鉄血の鎖

 魔獣の行動予測は歴史を重ねた研究の成果の賜物か近代に置いてその精度を増している。しかしどれ程に正確を期して予測を立てようと誤算の範囲を狭めはすれど、生じる事は避けられず、前後する刻限の差が時に生死を別つ事もある。


 ★★★


 日が昇り、朝日差す早朝の街道を進む複数の人影。周囲を警戒しながらも歩む足取りは確かなもの。統一感には欠けるが各々が使い慣れた武装に身を固める外装は戦士の風格を漂わせ、旅人非らざる纏う雰囲気が彼らの正体を明確に告げていた。


「おいおい......待て待て、止まれっ」


 一団の先頭を進む大男は野太い腕を豪快に振って後続を静止する。慌ててと言うには様子が異なり滲む声にも緊張の色は薄い。続く男たちも何事かと困惑すれど見渡せば見通しの良い平野。身に迫る脅威は感じぬゆえに止めた歩みに危機感は見られない。


 街道は少し以前から登りにやや傾斜した小丘への道が続き、大男が立つ先から緩やかに下って往く。視界を遮ると言う程の高低差ではないが、合流地点を目前に団員に警戒を促しているのだろうと、男たち......傭兵たちは気を引き締める。


 視点を退いて観察すれば、魔術師特有の軽装が少数混じる構成は即席の傭兵隊では見られぬモノ。それぞれの肩口に刻む固有の旗標は大剣に巻かれた鉄鎖。


 現す団名は鉄血の鎖。


 セネ村近郊に迫る魔獣の群れの排除を目的に街道を北進する傭兵団の面々であった。


「どうしたエドヴァルド?」


 不審そうに駆け寄る協会の随行員が街道の先を見据える大男を文字通りに見上げる。映る肩に担ぐ特注の大剣は大の男が二人掛かりで持ち上げるのがやっとと言われる重量を誇り、それを片腕で軽々と担ぎ上げる膂力 りょりょくを生み出す体躯は盛り上がる肉の鎧。四十を越えて尚衰えぬ巨躯をして称される二つ名は不倒の巨人。それが傭兵団、鉄血の鎖を率いる団長エドヴァルドと言う男であった。


「なぁ、お前さんはアレをどう見る?」


 エドヴァルドに促され随行員が向けた視線の先、下った街道を塞ぐかの様に黒点が道を埋め尽くしていた。その数は十や二十では利かない、まさに異様な有り様

で......。まだ相応に距離があり正確な判断は下せないが。


 ──魔獣の死骸。


 遠からず思い至った答えに随行員の表情からは血の気が引いていく。


「どの道、確認するしかねえよな」


 同意を求めたつもりはなかったが、同じ結論に至った事を察したのだろう、エドヴァルドが再度腕を振り少し離れた団員たちに合図を送る。


「こっからは気を引き締めていけよ、お前らっ」


 予見せぬ事態を前にして号令を下すエドヴァルドの声は声量に負けず力強いモノであった。


 ★★★


 死屍累々とは例えの内でなくエドヴァルドの眼前の光景を指して現す言葉だろう。進んだ先、魔獣の死骸が散乱し、流れた黒血が石畳を黒く染め上げ。滲む黒き血溜まりが点々と広がりを見せている。


「全く......とんでもねえな、こりゃ」


 一刀で断ち斬られたのであろう、魔獣に残る剣跡。中には魔法の痕跡を残す死骸も見受けられる。三十に近い魔獣がこの場で屠られた事実と合流地点で待つ傭兵は一人であると言う現実。誰がこれを成したかは明白に。これが夢ではないのなら協会の連中が顔を青ざめさせるのも頷ける。


 単体でも人間にとっては十分な脅威である魔獣。それを、これ程の数を......しかも同時に相手取り、単独で討伐したなどと他者から訊かされればエドヴァルドとておとぎ話として一笑に付した事だろう。


 目の前の現実を見なければ、だ。


 高次元で剣と魔法を組み合わせ、極まるまでに完成された特殊な剣技の体系。そんなモノを扱う化け物は経験豊かなエドヴァルドでも大陸を見て例えるべき存在が思い浮かばない。ただ一人、空想上にしか存在しない唯一無二の英雄を除いては──。


 六英雄エリアス.アークライト。


 脳裏に過るのは幼少時、良く夢枕に聴かされた英雄の物語。


「アストレア......」


「んっ?」


「此処に居る筈の傭兵の名前だ。彼女は......どうした......」


 相当事態に混乱しているのだろう、随行員は周りをまるで見えていない。反してエドヴァルドには初めから気づいていた事がある。ゆえに答えを示す様にゆっくりと平原に向けて指を伸ばしてやる。導かれ、指先を追う随行員の視界に少し離れた街道沿いに燻る黒煙を見る。


「ありゃ野宿の跡だろ。んじゃあ、少し俺が話して来てもいいかい? 今後の段取りを兼ねてな」


 ああっ......と呆然と黒煙を見つめる男は頷く。本来は己の役割であるにも関わらずあっさりと認めたのはまだ混乱の内にある為か......或いは得体の知れぬ存在を前にして二の足を踏んだのか、どちらであれエドヴァルドには都合良く、ゆえに敢えてそれに口を挟む真似はしない。


「お前らっ、先客さんが面倒な仕事を終わらせてくれたんだ。後片付けくらいはこっちでやるぞ。ちゃんと全部纏めて焼いておけよ」


 エドヴァルドの号令で唖然とした様子で状況を静観していた団員たちが動きだす。行動を起こせば其処に迷いはなく未だ狼狽する随行員と比べ見て手慣れた姿は場数の違いを窺わせた。


 そんな団員たちを横目にエドヴァルドは歩みを進ませる。少し先、目に見える黒煙の袂へと。


 ★★★


 一夜を明かしたのだろう、既に消え掛けている焚き火からは既に炎の色はなく燻る黒煙のみが宙へと昇る。視線を下ろせば焚き火の傍に片膝を突き鞘を抱える様に体の重心を預けて休息を取るアストレアの姿が在る。


「時間通りの到着だな」


 落ち着き静かな音色。


 大分前から他者の気配を捉えていたのだろう、遣って来たエドヴァルドにアストレアはフードを下ろして素顔を向ける。照らす朝日に輝く銀の髪。端麗な容姿に拭い切れぬ黒血を纏っても、全身を黒き血に染めても尚、その見姿は陰る事なく美しく......年齢差にして一回り以上は離れているであろう、にも関わらず少女の美麗な様相にエドヴァルドは一時いっとき目を奪われる。


「お前さんがアストレアか......なるほどねぇ、生涯でこうも立て続けに驚かされるとは......俺はまだまだ未熟で世界は広いって事かねえ」


 お前が魔獣を殺ったのか、とはエドヴァルドは訊かない。訊く理由がないからだ。見れば分かる現実に疑問で返すのは時間の無駄でしかない。ゆえに別の理由で観察者の眼差しをアストレアに向けていた。


 最早容姿については語らずとも、目を惹く程に特筆すべきは瞳に掛ける眼鏡の存在。特殊な硝子を加工して魔術的な処理を施す事で視力を矯正する魔法具は高度な魔法技術と貴重な素材を必要とする為に恐ろしく高価なモノ。ましてアストレアのモノは精巧な意匠を凝らせた年代物の一品。その価値は計り知れない。


 補わねばならぬ程に視力が劣るのは傭兵として生きるには致命的。しかし初対面の人間にまで無防備に晒すのは余りにも迂闊に過ぎる。勿論、自衛出来る腕ゆえの自信の現れなのだろうが、その容姿と相まって価値を知る者たちに知られれば襲ってくれと言わんばかりの無警戒ぶりに若さゆえの未熟さをエドヴァルドは見る。


「済まないが水を分けてはくれないか? 水筒を壊してしまってね」


 と、腰に吊っていた空の水筒を手に取るアストレアに、


「ああっ......」


 生返事で返し自ら予備の水筒を手渡すエドヴァルドの意識は上の空。まったく話を訊いていなかった。


 全く以て惜しい......。


 向ける眼差しはアストレアの胸元。外套から覗く小ぶりな胸の膨らみに胸中で嘆息する。せめて後五年は成長が必要だ、と。しかし逆に胸元を注視していたお陰で気付けた事もある。アストレアが水筒を逆手に懐の内に有る小袋に手を伸ばし器用に摘まんで取り出したモノに。


 小ぶりの毛虫。それを躊躇なく口元に運ぶアストレアの手の動きにエドヴァルドは思わず遮る動作で払い除けていた。一瞬の間。弾かれた毛虫は宙を舞い草むらへと姿が消える。


「こらっ、止めなさい!!」


 知らず叫んでいたエドヴァルドに糧食を先の戦闘で失い、折角見つけた貴重な食料を失ったアストレアは無言のままにすっ、と視線を傾け、真顔で見据えられたエドヴァルドは慌てて予備の糧食をアストレアに手渡すのであった。




 

 



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る