陰謀の残影

 大陸歴1325年。初冬。


 北壁陥落から三十日。


 ナグア北方領での魔獣への大規模な反抗作戦は協会が主導する形で行われ、大陸各地から集まる多国籍な傭兵たちが時に入れ替わりながらも最終局面に向けて盤面を進めていた。兵役とは異なり制約が少ないゆえにか。携わる傭兵は延べ数万の単位にまで上り、実地に赴かぬ支援要員を含めれば二桁にまで届く。これら動員された人員の規模を以て関わる者の誰もが気づいていた事だろう。今まさに歴史の転機に己が立ち会っている事に。


 この戦いが北域最大の戦役として歴史に刻まれるであろう、と。


 ★★★


 セネ村の広場。


 武装した人影は四つ。少し離れて一つ。共通するのは合流を果たすまで油断なく周囲を警戒しながらも家々を捜索していた事であろうか。


 日も高くこの時刻、何時もであれば冬支度に追われる村の男衆も。井戸端ではしゃぐ子らの姿すら霞みの如く消え果てて、女たちが家事に勤しんでいる筈の家々からは煙の一つも昇る様子は見られない。


 先日までの営みを生々しくも残す無人の村は廃村とは赴きが異なり、日常と変わらぬようで異なる風景はごく近い時期に捨てられた村であると言う事実を浮き彫りにしている。であれば今の北方領の情勢を踏まえ見て......まして避難が勧告されている開拓村であれば尚の事。この状況に違和感を覚える者は少ないだろう。


 しかし、少し目端が利く者であれば気づけたであろうか。家々の戸口に残る鏃と剣の傷跡に。歴然とした介入者の存在を。手口としては然程に巧妙と呼べる周到さはないが、無用に現場を荒らさず証拠を残さない荒事に慣れた様子が窺える。


「このやり口は連中の仕業で間違いねぇだろうな」


 広場の一団は気づける側の人間。五人の男女の内。他に比べ頭二つは抜けた巨躯を誇る男の言葉がそれを証明する。並ぶ少女は纏う外套に面差しも深く。時折覗く左の肩口から二の腕に掛けて白い肌に巻かれた布に血が滲む手当ての跡が痛々しくも印象に残す。


「奴隷商人......ですかね」


「でもなぁ。奴隷商と協会が手を組むってのは......」


 残る三人の内。傭兵と思しき屈強な体躯の若者二人が口にする疑問は当然で。奴隷を扱い売買する奴隷商人の存在は非合法ではないにしろ生業としては後ろ暗い裏側に属するモノ。仮にも国に帰属する公の組織がこの手の連中と結託すると言う図式は中々に描き難いと言うのは分かる話ではあった。


「コイツも知らねぇと言い張ってるしなぁ」


 若者の視線の先、顔色悪く俯く中年の男の姿。一団の残る一人は傭兵団に同行し戦果と動向を報告する役割を担う随行員。その協会の関係者である男は向けられた眼差しに萎縮した様に身を震わせる。森での一件以降、強気な姿勢は一変し怯えた様子を隠せぬ姿が其処に在る。


 森での死闘の後。セイレムに戻る帰投組と別れ、行動を別にするアストレアとエドヴァルドたち少数組の姿がセネ村の広場に在った。


 ★★★


 奴隷商人が傭兵団やどこぞの国の少隊長らと結託して敵国の住民を拐う。紛争地域であれば良く聴く話。その結果として村や小さな街が地図から消えるのも地方での話ともなれば有る話だろう。


 兎角、奴隷と言えば性の対象として女子供の印象が強いが、それは商品としての価値と単価の話でしかない。ゆえに奴隷の大半を占めるのは働かせるに費用の掛からぬ労働力としての男たちだとされている。国の事情を鑑みても危険も多く重労働で、加えて賃金も高くないと言われる鉱山での人手は成り手も少なく引く手に数多。常に人不足に悩まされている。それを思えば鉱山資源に頼らざるを得ないナグア王国や隣国であるシェラード王国にとって奴隷に対する認識を今さら問うまでもないだろう。


 ゆえに疑念の元は其処になく......問題なのは。


「普通に考えれば首を捻る話。が、レイアがこの村に派遣されたって件と随行員こいつの話を合わせてみりゃあ協会が無関係とも思えねぇ。まったく困った話だぜ」


 随行員の男が何も知らぬのは話した通り。詰問したアストレアに嘘を吐ける度量がないのは今の男の怯え様を見れば明らかで。しかし男が協会から指示されていた内容を思えば関与は明白に。それが疑い様もなく事態を複雑にしていた。


 一定の日時。指示があるまでセネ村に傭兵たちを近づかせぬ事。後に森への立ち入りを幾度となく拒んだ事と今に思えばアストレアを敢えて鉄血の鎖に組み込む事で行動に制限を掛けたのでは、と。すんなりと疑惑の欠片が埋まってしまう。


「まぁ、それは後回しだわな」


 現状は知れた。ゆえにまずは蜥蜴の尻尾を捕まえるとしようかね、と。エドヴァルドは現実的な話を口にする。


「奴隷商人か連れ去られた村人たちを見つけるのが先決。そう言う話だろうエドヴァルド?」


 向けられるアストレアの疑問の声にエドヴァルドは豪快に笑って頷いてやる。全体像は未だ掴めずともやれる事は別にある。それに......脳裏に過るのは森での出来事。全ての団員たちの前で深く頭を下げるアストレアの姿。


 ──どうか協力して欲しい、と。見返りに私に返せるのはこの剣の腕だけ。ゆえに君たちが十分に対価が支払われたと納得がいくその日まで私は忠実な剣の一本となろう。


 真摯に。悲壮に。告げる少女の生真面目に過ぎる在り方を思い出し......エドヴァルドは絶えぬ心労に胸中で嘆息してしまう。ユリウスなどはアストレアの姿見を評して傾国の類いの魔性と言うがエドヴァルドからして見れば悪女の資質と例えるよりは良くも悪くも純朴で。悪い男に誑かされぬかと本気で心配になってしまうのだ。


「その為にユリウスたちを先に戻らせたんだ。待機組と合流すれば頭数も十分だろう。蛇の道は蛇ってな。俺たちにはそれなりの伝手もある。まぁ心配するな」


 そんな杞憂をおくびにも出さず、安心しろと告げてやる。


 アストレアの手前。言葉を濁したが、あの森で殺されたのは恐らく役に立たぬ老人たちと抵抗した者だけだろうとエドヴァルドは推察している。ならば地元の地方の街に。誰の顔馴染みが居るかも分からぬセイレムに連中が奴隷を連れて逗留するとも思えない。需要を考えてもこの北方領では高くは売れず、加えて奴隷の市を開くには顔役たちの許可もいる。ゆえに相応の金と時間が掛かり高値も付かぬ北の領地での売買はないと踏んでいた。


 王都まで持ち込むか。高値が見込める南方領まで足を伸ばすか。どちらにしても長旅の過程の此処かで捉えられるだろうと思いながらも......確信を以て思えば思う程。エドヴァルドの思考は初めの疑問に巻き戻される。


 前記の理由を含めて見ても、こんな北の外れの開拓村を襲って奴隷を得たところで労力に見合うだけの価値がないと言う事に。不利益は多く実りは少ない。長旅の移動に金と時間を費やしたあげく比して危険だけ大きく増して往く。


 はっきり言って利に合わず、それに協会が関わっているともなれば......理解が及ばず真相などは遥か遠く霧の内。思考の底に囚われるエドヴァルド。その様子を深読みしたのか、アストレアが合いの手を入れる。


「私も協会の勧誘員スカウトを一人知っている。街に戻ったらそれとなく探りを入れて見よう」


 アストレアの思いも掛けぬ提案に......若者二人は顔を見合せ。刹那にエドヴァルドが腹を抱えて笑い出す。


「レイ......アが探りって......お前......自分の会話能力を......過大評価しすぎだろっ。ぐふっ......想像させるな。おじさん死んじゃうから......もう止めて!!!!」


 言葉が続かぬ程に笑い転げる筋肉達磨を前にして。無言のままに表情一つ変える事もないアストレアだが......次第に白い肌が紅葉の如く紅潮していく。


「無駄に言葉を交わさずとも肌を重ねて篭絡させる方法もあるだろう。生娘ではあるまいし余り私を見くびらないで貰いたい」


 ぴたり、と笑い声が止む。


 若者二人は愕然と。エドヴァルドに至っては一変して放心状態でアストレアを眺めている。売り言葉に買い言葉。無論アストレアに男と閨を共にした経験などある筈もないのだが......勢いで虚言が口から滑り出す。


 軽く流されると思っていた小さな嘘は......だが、男たちの表情は同情に満ちていた。アストレアの不器用さを知るだけに想像する物語は簡潔に。きっと悪い男に騙されたのだろう、と......居た堪れぬ風情で若者たちが顔を背けて往く。


「レイアちゃん......俺たちは仲間だ。だから無理せず......もう泣いてもいいんだぜ」


 感情移入の極みの如く。巌の表情は慈愛に溢れ。真顔で慰めてくるエドヴァルドを前にしてアストレアは顔を深く傾け。黙して語らず。冗談と、弁解の機会を逸したゆえに。小さな耳朶まで真っ赤に染めて。


 空には小鳥が一羽翔び立ち。


 随行員が放った定時連絡にはただ一文。


 事もなし、と綴られていた。



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