緋色の剣風

 ──人間は愚かさゆえに世界に拒絶され。


 ──表裏に返す絶望は新たな創世へ時代を導く。


 ──蒙昧なる愚者は己の首に縄を巻き手づから滑車を廻しだす。


 ──狂る狂ると。


 ──狂る狂ると。


 

 ★★★


 

 沈む夕陽が消え往く地平線。夕闇に染まる西の空。背に立つアストレアの銀髪を赤く......赤く染め上げる。向ける瞳に掛ける眼鏡を外す手が街道の石畳に残影を伸ばし、先へと見据える眼差しは朱よりも猛る深紅を宿す。


 向ける先、街道の彼方から響く地鳴りと震動に大気と石畳が、きりきり、と悲鳴を上げて断続的に震えだす。軈て視界に映すのは薄闇より色濃くはしる闇。数にして三十に達しようかという魔獣の群れが彼方より迫り来る。それは圧巻と呼ぶには悍ましく戦慄を禁じ得ない光景であった。


「私の運の悪さは折り紙付き。考慮していて正解だったな」


 遭遇した不運......にではない。


 遭遇した幸運にアストレアは感謝する。


 例えて凛として咲く花の様に。迫る脅威を前にして揺らぎのない澄んだ音色が響き消え、瞬刻に鞘から閃く剣光が抜き手と一対に斜めに地をなぞる。黒き濁流を前にして一歩として退かず流麗なる銀の乙女は一人立つ。


 剣の間合いの遥か先、速度を緩めて左右に広がる魔獣の様は黒き壁。黒半月を平野に描き獲物との距離を詰めていく。数の力で圧殺するは狩人の本能か......森で対峙した以前の魔獣とは異なり、群れとして統一された意志にアストレアを過度に警戒する様子は見られない。


 避け得ぬ激突を目前に深紅の瞳は閉じ往く瞼の内に。


「行くぞ、ベアトリクス」


 流れる制約は緋瞳へと至る。


 静から────動へ。


 緋色の残影は夕闇よりも色濃く、魔獣の眼前に駆けるアストレアの銀閃が荒野に旋律を響かせる。瞬断──魔獣の首を跳ね飛ばししなり返す剣閃が風鳴りとなりて並ぶ魔獣の胴を薙ぐ。瞬間、黒血を撒き散らし崩れる魔獣の合間から──刹那に迫る黒爪。密集し囲む黒壁は獲物を前に戦意を失う事なく牙を剥く。


「エル・カラート──」


 緋瞳が捉えるのは左右から襲い来る狂影。


 身を捻り、放たれたしなやかな流線が肉薄する前肢を断ち斬ると流れる刃はそのままに魔獣の頭部を横断する。が......二体同時の強襲はアストレアの伸ばし広げた空の手にその牙を迫らせる。


「──エスタ」


 無防備な手首を触れる間に飲み込む魔獣の顎。瞬間──内部から放たれた炎の衝撃に魔獣の頭部が爆散する。首から上を消し炭と化して大気に霧散させ、同時に二体の魔獣が崩れて堕ちる。


 一瞬の攻防で四体の魔獣を屠ったアストレア。だが、見渡す限りに映すのは獰猛なる魔獣の姿。依然として包囲を崩さず獲物を狙う。


「私の剣に嘗ての誇りおもみは既にない。けれど......」


 自分を想い泣いてくれる子がいる。


 真っ直ぐに英雄に憧れる少年がいる。


 特筆する程にあの子らが特別な訳ではない。幼さゆえに純粋で......何よりもありふれた夢。誰もが幼心に抱いたであろう未来への希望。


 だからこそ。


「お前たちに踏み躙らせて良い理由など......そんな理不尽を許す道理がないだろう」


 銀の髪を靡かせて剣の乙女は風に舞う。


 踏み込む先の一刀は魔獣の命脈を絶ち斬り、迫る牙を、鋭利な爪を、触れる刹那に躱しきる体術は人の域を逸脱する人外の御技。傍観せし者がこの場に居ない幸運にアストレアは感謝するべきかも知れない。狂る狂ると、狂る狂ると、黒血に身を染めて舞い踊る美姫の姿に、果たして映す現実に恐怖を抱くのは、脅威と恐れを抱くのは、魔獣の狂影か......それとも。


 誰かが言う。英雄とは人の範疇にあってこそ、と。


 物語の配役は人で在らねばならぬのだ、と。


 ──だが、それでもきっと彼女は笑っただろう。


 黙すれど覚悟の先で現在いまに立つ彼女の背中が全てで語る。


 凄絶で陰惨。それが例え人の領分を逸脱しようとも、その闘争は魂を揺さぶる程に美しい。血に塗れても誰かが為に振るう剣。その在り方ゆえに人は憧憬を抱くのだ。ゆえに訂正さぜるを得ないだろう。


 友が願った星の名をその身に刻む少女の闘争は、鮮烈で美しい光景であったと。





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