2
天を劈く魔獣の咆哮。緋眼に捉えるはアストレア
爛れた表皮を隆起させ集約された力の全てで地を蹴り趨る。──残影が虚空に軌跡を描きて爆発的な瞬発力から生み出される速度は加速度的に。一瞬で魔獣を到達点へと至らせる。人間が反応出来ぬ速さ。視覚すらも追い着けぬ超常の領域に。
柔軟と例えるよりは軟体の生物。関節と言う概念を喪失させ鞭の如く撓る腕が左右からアストレアに迫り。角度からして異常。腕の先、魔獣の鋭い鉤爪が死角から襲い掛かる。
──森に激しく木霊する金属音。
時間差のない魔獣の両の鉤爪が見えざる何かに弾かれ......返る衝撃と反動は両腕を天へと投げ出させる。阻んだモノはアストレアの剣閃か。なれどその白刃は捉えるに敵わず。
──流れる緋色の眼差しの先、時間と現象が逆転する。
過程を経る事で結果に至る......普遍的な定理を覆し遅れて虚空に刻まれる炎刃の軌道。盛る深紅の残炎が交差する斜め十字の軌跡を遺す。映し出す現象に。一刀を以て左右の鉤爪を弾き飛ばした剣技の極致を其処に見る。
が......瞬刻の攻防は終わらない。最後に浮かぶ炎の残滓の一筋が消え往く刹那に魔獣の表皮を縦に。裂かれた胸部から吹き出す黒血が絶えず蒸発して消える。眼下に佇む麗人の切っ先は再び大地に沿い。対して灼熱する剣傷に雄叫びを上げる狂獣が跳び退いて往く。一閃にして三刀......それは人知を越えた三連技。個にしてアストレアは魔獣を圧倒する。
離れる両者の距離。
魔獣は己を内から焼き焦がす裂傷に爪を立て、焼ける患部の肉を剥ぎ、抉り取って投げ捨てる。瞬く間もなく燃焼し形を失う肉片は地に落ちる迄に燃え尽き消える。抉り取られた胸部から溢れる黒血が爛れた魔獣の表皮を一色に染め上げて、尚衰えぬ闘争の炎を緋眼に宿す獣の咆哮が森に木霊する。
広がるは......まるで伝承や物語で語られる光景。
現実と幻想の狭間で垣間見る闘争に誰もが息を飲み魅せられていた。壇上の配役は異なれど......織り成す劇中の一篇は、幼き頃に皆が聴かされ育った有名な物語。魔神王と英雄の死闘の一場面を想起させ。不謹慎の極みなれども緊迫した状況を一時なりと忘れさせる程に胸を踊らせる。そんな情景であった。
「良い気概だ」
アストレアは魔獣を前に誇らしく謳い。その足を半歩前に。纏う螺旋の炎蛇は激しく燃え上がる。
宣言が合図の如く。
瞬時に趨る二つの緋色。人の目に追えぬ両者の剣戟は。交錯し触れ合う爪と刃が虚空に流れて火花を散らす。一撃の読み合いから一転して様相を変え近接の間合いでの激しい剣戟。打ち鳴らされる共奏にアストレアの肢体が躍動する。圧倒すれど対するは高位の魔獣。人知を越えた身体能力は上回る炎刃の致命的な一撃を巧みに避けている。ゆえに僅かな誤りで形勢は覆り破局に至る。そんな死線に舞う銀蝶の乱舞は儚いがゆえに美しく。両雄は刹那を燃やし互いに譲らぬ死闘を繰り広げていた。
★★★
息吐く暇もない攻防の先。踏み込む銀影を眼前にして一際高く魔獣が吠える。
──マ......モル。
──マケ......テ......ナルモノ......カ。
決着の刻。
魔獣の胸元深く斬り込むアストレアの耳朶に響く声。阻み迫る鉤爪を奔らせる銀閃が右の腕ごと斬り飛ばす。虚空で燃える魔獣の腕は鬼火の如く。映す緋瞳に残滓を残す。
返す刃を肩口へ。引き寄せ構える
が────緋色の瞳が見開かれ......魔獣は予測を越えて僅かに速い。避けた先。アストレアの左の肩口を魔獣の鋭利な爪が刺し貫き......それは心核を違わぬ剣先が魔獣の背から覗くのと同時であった。最後の瞬間......魔獣の妄執はアストレアが至る高き峰へと届いて見せる。
傷口から滲む血はアストレアの白き肌を朱に染めて......しかし追撃に至る二の手は最早なく惜しくも及ばぬ魔獣は力尽きて大地に膝を突く。傾く四肢を前にして、貫く爪をそのままに。アストレアは両腕を伸ばして抱く様に内から支える。互いの刃で傷を負い......それでも支え合って立つ二人の姿はまるで恋人たちの逢瀬の如く。
「想いは確かに受け取った。旅立つ君のそれが救いに為らずとも......払われた代償に必ず報いを与えよう」
アストレアは黒血に汚れる事を厭わず魔獣を抱き寄せる。心核を砕かれたゆえにか......いや、最後に遺る残滓の導きに......抗わぬ魔獣はその胸に少女を抱く。
──アス......ネェ......サ......ン。
──オレノ......エイユウ......マタア......エ......タ。
声なき想いの欠片。
「案ずる必要はない」
応える可憐な音色は穏やかで温かく。包まれる魔獣の緋眼が静かに閉じられて往く。
「遠からず訪れる終着の刻......至る最後の門で」
また必ず君と出逢うだろう。
アストレアの儚き鎮魂は惜別の言葉に非ず。また出逢う為の誓い。
楔から解放された炎撃が火柱と成って天へと伸びる。魔獣の姿を炎の内に。葬送と葬送と。それはまるで少年の魂を空へと還すかの様に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます