第32話 第二夜~幻影

 ――午前零時ニ十分


「最初にして最高傑作か……。我ながら恐ろしい偶然があったもんだな」


「本当にその通りです。人造能力者なんて、初めは失敗するもんだと思っていましたよ。それがまさか、私たちの理念に必要なものに化けるとは……」


「理念?」


 オレの怪訝な顔を見て、奴は不思議そうな顔をした。だが、すぐに合点がいったように、ほんの少し口角を上げる。


「ああ、君はあれの代償で記憶がないのでしたね。なら、説明してあげましょうか」


 オレは奴の見下したような口調に苛立ちを覚える。だが、今は情報の方が重要だ。無用な怒りを腹の底へと押し込む。


「天成教とは文字通り天へ成ることを目的とした組織。簡単に言えば『神』と言われる存在を目指しているのですよ」


 ……馬鹿げている。いくら『World Error』の力を用いても全能の存在になど――


「くだらないと思っているでしょう」


 あっさりと心を読まれたな。表情に出しすぎたか。オレはゆっくりと息を吐き、表情筋に力を入れる。


「ああ、その通りだ。だが、そんなの当たり前だろ。Eコードは万能の力じゃない。不可能なことも多々ある」


 凍えるような無表情から不意に、嘲るような笑みがこぼれる。


「私がインプットさせた君の常識ならそうなのでしょうね。しかし、天成教は日々進化しているのですよ」


 奴は突然腰を折り、自分の影へと手を伸ばす。……菜月さんの影法師シャドウメイジか。彼女の白く細い手にタブレットのような薄い板が握られていた。取り出した機器に電源を入れ、空間にある映像を浮かび上がらせる。その形状はまるで棺桶。だが、異質に見える近代的な装飾の数々が不穏な気配を放っていた。


「これは通称『神の箱』と言います。特定の人間を収容することでその力を増幅し、支配することが可能になる画期的な発明品なのですよ。そして、入れる人物というのが……」


「オレのような『World Error』ってことか」


「御名答です」


 ……なるほどな。確かにそんなものがあれば、オレは垂涎ものの能力者だろうな。なんのリスクもなしに、オレ本来の力を使えるのだから。


「理解したよ。お前たちの目的は。まあ、心情の方は全くもって意味不明だが……」


「ご理解頂けたようで幸いです。それに、私どもの信念があなたのような若造に……いや、赤ん坊には受け入れられるとは思っていませんよ。当の昔にあなたにも、ステラ・ホワイトにも期待はしていません」


 奴は機器の電源を落とし、自分の影へと放り投げた。端末は底なし沼にでも落ちたかのように徐々に沈んでいく。


「ステラにも?」


「ええ、そうですよ。孤児であった彼女の才能を見込んで拾い、育ててやった私に反旗を翻したのですから」


 意外にも彼女は根っからの天成教の兵隊だったということか。だが、それならば何故オレを逃がしたのだろう。過去への好奇が徐に口を動かした。


「その話、詳しく聞かせてくれ」


「……まあ、いいでしょう」


 奴は面倒そうに足を組み替え、ふんぞり返る。


「ステラ・ホワイトと出会ったのは――あの子が八歳の時でした。その場所は能力者を軍事転用していた紛争地域。ステラ・ホワイトは傭兵だったのです。当時彼女はまだ幼く『World Error』としての力を引き出せてはいませんでした。ですが、それでも有象無象に負けることはなかったようです」


 オレは奴の話に耳を傾けつつも、警戒の意識を強く保つ。銃を構えている腕が少しきついが我慢するしかないな。まあ、そんなオレの心情もあの冷たい瞳にはお見通しだろう。だが、それでいい。アピールすることが重要だからな。


「しかし、戦場とは単純な強さだけでは生き抜けぬもの。完全に覚醒した今なら分かりませんが、当時は不可能だったようです。彼女は策に嵌り、生死の境を彷徨うほどの重傷を負いました。だが、幸運にも彼女は私の目に留まったのです。重体であった彼女の体も天成教の力で完治させ、その後は私どもの指導を受け、世界最強と言っても過言でない力を手に入れた。――しかし、何を思ったのかあなたが生まれてちょうど一年、彼女はあなたを連れて逃げ出した。本当に腹立たしい限りですよ」


 ……ステラにこんな過去があったのか。あの尊大な態度の裏に、何か抱える思いがあるのだろう。まあ結局、知りたかった彼女がオレを連れだしてくれた理由は知れなかった。それに、過去のオレとステラの関係も。だが、それよりも……。


「あんた今、一つだけ嘘ついただろ?」


「何のことでしょう」


「惚けなくてもいい。天成教が自らで嵌め、自らで助ける手法――所謂、マッチポンプをよく使うのは知っている」


「ああ、そうですか。無駄な虚言を吐いてしまったようですね」


 奴は嘘が暴かれようと、顔色一つ変えない。面の皮が厚いのか、感情が死んでいるのか、どちらにせよ不気味だな。


「これをステラは知ってるのか?」


「さあ? 知っているのではないですか。そうでなければ我々から逃げないでしょう。今となってはどっちでもよいことです」


「じゃあ、何故噓をついたんだ」


 今まで微動だにしなかった奴の表情が変化した。笑っているように見えるほど、口角が上がったのだ。だが、その顔を見ても、全く愉快な気持ちにはなれなかった。紫紺の瞳は得も言われぬ怪しさを放っているからだ。顔が同じでもここまで違うとは……。


「遊びですよ。ええ、唯の遊びです。つまらない昔話を淡々と話しても面白くありませんから」


 意外だな。こいつはもっと合理的に考える人間かと思ったが。なら、オレからも楽しみを提供してみるか。わざとらしく、改めて奴に向けて銃の標準を合わせる。


「だから、無駄ですよ」


 呆れたように奴は背もたれに体を預けている。だが、オレは問答無用と言わんばかりに、引き金へと指をかけた。その時――オレの体制が崩れる。がしゃんという大きな音が鼓膜を揺らす。暴発した銃弾は壁際の窓を突き破り、粉々に破壊したのだろう。自分の足を見ると、左足が地面に吸い込まれていた。


「本当に撃つとは……。存外、PPAも狂気的な教育を施したのかもしれませんね」


 余裕綽綽。奴の見下すような今の姿にもっとも相応しい言葉だな。オレは心臓の鼓動を落ち着かせるように、ふっと息を吐く。


「これはなんだ?」


「見ての通りです。十六夜菜月の影法師ですよ」


「……影を踏んだ記憶はないんだが」


「真影と半影というやつですよ。月明かりでできた大きな影に気を取られすぎましたね」


 確かに奴の背後のコンピュータは煌々と辺りを照らしている。保険をかけていた……そういうことなんだろうな。


「それで、まだ聞きたいことはありますか?」


 完全にこっちを舐めてるな。いや、それだけ自信があるのか。己が他の人間よりも優れているという自信が。だが、こっちとしても会話してくれるのは都合がいい。遠慮なく、つけ込ませてもらおう。


「そういえば……まだあんたの名前、聞いてなかったよな。教えてくれよ、性悪なあんたの名を」


「ああ、確かに名乗るべきでしたね。では、改めて……。私の名は<幻影ファントム>。天成教幹部の一人です。心配しなくてもいいですよ。性格は悪いですが、これは純然たる真実なので」

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