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 空に昇る黒煙。


 寒さを凌ぐ術でなく瘴気を抑える知恵として。街道沿いに集められた魔獣の死骸が燃える大火の内で形を崩し灰へと帰していく。


 古来より炎は魔を払うと信じられている。


 魔獣が内から発する瘴気がどの程度人体に影響を及ぼすか......皆が恐れ、誰もが恐れ。己が魔獣へと転化する。そんな漠然とした不安が常に混在する今の世で、根拠の希薄な迷信と笑える者は一握り。ゆえにどれ程に手間と労力が掛かろうと可能な限り魔獣の死骸を焼却する事に不満を漏らす者はいなかった。


 ★★★


「なぁ、嬢ちゃん。ウチに入らねえか?」


「遠慮する」


 風に乗り東の空へと線を引く黒煙を眺めているエドヴァルド。傍らで黙々と糧食を口に運んでいるアストレア。両者の会話は唐突に......そして短き内に終わる。


「つれないねぇ、年長のおじさんの話は為になるからまぁ聴きなさいな」


 アストレアの冷淡な態度を前に飄々と動じた風もないのは経験ゆえか性格か。エドヴァルドの様子を見るに話を終わらせる気配は微塵もない。が、それも頷ける話。アストレアの傭兵として見せる熟練の雰囲気は高々二十年も生きぬ若造が纏えるものではないゆえに埒外。一朝一夕に身に付くモノではないだけに興味を抱かぬ方が難しいのだろう。


 だがエドヴァルドが何より気に掛けるのは......技能に裏打ちされた生きる術。それを有するアストレアに只一点欠けているモノ。誰もが彼女に抱くであろう、他者に対する共感性の欠如。生きる術に長けながら生き方が下手な少女の存在に、彼方に重ねた面影をエドヴァルドは遠く己の過去に視る。


「嬢ちゃんもその若さで色々と複雑な事情があるんだろうが、傭兵なんて因果な稼業に身を置く奴は大体が似た者同士。大なり小なり面倒事を抱えた厄介な連中さ。だから嬢ちゃんも」


 ──躊躇なく遮る低調な声音。


「君が私に対して何を指摘したいのか遠回しに言わずとも汲み取れる。けれど君の勝手な想像は埒外で的外れなモノ。私は別に自分だけが不幸だと世を嘆くほど世界を知らぬつもりはないさ」


 若さゆえの過度な感傷。独善的な思考から生じる疎外感。それら内に完結した殻に閉じ籠っている訳ではないと......相手の言葉を淡々とアストレアは否定する。


「節介が過ぎるって訳かい。まぁ済まし顔の小娘が何を以て他人を寄せ付けないのか......訊いた俺が間抜けだわな」


 アストレアに向けられる挑発的な強弁。裏腹にエドヴァルドの表情に怒気の色は薄く、寧ろこの問答の先に別の何かを視ている節すら垣間見える。


 静かに流れる刻。


 漏れる短い嘆息。手を止めたアストレアがゆっくりとエドヴァルドを見据える。交錯する瞳の奥に覗くのは底の見えぬ深淵。


「私が他者との関わりを極力避けるのは──」


 人間に心底失望しているからだ、と。


 言語に絶する言魂は余地なき拒絶を。荒げるでもなく囁き告げる。


 小娘の戯れ言と笑えぬ程の言葉の重み。この少女の過去に一体何があったのか......窺い知れぬ深き闇を其処に垣間見る。


「なるほどねぇ。人間嫌いも此処に極まれり、か。おじさん悲しくなっちゃうぜ」


 太い指で己の鼻を掻き天を仰ぐエドヴァルド。


「なら客分扱いでもいいぜ。なぁに心配はいらねえ。ウチの野郎は馬鹿ばかりだが気の良い連中さ。慣れちまえばお前さんでもきっと上手くやってける。それに衣食住。お前さんが苦手な日常は団として面倒を見てやるよ」


 あれだけの拒絶を前に折れる事なく力強い声。どうにも揺るがぬ意思にアストレアは再度エドヴァルドに視線を向ける。


「出逢ったばかりの私に何故何処まで執着するんだ? 私が見た限り君は相当の手練れだしその君が率いる団の実力は推して知れると言うものだ。ならば寧ろ協調性に欠ける異物を内に入れるのは得策とは言えないだろうに」


 自分を其処まで必要とする理由が分からない、と。アストレアは疑問を口にする。


「何故ってそりゃあ、お前さんの強さが理由に決まってんだろ。お前が加わる事で死なずに済む連中が増えるなら他の全ては余談に過ぎねえ。俺にとっちゃどうでも良いのさ」


 求めるのは純粋な強さのみ。傭兵としては非常に真っ当で明確な解答。しかしエドヴァルドの面差しに冗談染みた色はなく、確かな意思を内に秘めた眼差しは揺るぎない信念を感じさせるものであった。


「北壁で五人失った。それを悔やみも後悔もしちゃいねえ......自分で選らび臨んだ戦場だ。けどよ、死んで欲しい奴は一人だっていやしなかった。だからよ、どうしても年寄りは考えちまうもんなのさ。あの場にもしもお前さん見たいな奴がいたら何人死なずに済んだろうってな」


 ゆえに次に後悔を残さぬ為に出来る準備も努力も怠らぬ。それが団と仲間の命を預かる大人の責任なのだ、と。誇るでもなく語って見せる。


 両者の間に生まれた沈黙は続く事はなく......。


「おいっ禿げっ......おっと、団長!!!! 何時まで一人でさぼってやがる。人手が足りないんだから手伝ってくれよ」


 遠くから届く声。重なる周囲のヤジが合唱となって此処まで響いて来る。求める声に巨体を上げてエドヴァルドはアストレアに背を向ける。


「俺様の薄毛を弄った野郎は前に出ろ!! 直々に絞め殺してやるからよ!!」


 肩を怒らせ歩む先......一度だけアストレアを顧みる。


「仲間ってのはいいもんだぜ。それが今のお前さんに一番必要で欠けたモノだと俺は思うがね」


 去り往く背に答える声はない。だが......追う事なく伏せるアストレアの瞳は寂しげに。


 言われずとも私が誰より知っている。


 寂しげに呟き漏れる言の葉は風に乗り......誰に届く事なく消えて往く。




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