セイレムへの帰還

 セイレム近郊の街道。


 見渡せば人の列。街道を往来激しく荷馬車が行き交う光景が広がり。馬に乗り、或いは徒歩で北を目指す傭兵の一団は切らす事なく視界に映る。前線への交代要員。補給地点への食料の運搬と警護。最前線で魔獣を狩り。追い立てる傭兵たちが戦功を挙げ、活躍出来るのは戦線を維持し継続させている彼ら裏方の役割が大きい事は語るまでもない。


 街を立つ者あれば戻る者も在る。


 遠く先、セイレムの街を望み。向ける歩みは対照的に暗く鈍く。意気揚々と戦果を誇る一団はごく疎ら。大半の表情は疲労の色も色濃く寡黙に。馬車の荷台に乗る者たちは重度の怪我を負う者たちが目立ち。幸運にも遺体を持ち帰れたのだろう、物言わぬ亡骸も少なくはない。


 総じて前線帰りの傭兵たちには悲壮感が漂い。過酷な現実を浮き彫りに。同じ人間相手の戦とは異なり、群れ同士の連携も戦術的な抵抗すら考慮から外せる原始的な獣を相手取り、野戦において優位に立ち回れる筈の人間たちが......大局的には優勢に進めても人的被害は決して小さく収まるものではない。これが個として人間を圧倒する魔獣。歴史に繰り返される死闘の現実であった。


 ★★★


 それら往来する傭兵たちの内。セイレムの街を間近にアストレアたちの姿が在る。


「街に戻ったら直ぐにウチの医者に見てもらえよ。正式な資格は持ってねぇが男の街医者に診察されるよりお前さんもいいだろう?」


 街が近づくに当たりエドヴァルドはアストレアに何度目になるだろうか、注意を忘れない。出血を止める為に魔法で傷口を塞いだがアストレアの肩口の傷は治癒魔法で癒させる程に軽いモノではなかったからだ。


 魔法の体系化が進んだこの時代。治癒の魔法は資質に依存する為か魔力量で位階を上げる他の系統魔法とは異なり未だ確立されぬ信仰の分野に属している。解明浅く低位に留まる魔法ゆえ、得て不得手。個人差こそあるものの、神殿の神官と一部の魔術師たちが扱える初歩の魔法として裾野も広く知られている。が、勝手良く扱える反面。大きな弊害もまた抱えていた。


 傷口を塞ぎ止血効果に優れ傷痕も残さない......と言えば聞こえは良いが癒やせる範囲は軽度の裂傷程度とされ。見た目に反して内なる傷はそのままに。自然に回復する軽症ならばまだ良いが、臓器に届く傷などを放置すれば悪化した部位が壊死した結果死に至る。なまじ外見の傷を癒し過ぎる為。後の治療を疎かにさせ、一時期は手遅れとなる外傷者を続出させた曰くを残す魔法であった。適切な診断を困難にするゆえに治癒魔法に頼るのは医者に見せた後にと。今では多くの教訓を踏まえたそれが常識となっていた。


「この程度の傷は自然に治癒するし、それに私は女性の扱いに慣れている訳ではないよ」


 言葉尻に同性と仄めかすエドヴァルドに応えるアストレアの声音は淡々と。しかし出会った頃に比べれば分かる者には分かる程度の微細な変化ではあるが......心無しか言葉の響きは柔らかい。


「それじゃまるで男の扱いになら慣れてる様な物言いに聴こえるんだが......気のせいだよな?」


 多分に茶化した様子が気に入らぬのか、アストレアは、ぷいっ、と顔を背けて無視を決め込む。が、後に誤解を解いたと言えど先日の反省ゆえか気配も殊勝に大人しく。横目で窺い見るエドヴァルドなどは似合わず愛らしい姿に胸中で苦笑を漏らしてしまう。


 街の全容を視界に映し近づく町並み。会話の切れ目を測っていたのだろう、後ろから若者が足を速めて距離を詰めて来る。それと促す視線の先は少し離れて最後尾。随行員の男の姿が在った。


「団長。本当にアイツを街に帰していいのかよ?」


 随行員の男との申し合わせに懐疑的な若者は口調に不信感を滲ませる。男を監視する様に後方を歩く相方の若者も同意件なのだろう、と匂わせる態度がそれを物語っていた。


 鉄血の鎖は協会の指示に従い森には立ち寄らず街への帰路に着いたと協会には報告させている。森での出来事も。セネ村に戻った事も。何も知らぬし見聞きもしていない。ゆえに街に戻った後も目新しく報告する事もない、と。物騒な話し合いの結果ではあったが本人もそれを了承し此処まで約束を違えずに守って来ている。ならば一方的にそれを反古にするのは道義に合わぬだろうとエドヴァルドは若者を嗜める。


 だが、若者の憂慮も尤もで。


「森での一件を協会に報告すればどうなるか、ちゃんと語って訊かせてやっただろう。俺たちとアストレア。特にアストレアに対するあの男の恐怖心は本物だ。確かに俺も遠い先まで約束が守られるとは思っちゃいねぇが、少なくとも俺らが街に居る間に何かを画策出来る玉じゃねぇよ。アイツはな」


 随行員の男を詰問するアストレアの鋭くも怒りに満ちた緋色の瞳をエドヴァルドは鮮明に思い出す。それは男でなくとも心胆寒からしめる光景で......あんな眼差しをもしも自分に向けられたらと思うだけで心底ぞっとする。エドヴァルドですらそう思うのだ。あの男が内に抱く恐怖に対して反骨心を以て抗えるとは到底思えない。


「まぁ最悪。アイツが報告したとして、それで協会が何かしら動きを見せてくれたなら、それはそれで面白れえじゃねぇか。色々と知れる事も有るだろうし此方も話が早くて助かるぜ」


 既に依頼を終えた身としてはこの国の協会と揉めたところで痛痒もなし。稼ぎ場などは大陸を見渡せば幾らでも。気に入らねぇなら従わぬ。それを通せるのが国や協会に属さぬ無所属の強みであるとも言い換えられる。


 会話の最中も歩みは進み。気づけば一行は街の入り口に備わる大門を。続く道の先に見る。


 まぁ兎も角、と。エドヴァルドは豪快に若者の背を叩き。


「レイアの頼みは残っちゃいるが、まずはこの国での仕事は終い。なら逝っちまった馬鹿共を酒の肴に送ってやるのが先だろう。小難しい話は後回し。まずは酒宴の準備が最優先だ。分かったな糞餓鬼共」


 傭兵たちが仲間を偲び弔う作法は今も昔も変わる事なく。ゆえに。今夜は夜通し騒ぐぜ、とエドヴァルドは豪快に笑う。


「ネスの許可次第だが、当然お前さんも強制参加だぜレイア」


「ネスとは誰を指している?」


 淡々と応えはするが、突然に話を振られた上に聞き慣れぬ名前を聴かされたアストレアが戸惑うのは尤もで。


「おっと......ネスはお前さんの担当医で潜りの女医ってやつだわな。同性のお前さんはサリアとでも呼んでやってくれ」


 名はネセサリア·イヴァンス。


 エドヴァルド曰く。


 鉄血の鎖の斬り込み役を任された傭兵としての顔は。渡り歩く戦場で現す武勇をして通り名は────狂戦士。


 医者とは思えぬ物騒な異名を前に。赤の女王と狂戦士。此れからはお前たちが鉄血の鎖の双璧だな、と。上機嫌なエドヴァルドとは対照的に呆れた調子で面差しを深く外套の奥へと隠すアストレア。


「もう好きにしてくれ」


 と、次から次へと勝手に進む成り行きに......深くため息を吐くのであった。



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