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片付けられた手狭なテーブルに空の杯がまた一つ置かれ、青年の熱弁をフード越しに訊きながらアストレアは新たな麦酒の大瓶に手を伸ばす。欲求を満たす為だけに酒を飲み、しかし幾ら飲んでも酔いを忘れた体では効能として得られる筈の高揚感が訪れる事はない。問うまでもなく理由など知れた事。酒を飲むと言う行為自体が所詮は只の真似事で遠い過去に失ったモノへの未練を習慣として引きずっているに過ぎないからだ。
同時に今更それを想う自分を今日は随分と感傷的だな、と自嘲する。その要因が青年の熱意に当てられたゆえであれば難しい話ではないのだが.....知らずアストレアの流れる眼差しが無造作に置かれた私物に注がれる。厳密には麻袋の内、柄に刃元を残す剣の残骸に儚く殉じた騎士の矜持を其処に視る。ゆえにだろう、刹那の刻、アストレアは始まりを想う。
★★★
大陸歴1──年。
秘境や辺境と呼ばれ人が寄り付けぬ地。大陸には風説として語られる特殊な土地が幾つか存在する。しかし必ずしも人間が住めぬ訳ではなく、過酷な環境に順応出来る適者であればその限りではない事は険しい山麓に覗く簡素な山小屋から昇る生活煙が計らずも証明していた。
山小屋の古びた戸を開けば窓辺に寝台、小さな机が一つ置かれただけの室内は生活感の希薄さが際立ち、備え付けの暖炉から揺らめく炎だけが不在の家主の残影を僅かに忍ばせている。
生者を求め目を先にと向ければ山道など無き密林の果て、木々の途絶えた断崖に立つ銀髪の少女の姿が在る。山間の強風が少女の艶やかな長髪を靡かせる度に現わとなる整った容貌と佇む立ち姿は物語に登場する森の精霊を想起させ、それは目を奪われる幻想的な光景であった。
「久しぶりじゃな、エリアス」
この情景が幻ではないのだ、と。他に生者なきと思われた秘境の地で少女の背に掛けられた嗄れた老人の声が幻想を逸脱し俄に現実感を取り戻させ......老人の呼び掛けに呼応してエリアスと呼ばれた少女の眼差しが、宿る緋色の瞳が老人を真っ直ぐに見据える。
「破滅に至る赤......相変わらず忌々しい瞳よの」
変わり果てた盟友から向けられる眼差しに老人は深く嘆息する。が、そんな老人の畏怖に少女は黙って肩を竦めて見せる。超然とした雰囲気を有する少女のそぐわぬ仕草は逆に愛らしく可憐なゆえに老人の面差しに浮かぶ悲哀の色は一層深くなる。
眼前に居る友の名はエリアス......エリアス·アークライト。人々に六英雄と讃えられる救世の英傑。しかし老人の視界の先、威風堂々とした青年の嘗ての勇姿は霞の内に、共に討ち滅ぼした筈の少女の姿を瞳に映す。世に魔獣を産み堕とせし厄災の王。魔獣の母にして穢れの女王。畏怖すべき忌名は数あれど、万人を震撼させ戦慄せしめる彼女の名は。
魔神王ベアトリクス。
悪夢なる姿が其処には在った。
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