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「アデラール卿の御紹介の方々ですね、お持ちしておりました」


 アストレアたちが聖堂の大扉に辿り着く直前に片扉が開かれ内より神官が姿を見せる。映す神官服は青。階級を色で現す神殿の制度において青は最も多く在席する下位の役職である事を示している。が、立ち振舞いを見ても分かる通り。大聖堂に就く神官たちは取り分けて特別な教育を受けた者たちが役割を担っていた。


 神殿は外部から警備の者を雇わない。ゆえに一部の神官は神の尖兵としての側面を併せ持ち神学と一般教養のみならず併せて武の実技教練も必修とされている。神殿の神官は時に聖堂兵として神殿の警備と治安を。そして守護者として上位に聖堂騎士と呼ばれる高位の存在が在席している事は今や大陸では常識とされている。


 ゆえに眼前に姿を見せた神官が偶然の機会で扉を開きアストレアたちを招き入れた訳ではない。此所に至るまで各所に設置されていた詰所からアストレアたちの動向を正確に捉え、連絡が円滑に行われていたゆえの出迎えである事は今に語るまでもないだろう。礼拝者の為に一見して外見には物々しさこそ抑えてはいるが神殿の警備体制の厳重さはこれら事柄からも窺い知れると言えるだろうか。


「許されるのであれば聖女に献花を」


「おおっ、それは誠に殊勝な心掛けで御座いますな」


 アストレアの短い願いの言葉に神官は嬉々とした表情を浮かべて三人を聖堂の内へと身振りでいざなう。正直に言えば外套に面差しまで隠す少女と最低限の儀礼上、帯剣こそしてはいないが、身なりとして聖堂に赴くには好ましくはない若者が二人。本来であれば如何に紹介があろうとも再度の身分の確認と拒否はせずとも眉を顰めたであろう光景にも関わらず神官の恭しい態度には相応の理由があった。


 神殿とアストレアたちの仲立ちをした紹介者の名はアデラール·ヴァン·アルメシア。この名前を知らぬ王国民はナグアには存在しないだろう。神殿との繋がりも深く武と智を以て知られるアルメシア家は普代の子爵家として王国に知られる名家の一つ。ゆえにその現当主の紹介ともなればこの対応の良さも頷ける話と言えるだろう。


 開かれた扉の内を僅かに覗き見て、若者の一人が否定的に神官に軽く手を振る。


「俺たちは外でレイアを待つ事にするぜ。俺らには明らかに場違いだし......まぁ、無作法を神さんに叱られるのもちょっと、な」


 と、苦笑を浮かべる。


 格式高い聖堂内の様子や訳有りそうなアストレアの姿に遠慮した訳でなく。もっと単純に面倒臭いと言う思いが全面に現れていた。節度を保って流石に神の所在などと信仰の内に踏み込む真似こそ控えてはいたが、若者たちには堅苦しい礼拝に最後までは付き合う気は初めからなかったのだろう事が言葉の節からも読み取れた。


 そうですか、と紹介者の名が名だけに丁重な態度を崩さぬ神官ではあったが、胡乱うろんな若者たちへの心情は明らかで。内心では安堵しているのだろう、強くは引き留める様子は此方にも見られない。


「ではお嬢さんだけどうぞ」


 招かれ聖堂内へと足を踏み入れるアストレアの視界の先に広がる世界は。一瞬で時間を過去に引き戻す程に懐かしく......在り日の光景を瞳に映す。歴史を内包する堂内の情景は。当時の技術と素材を用いて補修され。また維持し続ける事の困難さと労力は専門の知識を持たぬ者でさえ推し測る事は容易であろう。


「どうです素晴らしいでしょう。大聖堂は三百年の刻を内に留めているのですよ」


 踏み入れた足を止め、感慨深く視線を巡らせるアストレアの姿に。信仰と誇りに満ちた神官の声が無人の聖堂内に響いて消える。


「必ず訪れるであろう運命を迎える為に。きたるべき最愛なる使徒に祝福を......。使徒アルテイシアがまだ当代の教主であられた頃に大聖堂の管理と保存を徹底させよと。神の代弁者として聖譜に刻ませたとされる一節です」


 神殿はその残された聖譜に忠実に従って神事を全うしているのだ、と。告げる神官の眼差しは感銘に震えているのだろう、少女の姿を視界に映す。初めの印象こそ思わしくはなかったが、やはり紹介を得られるだけの信心深さを其処に見た神官は納得した様に頷く。


「時間の程は気に為さらず過ごされますように、と仰せつかっておりますゆえ」


 退出の際には控えの間に声掛けを、と。多くは告げず神官は聖堂内。側面の壁の扉に姿を消して往く。一人残されたアストレアの眼前には白亜の石柱が並び、最奥の祭壇でアルテイシアが両手を広げ迎えてくれていた。


 抱くは万感たる想い。その一歩を踏み締めて。アストレアは祭壇へと歩みを進め......長くなく。短くはなく。祭壇の奥。自分を見据え佇む彫像に瞳を向ける。


「胸元はもう少し控えめだったろうに。お前は本当に妙な所で見栄を張る」


 その声音は柔らかく穏やかに。


 険が取れ。優しく微笑む可憐な乙女はフードを外し、流れ落ちる艶やかな銀髪が聖堂の窓の格子に嵌まる硝子を通して。差し込む陽光に眩しく映えて宙に舞う。露に為った美しい面差しをアルテイシアに向けたまま。アストレアはその場に膝を突き胸元に忍ばせた手が握るは一輪の花。


 祭壇へと捧げられた純白は。白き聖女の由来となった冬の花。然れどアストレアが捧げた祈りは愛した女性が愛でていた花ゆえに。


「愛している。アルテイシア」


 哀悼と称するには余りに身勝手ゆえに。一言に全てを籠めて変わらぬ想いを言葉で告げる。


 ★★★


 控えの間から遠く望む光景に。


「あの大猿が可愛い娘の為にと。珍しくも私に頼み事とは天より槍が降るかと驚かされたが......まさか二度に渡ってこうも動揺させられるとはな」


 貴族然とした男の言葉は表す意味合いとは異なり。本当に感心した様子で己の顎を撫でている。


「真に御座いまするな。聖女の再臨に立ち会ったと後に語られたとて、否定するのは難しい程に」


 控えるは黒服の老人。珍しくも素直に賛同を示す老体に。これが如何に奇縁であるかが窺える。然るにそれは当然で。まさか北壁守護を依頼した嘗ての友と聖女と見紛う美しき銀髪の乙女が揃って彼の奴隷商の消息を追っている。これを天の差配と言わぬなら数奇な運命と。


 なれど今、この場で声を掛けるは余りに無粋。ゆえにアデラールは一時ひととき。この壮麗なる情景に身を委ね。聖女に哀悼を捧ぐ乙女の姿を遠く見据えるに留めるのであった。




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