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先王の御世に推進された北方領の開拓。しかし五十年の歳月を経て得られた成果は費やした労苦に見合わぬ小さな農耕地。地図を広げれば二割程度にしか満たぬ開拓進捗。比して僅かな税収に何倍する対策費。積み上がる諸問題......北方領の存在が経済的に困窮する現王の治世において最早重荷でしかないと見切りを付けられたとしても不思議な話ではない。
或る意味で......百年に一度と記述される今回の辺境での瘴気の発生と連動した
★★★
「北方領の放棄は事実上の辺境地帯の拡大......そんな暴挙を大陸の諸国が容認する筈もない。だからこそ納得させるだけの被害が必要だと......」
悪意なき害意。
国の利害は臣民の命に勝る、と。
突き付けられた真実にアルヴィは呆然とする。
「仮定の話。全ての開拓村を失ったとしても王国の被害は然程の事はない。元々に重荷としていた代物だ。後を思えば寧ろお釣りがくるとすら考えているかも知れんな。これ程の規模の傭兵の運用に何故王都の本部が動かないのか、これで納得が出来たのではないのかね?」
ナグア王国としては切実な国内事情ゆえ。しかし動機がどうあれ第三国からして見れば大陸間協定に反する陰謀の類いの話でしかない。それに協会が荷担したと露見すれば被る対外的な不利益は考えるまでもない。ゆえに保険は必要。協会としては形式上、支部の独断と言う形を堅持する必要性があったのだろう。最悪の場合、全ての責任を取らせる為に。
「我々支部の人間は蜥蜴の尻尾と言う訳ですか」
「全く、とんだ貧乏くじを引かされたよ。これでは王国の目論みが達成されても頓挫しても我々には不利益が勝り過ぎる」
ゲルトの言う様に失敗すれば我々が身を切らされる......そんな単純な話で事が済む筈もない。協会が積み上げてきた信用の失墜。例え支部の暴走と釈明をしたところで伴う諸外国からの制裁は免れないだろう。
王国が目的を成就した場合でも協会が受ける損失は大きい。セイレムの街が新たな辺境との境界になれば此まで北方領の魔獣対策で派遣していた傭兵の依頼の全てが失われてしまう。北壁の代用品と化すだろうセイレムからは商業的な価値が消失し結果的には支部の存続に関する問題にまで事態が発展する事は目に見えて予想出来る未来図であった。
「それで、だアルヴィ君」
真剣な面差しから一転してゲルトはまるで喜劇役者の如く表情を和らげる。しかしそれは柔和と例えるには如何にも作り物めいた温かみに欠けるモノ。
「北壁陥落から時を経ずに我々協会は専門的な知識を有する組織として王国に提言をしていてね。北壁の再奪取......辺境に蔓延していた瘴気が
「しかしそれは......」
アルヴィは困惑する。王国の目論みが北方領の放棄にあるのはゲルト自身が口にしていた事。それが真実であるのなら思惑と外れる協会の提言など王国が受け入れる筈もない。そんな分かりきった現実と今更手遅れであろう、と言う二重の思いに言葉を詰まらせる。
「ふむっ、どうやら意思の疎通に錯誤があるようだね。王国に提言とは言ったが私はナグア王国に......とは一言も言ってはいない」
アルヴィの困惑を察したのだろう、ゲルトは嫌な笑みを向ける。
「ナグア王国を除く北域三ヵ国。それぞれの協会が帰属する国々に働き掛けてくれてね。勿論我々ナグア王国の協会はそれに関与はしていないがね」
建前上は、と何よりゲルトの表情がそれを雄弁に物語っていた。ナグア王国が詭弁を弄して事を進めるのであれば此方もやり様はある。そう言う事なのだろう。全ては駆け引き。そして自分が呼ばれた理由も助言を求められた訳ではなく規定路線を進む歯車の一部としてなのだと知る。
「北壁奪回に向けて三ヵ国で編成された合従軍がシェラード王国の国境......ナグア南方領付近にまで到達したと通達を受けてね。あくまで我々ナグアの協会は預かり知らぬ事態の急変ではあるが、そうともなれば此方も急ぎ準備を済ませねばならなくなったのだよ」
シェラード王国は南方資源を争うナグア王国にとっては紛争当時国。その敵性国家までもが遺恨を捨てて北壁奪還に立つ。舞台劇の台本としては大衆受けする呼び物だろうが......現実はまるで異なる事をアルヴィは知っている。誰も......どの国も辺境の拡大など望んではいないのだ。好んで重荷を背負う者などいる筈がないゆえにナグア王国は言わば辺境への緩衝地。その王国の長き歴史は自国が辺境に接する不利益を憂慮した多くの国々の思惑の上に成り立っているのだ、と。迅速かつ周到に準備された合従軍が全てを現し示していた。
「大陸全体の大義をナグア王国は拒否出来ない......結果的にナグアを含めた四ヶ国連合軍が結成されると言う訳ですか」
「傭兵たちのお陰で北壁までの露払いは進んでいるからね。後は」
「補給路の確保。それでセネ村が......」
大規模な行軍ともなれば補給路の確保は必須。まさかセイレムから北壁までの街道に長々と補給線を伸ばす訳にはいかない。であれば街道沿いに水源を有する中継拠点を設営するのが戦略上の道理。その条件に見合うのがセネ村と言う事なのだろう。
「既存の家々を物資の保管庫として代用するとして、周囲の畑を踏み均せば天幕を張るには十分だろう。まぁ、急造の中継地としては手間も掛からず丁度良い。アルヴィ君もそう思わないかね?」
「住民は......どうするおつもりですか支部長」
「合法的に接収するには時が掛かり過ぎてね。魔獣に襲われる前に村を捨ててくれるなら良し。そうでないなら」
相応の方法で退去して貰うしかないね、とゲルトは表情を変える事なく言い放つ。其処に悪意が見られぬゆえにアルヴィはより強い恐怖を覚える。
「兎に角、今は時間が惜しい。もし住民が王国の布告に従わず村に残っていた場合、アストレア君には接近する魔獣の群れの足留めをお願いしたい。別に討伐しろと言う訳ではないよ。村が襲われるのを阻止して貰えればそれで十分だ。他の傭兵団も現地に向かわせているから上手く合流する様に伝えておいてくれたまえ」
時間を稼ぐ。それには多くの意味合いが含まれているのは明白で......。
「彼女に何と伝えれば?」
「それは君。優秀な道具を上手く活用したまえよ。その為に真実が邪魔となるのなら......何が正解かは優秀なアルヴィ君になら分かるだろう?」
これは君が上に登る為の最大の好機だぞ、と悪魔が囁く。明らかに一線を越える誘惑は......ゆえに罪悪感を上回る対価の存在を期待させ、それに抗う事は今のアルヴィには難しかった。
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