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小さく息を突き、一線させた剣先から黒血を払って鞘に収めるアストレア。見渡す視界に魔獣の影は既になく、剣戟の音が鳴り止む平野は戦いの終幕を告げる静寂が訪れていた。が、アストレアの顔は晴れず整った顔を憂いに曇らせる。
森の出先で魔獣の頭を叩くのが当初の予定。為に余裕を持った移動の筈が遥か手前の平原で魔獣の群れと遭遇した事実。結果として二度に渡る協会が示した予測の大きな乱れ。一度であれば運否天賦の采配もあれど、短期の内に二度も立て続けともなれば......魔獣の全てを知り尽くすアストレアだからこそ其処に拭えぬ違和感を覚えていた。
★★★
「んで、俺たちと一緒にセイレムに帰らねぇ理由ってのを訊きたいね」
「依頼は遂行した」
平原に車座に座るアストレアとエドヴァルド。輪にはユリウスと随行員の男の姿も在る。他の傭兵たちは魔獣の死骸の処理に奔走していたが、依頼を果たした後であるだけに作業の合間に軽口や談笑を交わす姿が随所で見られ全体的に漂う空気は軽いものであった。
ぶぅん、と風を鳴らしエドヴァルドの分厚い手が隣に座る背に奔るが......平然と上体を反らせたユリウスがそれを躱す。向ける視線の先、巌の如く横顔は僅かに見える青筋と取り繕った柔和な表情を湛えている。
「なあレイア。此処まで来て水臭いのは無しにしようぜ。お前さんの小憎ら......おほんっ、顔を見れば察するぜ。何かあるんだろう?」
ああっ、レイアと呼んでも構わんだろ、と続けるエドヴァルド。掛ける眼鏡を押し上げ見据える音色は、断る、と間髪入れぬ拒絶を告げる。瞬間、ぶぅぅん、と更に威力を増して迫る平手をユリウスは器用に避ける。なんで俺、と抗議と非難の眼差しをエドヴァルドは完全に無視をする。
「お前さんが依頼に私情を挟まない人間なのは分かってる。でなきゃ俺たちと行動を共になんてしないだろ。そんな奴が帰りは別行動といきなり言いやがる。餓鬼の使いじゃあるまいし、不自然だと思わねぇ方がどうかしてるぜ。そうだろ、なぁレ·イ·ア!!」
大人げないおっさんだな、と横目で呆れるユリウスを尻目に、しかし思いの外に核心を突かれたのだろうか、これ迄即答で応じていたアストレアは意外な程に真剣な面持ちで思考する様に黙り込む。
束の間の沈黙。
「俺たち鉄血の鎖はあんたと違って魔獣専門って訳じゃないんだ。寧ろ
始めに口を開いたのはユリウスであった。
入れた合いの手に一定の効果が合ったのだろう、拒絶で返さぬアストレアには珍しく迷った様子が見られ......歯切れ悪く、杞憂かも知れないが、と続けると懐から取り出した地図を地面に広げて見せた。
「二ヶ所の魔獣の群れに対して大幅に乱れた予測。それだけを以て起きた結果に不審がある訳じゃないんだ」
極端な例え。仮に二ヶ所共に予定の時刻の範囲で合流し群れと行き違っていたとしても、魔獣の群れがセネ村を目的に北上していた訳ではない。ゆえに追う形になったとしてもセネ村まで最短の経路を辿れる我々が今と異なった結果を迎えたとは思っていない、とアストレアは私見を伸べる。
「私が憂慮するのは結果ではなく過程」
可憐な指先が地図上を添って往き......現在地より南の森でぴたり、と止まる。其処は向かう筈であった森。
「街道の交差路に位置するこの森は二ヶ所の群れが時間差で辿る筈の経路に当たる。そして本来は魔獣の習性として身を隠し易いこの手の場所では移動が遅滞すると考えるのが道理」
ゆえに常道に反してこの森で二つの群れが停滞しなかった事が予測の乱れの大きな要因かも知れないとアストレアは可能性を口にする。
「この想定を前提とした時、理由となるモノが大きな問題になる。魔獣は脅威を感じると排除しようとするか場を離れるか......どちらにしろ留まる事はないからだ」
アストレアの語る魔獣の習性は現在協会が行っている北方での傭兵運用の指針の一つと為っているモノ。人間と言う脅威に対して魔獣が北壁へと後退している現状が或る意味で皮肉にも仮説の真実性を担保する重みを与えていた。
「んじゃなにか、その森に居るナニカが魔獣を追い払ったせいで予測が狂ったとレイアは考えてるって訳なんだな?」
「私は可能性の話をしているだけ」
でも、と憂いを秘めた音色が続ける。
「あの辺りまで、まだ後続は到達していない筈。だとしたら人間以外の脅威が存在している可能性を否定は出来ない」
アストレアの疑念に一番早く反応したのは随行員の男であった。顔色を一変させ青ざめた額からは玉の汗が滲んでいる。まさか......そんな、と狼狽ゆえに呟かれた言葉の意味に眼鏡越しの視線が向かう。
「変異種か......それとも二足種か」
「そんな事、俺が知るかっ!!」
淡々と語り見据えるアストレアの眼差しに顔を硬直させた随行員が激高する。余りの怒声の大きさに周囲で作業をしていた傭兵たちが手を止める程に。
「おいおい、話に着いて行けねぇんだが、兎に角やばい化け物が居るかもって事だよな。なら行って確かめねぇと不味いだろ」
「黙れっ、お前たちへの依頼は完遂済みだ。上に報告して指示を仰ぐまで勝手な事をするなっ!!」
立ち上がり、言葉通りに状況を伝える為だろう、輪を離れる男の背に、先程まで寧ろ協力的な様子で会話に参加していた男の急な変貌と横暴な態度に、アストレアだけでなくユリウスを含めた鉄血の鎖の面々もまた冷ややな目を向けていた。
四足の魔獣の上位存在とされる変異種。
人間が転化した魔獣であるとされる二足種。
どちらにしても現実であれば由々しき事態である事は疑いない。しかし随行員の動揺ぶりには異なる理由が垣間見え......伝播する緊張は一転して場を不穏なモノへと変えるのであった。
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