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 セイレムの街から北壁に至る道行きは複数の整備された街道によって繋がれている。商売を目的とした行商の道標として地図に記され点在する開拓村は数あれど、荒野と僅かな平原が混在して広がる特有の地形は時に方向感覚を狂わせ人を惑わせる。突発的な魔獣との遭遇率の高さ。加えて寒期の長い気候で知られる北の地で遭難は即、死にも直結する為に考案された苦肉の策。それが街道沿いに幾つか植林された森の経緯であった。時に魔獣から身を隠し。予期せぬ雨風を凌げ暖を取れる森は旅する者の生命線。今に至るまで魔獣の住処となる危険を多分に孕みながらも経済的な側面からは必要とされ────アストレアたちの眼前に広がる南の森もまた役割を同じくするそんな森の一つであった。


 ★★★


 森の入り口に到着した一団。先頭に立つはアストレアとエドヴァルドの姿。少し離れて団の纏め役であるユリウスを筆頭に戦列を組む鉄血の鎖の面々が続く。居並ぶ傭兵たちの表情に緩みは見られず緊張感を保った様子は既に戦場と等しい臨戦態勢で臨んでいる事を窺わせる。


 一人を除いては。


「お前たち......協会の指示を無視する不利益を承知の上での行動なんだろうな」


 平原を立ってからもう何度目であろう、随行員の苦言の言葉。決裂しても決別ぜず。嫌みに近い警告を繰り返しながらも離れず着いてくる男の行動は仕方がないと言える事情もあった。勝手にしろ、と団から離れ一人帰路に着くのは簡単で言うに易いが、実際にそれが如何に愚行に近い自殺行為に他ならぬかを知っていたからだ。


 協会で把握している魔獣の群れの動向は広域に網を広げ、追い立てる傭兵たちからの報告が元になっている。ゆえに当然ではあるが北壁を越えて来た群れ。それ以前から北方に生息していた群れ、と数多が混在している状況で一定数の漏れが生じる事は想定の範囲内。加えて単独で行動する魔獣は狩りの対象からは除外され、今も何処かで転化しているかも知れぬ突発的な魔獣の存在をも考慮に入れれば単独で帰途に着くなど無謀な話。ゆえに心情はどうあれ、例え拒絶されようと着いて往かざるを得ない男としては今の状況は苦渋の決断の結果に過ぎず望んでいた訳では決してないのだ。尤もそれが同情に値するかはまた別の話であるのだろうが。


「だから森の調査は後続に任せろって話ならちゃんと了解してるじゃねぇか。俺たちは指示に従って帰路の途中。けどよ街までの経路まで協会の連中に指図される謂れはねぇんだわ。そんなに俺たちと帰るのが嫌ならさっさと一人で行っちまいな」

 

 あくまでも帰りの順路として森を横断するだけだと言い張るエドヴァルド。街道に戻る経路としては余りに不自然ゆえに誰が聴いても道理に通らぬ屁理屈ではあるが、それが協会の意向を無視出来ぬ所属組とは異なり、無所属フリーの傭兵団ゆえの強みとも言える。


 無理が通れば道理が引っ込むの文字通り、決して褒められた手法とは言えないが、物理的にも止められる者がいない現場においては有効な詭弁と言い換えた方が正しい解釈と言えるであろうか。


 返す言葉を失い黙り込む随行員。アストレアはその傍らを通り過ぎ森へと立ち入って行く。エドヴァルドとは異なり自分の存在など眼中にはないと言った態度に離れて往く銀の背中に屈辱が滲む舌打ちが微かに漏れる。


 数人分の距離を離し先行するアストレア。続く鉄血の鎖の傭兵たちは周囲を見渡し警戒しながら歩みを進める。迷う程に広くなく、横断するに時を必要としない小さな森。然れど森の内。進む彼らの足取りは慎重で緊張感を孕んだモノであった。


 進む先、生物の鼓動も草木の囀りも聞こえぬ静寂に森の半ばまで。右手を横に静止するアストレアの動きに熟練の傭兵たちは統率された動作で乱れる事なく動きを止める。


 包まれる静寂に理由を問う声は生まれない。場に漂う臭い。それは彼らには馴染みに深く良く知る臭いであったがゆえに。人間の......肉が焦げ、脂が燃え、爪や髪が溶けた据えた嫌な香り。戦場で嗅ぎ慣れた死を連想させる悪臭の正体は例えて死臭と呼ぶべきモノ。人が立ち入った筈もないこの森に、今や濃厚に蔓延する死臭を前に誰の表情にも緊張の色が垣間見え内に抱く動揺を隠せずにいた。


 間を開けて。


 アストレアが視線で示す先。明らかに踏み均された草木の跡が......不自然に茂みを払って分かたれた細い脇道に一呼吸。躊躇いのない銀の背が森の奥へと姿を消して往く。エドヴァルドの合図と共に少し遅れて傭兵たちが続く最後尾。青い顔で鼻を押さえる随行員の姿があった。


 ★★★


 茂みを抜けると木々の間に広がる空間が視界に映る。広場と形容するには狭く小さな空き地。しかし映す情景から受ける違和感は見るに明らかで。草地を掘り返した後に再度埋め立てたのだろう、広範囲に渡って歪に盛り上がる地面はさながら墓標なき荒れた墓地の光景。此処で何が行われたか......人間の裏の世界を知る彼らには大凡察する事が出来てしまうのは皮肉と呼べぬ必然であったのだろうか。


「この手の遣り口は見せしめとしては珍しくもねぇが......何だってこんな場所で誰が、となるとこりゃ面倒臭い話になりそうだな」


 人知れず集められ殺された後に燃やされ埋めれる。眼前の光景は裏切り者への制裁や従わせるべく他者の前で恫喝と見せしめの為に行われる犯罪者集団の常套手段、その果ての惨状であると。ではあるが状況と場所が異質で異様。ゆえにであろう、アストレアの隣へと歩みを進めるエドヴァルドの言に異論を差し挟む者はいなかった。


 瞬刻、否定する声音は鋭く。


「いや......死臭の源は彼らではない」


 視線を木々に奔らせるアストレアが抜刀するのと、


「円陣を組めっ!!」


 ユリウスが号令を発するのは同時であった。


 ──がさり、と周囲の木々が音を鳴らして揺れる。見上げる樹木の枝の間を何かが飛び移り......濃厚な死臭を纏う存在が森の内、木々を伝って有り得ぬ速さで接近して来る。対して内に魔術師を外に盾の壁を形成する傭兵たち。輪の外で弓を番え幅広の大剣を構える姿はユリウスとエドヴァルド。


 緊張と畏怖が空間を支配する。


 警戒する人間たちの姿を前にして......だが、肉薄する脅威は去る事なく、アストレアの前方へと飛び降りたソレは纏う死と共に姿を現す。


 傾く陽光が照らし映すは爛れた朱色。恐ろしく歪で長い胴体部と手足を地に着けて這い寄る表皮は濁った血色で彩られ、伸びる首から先、人形ひとがたの頭部は壊れた仮面の如く潰れて原型の保てぬ鼻の上。鋭く長い緋眼が覗く。大きく裂けて剥き出しの剣歯から掠れて漏れる不吉な音色が静まる空気を絶えず揺らす。


 その姿は言語に絶し......まさに異形の一言に尽きるモノであった。




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