第39話 新たな一歩

「ここは……どこだ?」


 オレは白い天井を見つめながらぽつりと呟く。


「PPA日本支部の医務室よ」


 傍らから聞こえる声の方に視線を這わせる。誰かが椅子に座っている。だが、窓から差し込む陽光が眩しくてうまく目を開けられない。声の調子から女性だろうか。


「それは……ご丁寧にどうも」


「それだけ? この私が珍しく親切に教えてあげたのに……」


 傲岸不遜。そんな言葉が頭を過る。オレは気だるさを感じつつも、ゆっくりと体を起こす。日の光の影響も薄くなり、彼女の姿を捉えた。


「いや、オレはあんたのこと知らないんだ……が」


 圧倒的な美貌に目を奪われた。金色に輝く艶やかな髪、蒼玉を思わせる瞳。可憐。そう思わずにはいられない。だが、この感覚前にも感じたような……。記憶を辿ってみるがどうにも思い出せない。それは頭の中が霧に包まれている奇妙な感覚だった。


「どうかしたの?」


「いや、何でもない」


 オレはもやを払うように頭を振る。今はそんなことは二の次だ。


「なあ、えーと……」


「ステラよ。ステラ・ホワイト。ステラって呼んでちょうだい」


 随分、ストレートな言い草だ。まあ、その方が助かるけど。


「そうか。じゃあ、ステラ。オレはなんでこんなところで寝てるんだ?」


「ふふっ。それはね——」


 ステラは笑顔を浮かべ、順を追って丁寧に話してくれた。オレが天成教にいた頃から昨夜の騒乱まで。そして、おおよそ過去の出来事を把握した。なるほどな。過去のオレは力のすべてを使ったわけか。状況を聞く限り、オレの行動が最善だ。おそらく、後悔なんてしなかっただろう。オレはそっと息を吐いた。


「それで、あなたはどこまで覚えているのかしら?」


「ある程度の一般教養と自分の力に関する事項は覚えている。だが、君のこともPPAという組織のことも一切記憶にはない。ああ、自分の名前がアルファだってことはちゃんと覚えているから安心してくれ」


 少女の瞳が一瞬、悲しそうに揺れる。だが、すぐに優しげな色で塗り替え、ベッドの傍に置かれていたメモ帳とペンを手元に運んだ。


「違うわよ。その名前はもう古いわ。今のあなたの名は一宮永遠よ」


 彼女はさらりとペンを走らせる。書き終わったメモ帳をこちらに向けてくる。それには『一宮永遠いちみやとわ』という文字がしっかりと書かれていた。


「一宮永遠。それが現在のオレの名前?」


「そうよ。PPA日本支部のボス、東正剛が一宮という性を与え、永遠という名前は私が考えたのよ」


 少女は誇らしげに胸を張る。


「そうか。じゃあオレはこれからそう名乗るよ」


 淡白なオレの答えに不満なのか、わざとらしく少女は頬を膨らませる。彼女の情緒はよく理解できないな。


「何かダメなところがあったか」


 オレが素直に問うと、手元の道具を手も触れずに片付けながら真っ直ぐに立てた人差し指をこちらに向けてくる。


「あるに決まってるじゃない。なんでこの名前にしたのか聞いてくれないと」


 厄介な親のようなことを言っている。面倒ではあるが、今のところ彼女が唯一の情報源だ。応じた方がいいだろう。


「なんで、一宮永遠って名付けたんだ?」


「よくぞ、聞いてくれたわね」


 ……お前が聞けといったんだろうが。そんなツッコミは心のうちに留めつつ、耳だけは彼女の方に傾ける。


「一宮の方は単純に都合のいい提供者がいたから……らしいわ。無粋よね」


「効率的でいいと思うが」


「それでね」


 やはり、彼女に相槌を打っても仕方ないな。黙って聞くとしよう。


「永遠って方はあなたの能力から考えたのよ。時を空間ごと巻き戻す力。すなわち、永遠を作れる……。だから、永遠って名前にしたの。一応、物を増やせるところから無限インフィニティーとか、物体を消すところから消去イレイザーとかも考えたのよ。でも、ちょっと主張が強すぎるかなって思ってね。結局、最初に思い付いた永遠って名前にしたのよ」


 初めて彼女に共感できたかもしれない。仮に候補であったキラキラした名前を付けられていたら拒否していただろう。


 それにしても——彼女は本当に楽しそうだな。それだけオレに思い入れがあるのだろうか。


——三年。思えば随分な歳月を失ってしまったものだ。オレが虚空を見つめ、勝手に哀愁に浸っていると、突如首が回転させられる。もちろん、方向は金髪の少女の方だ。


「ちょっと、自分の世界に引きこもらないでくれる」


「すまない」


「分かればいいの」


 少女は満足そうに頷く。


「それで永遠クンから、もう聞きたいことはないの?」


「ああ、今のところはないな。PPAのことはそのあずまって人に聞くよ」


「じゃあ、ここからは私のターンね」


 ずっとお前が喋っていたが。オレは傍らの少女の押しの強さに少し困惑しつつも、しっかりと視線を向けた。また、首を回されたら堪らない。


「じゃあ、いくわよ」


 なんの宣言なんだ。オレは深呼吸をしている美麗なステラをぼんやりと眺めている。

「覚悟しなさい!」


 唐突な意味不明な発言にオレは目を白黒させた。


「な、なんだ?」


 啞然としているオレに彼女はにっこりと笑って見せた。あまりにも晴れやかで自信に満ちた表情。脈絡のない行動だが自然と興味が引き寄せられる。


「永遠クン、もうあなたを逃がしはしない。記憶を失っても、私を知らなくても永遠クンは永遠クンでしかないわ。また最初からやり直せばいい……ってやっと気づけた、いや過去のあなたに気づかせてもらったの」


 ステラは椅子から立ち上がり、近づいて来る。


「この先、何回も私たちの関係はリセットされるかもしれない。でも、もうそんなこと気にしないわ。だって、永遠クンの記憶が消えても、私の中にはちゃんと残ってる。それを永遠クンに伝えればいい、それだけなんだもの」


 ステラはさらに近づいて来る。美麗な顔がぶつかりそうなほど近い。もう、目の前だ。抑えようとしても心臓が早鐘(はやがね)のように鳴り始める。


「だから、ここに宣言するわ。私はこれから何があろうとも、傍で君を守り続ける。世界最強の超能力者——《世界法則(ワールドオーダー)》としてね。言っておくけど、これはもう決定事項だから。永遠クンに拒否権はないわよ」


 あまりにも強引で独善的な言葉だ。だが、満天の星のような輝く笑顔に見惚れてしまった。意外な自分の安易さに思わず笑みがこぼれる。

しかし、何故ここまで自分に拘るのか、何故そこまですっきりとした表情をしているのか、オレには分からない。いや、分かれない。


 だが、奇妙なことにオレの心は達成感で満たされていた。まるで過去の自分の感情が引き継がれているようだ。もしかしたら、記憶の残滓や感情の欠片は魂ってやつに残ってるのかもしれないな。もしそうならば……。

 オレは今の感情を把握し、返答を心待ちにしているステラへ真っ直ぐに向き合う。


「拒否するつもりなんてないさ。力のある人間に守ってもらえるなら万々歳だ。今回は天成教を退けたようだが、話を聞く限りこれで彼らが諦めることはないだろうしな」


「そう。受け入れてもらえて嬉しいわ」


 ステラは満足げに胸を張る。それはもう誇らしげに。


「さて、私が言いたいことは伝えられたわ。次は彼らの番ね」


「彼ら?」


 ステラは部屋の入口の引き戸を念動力で横へとスライドさせる。すると、なだれ込むように二人の人間が駆け寄ってきた。その内の大柄な男はオレの首に浅黒い腕を巻き付け、もう一人の中世的な子は軽く握った拳をポンポンとオレの胸に当ててくる。


「よう、永遠。会うのは三日ぶりか。思ったより元気そうで何よりだ」


「そうだね。元気でなにより」


 馴れ馴れしい態度から話に出てきたPPAの人たちだろうが、オレの頭には二人の名前さえ浮かんでこない。察してくれたのか、アロハシャツの男がにやりと笑った。


「やっぱ、俺らのことも忘れちまったか」


「ひどいね」


「それは……」


 オレが謝罪の言葉を口にしようとした瞬間、男は頬を大きな手で掴んでくる。


「勘違いすんな。俺たちは責めてるんじゃねーよ。俺たちは変わらずにお前と接していく。だから、永遠もそれを受け入れてくれって言ってんだ」


「そうそう」


「そうか。……ありがとう」


 オレが呟くような感謝が嬉しかったのか、男はオレの首を開放し、右手を上げた。これはハイタッチを要求しているのだろう。オレも右手を上げ、思い切りその手を叩いた。パンッ、と綺麗な音が鳴る。


 それを見ていた白衣の子が拳を突き出してくる。オレも自分の拳を突き出した。こつんと二つの拳はぶつかり、その子の表情は笑みに変わった。


「あ、忘れてたが俺は東正剛。そっちの中性的に見える少女が望月響だ」


この人が東だったのか。全く偉い人物には見えない。今も何故か響という少女と言い争っているし。無駄に騒いでいる二人を尻目に、また二人の人物がやってきた。やせ型の男性と美しい大人の女性だ。


「やれやれ。本当にあの二人はいつも通りですね。混乱するでしょう」


「ええ、まあ」


「私は神谷幸作、そちらの女性は十六夜菜月さんです。これからもよろしく頼みますよ。PPAの仲間としてね」


 二人は右手を差し出してきた。オレも手を伸ばし、順に握手に応じる。何だか普通だと変な感じだ。僅か数分で毒されかけている自分に思わず自嘲気味な笑みがこぼれる。オレは軽く二人と言葉を交わし、晴れやかな窓の外へと目を向けた。

この瞬間が何故か心地いい。目の前の光景がとても尊く感じる。

だが、『今』の自分はここにいる誰の記憶も持ちえない。そんなオレがこんな幸福を享受してもいいのだろうか。この時間をなにより望んだのは過去の自分のはずなのに。


「つまらないこと考えてるでしょ」


 いつの間にか、ステラはオレの視界を占領していた。日の光に金色の髪が照らされ眩しい。


「一宮永遠は今も昔も……未来であっても変わらない。そう言ったのは君自身なのよ。だから——迷う必要なんてないわ」


 気持ちの良い断定だ。なるほどな。それならば、オレはその過去の言に従わなくてはな。


「なあ、ステラ」


「なに? 永遠クン」


「これからもよろしくな」


 とびきりの笑顔に一筋の雫がきらめいた気がした。

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World Error 天野静流 @amanoshizuru

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