に浸っていると、ポケットから振動が伝わってくる。おそらくボスだ。


「東さん、招集ですか?」


「ああ、そうだ。決戦前の会議をするぞ。ステラちゃんもつれて俺の部屋まで来てくれ」


「了解しました。すぐに向かいます」


 オレは通話を切り、ステラの方を見ると、既に玄関へと歩きだしていた。


「早く行きましょ。時間は有限よ」


 察しが良くて助かるな。オレはその後に続いて歩き出した。ボスの部屋に辿り着き、辺りを見渡すが、全員集まっていないようだ。


「東さん。菜月さんは帰ってきてないんですか?」


「ああ、少し遅れるようだな。まあ、会議に参加できなくても、元々、あいつはサポート役だ。後で話を通しておけばいいだろ」


「まあ、東さんがそういうならいいのですが」


「あと、これ……渡しておくぞ」


 ボスから放られた小さな機器は、片耳につけるタイプのイヤホン型の通信機だった。


「簡素なやつだが、ないよりマシだろ」


「まあ、そうですね」


 オレは手に持ってる機器を耳に取り付けた。ボスの方を見ると、どうやら他の人たちにも配っているようだ。


 


 ――出席メンバーが集まり、長い長い会議を経て、時計の針は午前零時の十分前を示している。


「いよいよね」


「そうだな」


 オレは僅かに震える指を握りこみ、彼らが姿を現すであろう、島の空港へと向かった。


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