第28話 第二夜~狩り
――午前零時十八分
牙をむき出しにした獣のような鋭い殺気を亡霊は放つ。彼が浮かべていた笑みは消え、純粋な殺意のみが赤い瞳に映し出されている。しかし、その圧力に屈することなく、響はその姿をしっかりと見据えていた。わずかな予備動作も見落とさないように。
――静寂。
冷たい風だけが通り過ぎ、緊張感が高まっていく。じりじりと距離を詰める響に対して、距離をとる亡霊。対照的な意図が見え隠れする動きに、二人の思考は回転していく。既出の情報から、相手の裏をかくために。
先に動いたのは響だった。凄まじい波動を足裏から放ち、ジェット機のような加速を見せる。一瞬で二人の距離は消失し、鋭い突きが亡霊に襲い掛かろうとしていた。だが、亡霊は幽鬼のごとく姿をくらます。自慢の一撃が空を切り、響は舌打ちを漏らす。
響が消えた亡霊を探すために振り向こうとした瞬間――焦りと恐怖のせいか、瞳孔が見開かれる。足元に転がる球形の何かが映ったからだろう。彼の体が止まったのは……コンマ数秒。思考を省略した反射的な動きで、その場から跳躍して見せたのだ。響の居た場所は彼の予想通り、爆破され、黒い灰塵が舞っている。
黒い粉はAP鉱石の粉末である。Eコード持ちへの殺傷能力を高めるために、混入されているのだろう。かなりの力を持つ響でも、あの黒い鉱石は能力で防ぐことはできない。そんな離れ技ができる人間は一宮永遠とステラ・ホワイトくらいだ。
そんなことは百も承知なため、響は迷いなく回避を選択したのだろう。彼は超速で動きながら、軽く舌を鳴らす。発した音で探知したのか、亡霊へ視線を向けた。
(ほんと、めんどうだね。あの能力の性質を早く見抜かないと、倒しきれないな。それにあの色々な武器はどこから出してるんだか)
響は注意深く亡霊の格好を見るが、彼の軍服には手榴弾程度はともかく、機関銃なんて隠せる場所はない。早々に近づくのは危険と判断したのか、響はジャブでも打つように軽く左拳を振るう。発生した衝撃が増幅され、矢のごとく亡霊へと迫る。
響の背後へと転移した亡霊は、またも機関銃を出現させ、その引き金を引く。
「無駄だよ」
またも響は上空へと跳ね上がり、機関銃を乱射する男の真上から衝撃の雨を降らせる。だが、それを読んでいたのか亡霊は眉一つ動かさず、姿を消す。衝撃はアスファルトにぶつかり、小さなクレーターを作る。
「またこれか」
響は周囲を探りながら、視線を滑らせる。
(完全に気配が消えた。逃げたわけないし、もしかすると奴の能力は……)
響は難しげな顔で思考に耽っていると、目の前に手榴弾が降ってくる。舌打ちで周囲を探ると、自分を囲むように配置された爆弾の存在を認知したようだ。僅かに残された包囲網の隙間に飛び込み、難を逃れようとする。
だが、響の死角。そこに彼は、当然のように現れる。持ってるのは先ほどとは違い、サイレンサ付きの小型拳銃。抑えられたかすかな音は爆発でかき消され、黒い弾丸が白い少年目掛けて飛来する。見事、弾丸は響の左太ももを貫通し、少年の顔に苦悶の表情を作り出した。それを見た亡霊は、不気味に口元を歪ませ、近づいて来る。
「どうだ? 自称強者。これが本当の戦場だぜ」
響は太ももに開いた傷口を抑えながら、気丈に笑みを浮かべる。
「致命傷でもない弾丸一発で粋がるのが戦場? 意外とぬるいんだね」
挑発的な響の発言が虎の尾を踏んだのか、亡霊の額に青筋が浮かぶ。亡霊は大きなため息をつき、遠慮なくもう一度拳銃の引き金を引く。だが、負傷しているはずの響は残った左足を軸に華麗に躱す。予想外の俊敏の動きだったのか、亡霊の目が見開かれる。
「だから、言ったでしょ? ぬるいって」
亡霊は悔しげに奥歯を噛み締める。ぎりぎりと音が鳴り、苛立っているのがよく分かる。だが、腸が煮えくり返ろうとも、それを暴発させることはない。みるみるうちに、紅瞳は冷たい感情に満たされていく。
「それに分かったよ。あんたの能力」
「だから……何だ? 俺には悠長に聞く義務はないぜ」
軍服男は黒色の拳銃を構え、吐き捨てるように言った。
「そうだね。だから、一方的な賭けでもしようよ」
「賭けだと?」
「僕の予想が外れたら、一発ただで撃たせてあげるよ。頭でも……心臓でもね。心配しなくていいよ。もし当たっても、あんたには何も要求しないから」
「くだらねぇ問答に命を賭けるってか」
「そうだけど。だって、何かおかしい?」
響はさも当然といった様子で、平然と言ってのける。気負いも、緊張も一切感じられないその表情に気圧されたのか、一歩後退する。
(いかれてんな。でも、好都合。何を考えてるかは知らねーが、逆に利用してやるよ)
内心ほくそ笑みながら、亡霊は笑みを浮かべた、
「いいぜ。乗ってやるよ」
「賢明な判断、助かるよ」
亡霊は一瞬眉をピクっと動かしたが、何も言うことなく、響の周りを歩き始める。
「それじゃあ、順に話していこうか。あんたの能力が空間移動系だってことは確定してる。でも、それだけじゃ足りないよね。どんな条件で移動してるのか、何ができるのか、ここまで分かって初めて看破と言えるから。そうだよね?」
「そりゃそうだ。そんな浅い推理で終わったら、興ざめもいいところだ」
「だよね。だから、深いとこまで当ててあげるよ。ズバリ、あんたの移動能力は大まかに分けると、二種類ある。一つ目は予め指定した地点同士を行き来できる空間転移、もう一つは一定時間見えないし、触れない状態で移動できる疑似的な空間移動。流石、亡霊って言われるだけあるEコードだよね」
響は自信満々にそう言い切った。その強気な黄土色の瞳に見つめられ、亡霊は思わず愉快そうな笑みを溢す。
「クック。正解、正解だ。厳密には違うが大体あってる。称賛してやるよ」
亡霊は大げさに手を叩いた。嘲りの音が乾いた空気を震わせる。無理もない。この会話が行われている間に、亡霊は仕込みを終わらせていた。周囲の地面にはセンサー付きの地雷、空にはゆっくりと落ちるように羽が取り付けられた対異能手榴弾群。逃げ場は完全に封じられている。
「それで……どうする。こちらの罰はないってことになってたが、一撃くらい入れさせてやってもいいぜ。ほら!」
軍服男は誘うように拳銃を捨て、手を大きく広げる。無防備を装っているが、亡霊の足元には正面から見えないように金属製の箱が置かれていた。チカチカと輝く赤のランプがその目的を物語っている。
「ふ、ふふっ」
響の口から小馬鹿にしたような笑い声が漏れた。その反応に亡霊は怪訝な表情を浮かべる。
「あんた、僕が羨ましいんでしょ?」
「あ? いきなり何を……」
「この無意味な取引に乗って、明るい道を歩いてきたはずであろう僕を完璧に否定したかったんだろうけど……残念だったね。もう終わりなんだ」
――畏怖
そんな感情が亡霊の脳裏に過ったのか、落とした拳銃拾おうと素早く屈んだ。そして、そのまま起き上がることはなかった。膝を折った勢いのまま、アスファルトに崩れ落ちる。亡霊の耳からは血が溢れ、目はぐるりと回り白い部分を露出させていた。
「面倒くさがりの僕が無駄に喋ってるんだから、疑うべきだったね」
響の狙いは音をためることだった。自分の声を操作し、上空に集約させ、ぶつける。そのための会話、そのための取引だった。結果、転移する隙さえ与えない不可視の一撃が、亡霊の意識を一瞬で刈り取ったのだ。
彼は糸の切れた亡霊を抱えて大きく跳躍する。
「まあ、天成教に利用された事実には同情するけど……僕だって苦労してないわけじゃないからさ」
手を頭上まで上げ、パチリと鳴らす。刃のような衝撃が空間を駆け、仕込まれていた爆弾を全て爆破させる。雷でも落ちたかのような音が轟く。
「だから、あんたの羨望は受け取れないな。……ま、聞こえてないだろうけど」
響は気持ちを切り替えるようにスマホを取り出し、アズマと書かれた連絡先に触れる。大した間もなく、低い声が黒いスマホから響く。
「終わったか?」
「うん。ちゃんと仕留めたよ、殺さずにね」
「よし! それで、まだいけそうか?」
「きついかもね。アズマと同じで片足撃ち抜かれてるから」
響は赤く濡れた灰色のズボンに視線を移す。
「フッ、お揃いだな」
「冗談はいいから。これからどうするの?」
「お前はこっち来てくれ。保険のためにもな。後の戦闘はステラちゃんに任せれば大丈夫だ」
「了解。でも、荷物もあるから少し遅れるよ」
響は足元に横たわる亡霊を確認するように視認する。変わらずそこには迷彩柄の軍服を着た男が、無様に地に伏していた。
「分かってる。だが、やるべく急いでくれよ」
「はいはい」
響は小言は聞き飽きたとばかりに通話を切った。永遠が入ったビルを見上げるが、すぐに視線を外し、軍服男を持ち上げる。響は衝撃を足場に空を駆けて行った。
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