高潔なる聖女

 歴史を紐解いて三百年を遡る。


 六英雄が魔神王を討ったとされる時代より遥か以前から祭礼を主とする儀式の中心に神殿の存在が記されていた様に。新約された聖典を元として現在の形へと信仰の在り方が大きく変転されたのは今や自身が信仰の対象とされる六英雄の一人。白き聖女アルテイシアがナグアの地にて祭殿の教主の座に就いてからである。


 当時の神殿勢力は地方で語られる土着の神を信仰の対象として、各地で数多の神々を祭り祭事を司るやしろとして政治を排した独自の在り方を堅持していたのだが。六英雄として名声を得たアルテイシアは民衆の絶大なる支持を背景に各地の神殿を統合し大きく大陸の宗教観に変革を齎す事となる。


 今に至る六英雄を神の使徒とする......唯一神により聖別された英雄信仰へと。


 ★★★


 一般の礼拝者と観光目的の旅人向けに解放されている神殿の敷地の内。小聖堂に続く参道には季節柄、旅人らしき姿こそ少なかったが、熱心な信徒と思しき者たちは家族連れ、老人に若者と世代に隔たりなく礼拝に訪れた多くの者たちの姿が垣間見える。


 それら人間たちとすれ違い。更に先へと進むアストレアたちの前方に広がる庭園の先。心持ち登る坂の上。大聖堂の荘厳な佇まいが見えてくる。連れ添う若者たちの関心は主に眼前の少女にある為と偏見は少ないとは言えど然程に信心深い訳ではないゆえに映す光景に対する特別な感慨は彼らにはないようではあるが......共に見据えるアストレアにとってナグアの大聖堂は郷愁に近しい想い出深き地であった。変わり往く長き時を経て、変わらぬモノの存在に。抱く想いは格別に。


 アルテイシアとの出逢いから逢瀬を重ねた日々の先......最後の別離に至る多くの記憶に今尚残る大聖堂は修繕と改装の跡は見られるが面影を変える事なく今に残していた。最後まで子を成す事は叶わなかったが、アストレアにとって最愛の女性と過ごした日々は戦いの内に在った半生で僅かに残る報われた穏やかな記憶の中に在る。


 緩やかに坂道を登った先に広がる広場に人の気配はなく、大聖堂の大扉へと続く石畳の道には六英雄を象る精巧な彫像が礼拝者を迎える様に左右に立ち並んでいた。歩みを進めるアストレアたち以外に人の姿が見られぬのは大聖堂への拝礼には関係する有力者の紹介と相応の寄進を必要とする為で、一般の者たちを排する聖地とされる大聖堂に北の地を旅の始まりに選んだにも関わらずアストレアが長らく訪れる事が叶わなかった理由が其処に在る。


 生前のアルテイシアが自ら携わったのだろう、迎える英雄たちの彫像はアストレアの記憶に違わぬ仲間たちの面影を残し......大聖堂の入り口で最後に迎える一対の彫像は互いに手を結び寄り添い合う精悍な青年と美しい女性の姿。


 大陸史では存在を否定され、神殿の聖典にも二人の深き関係性を偲ばせる記述は残されてはいない。然れども例え言葉に残さず想いを綴らずとも終世にまで形を刻む......それが晩年に至るまで伴侶も子も持たず独り身で天寿を全うしたアルテイシアの女の矜持であったのだろう、と今に気づきアストレアは揺らめく瞳を瞼に伏せる。


 あの戦いの後、世界の真実を知ったアストレアたちは人が紡ぐ歴史の先に人間たちが最後の門を開くか否か導きに寄らぬ人の在り方に委ねよう、と。彼女から与えられた猶予に対する答えを出した。だが......その為に六英雄の存在を歴史から葬る事を最後まで反対していたのがアルテイシアであった。


 真っ向から対立する姿勢と行動にカーティスなどは酔う度にアルテイシアの信心深さを嘆いて小言を漏らしていたが、歴史の改竄を拒む真なる動機がアルテイシアの心の内に抱く強き情念にある事をアストレアだけは知っていた。


 それはベアトリクスに対する対抗心。己の愛する男を、二人の未来を奪った女への行き場のない憤りが生み出した激しい嫉妬心。ゆえに自分から全てを奪った女の見姿に転じたアストレアにアルテイシアは二度と会おうとはしなかった現実が真実の一端を物語る。


 信仰の在り方ゆえでなく、愛した男を奪われて歴史からも存在を否定される。それが一人の女として。どうしてもアルテイシアには許せなかったのだろう。眼前の寄り添う互いの彫像を見て......アルテイシアの悲壮なまでの愛の深さを思い知らされる。六英雄を信仰の対象としてまでも。その生涯で二度とは会わぬ別離を迎えても。抗えぬ運命の先に後世にまで二人の愛する形を人々の心の内に刻み込ませた一人の女の悲しいまでの情念を。


「本当に......待たせて済まなかった......アルテイシア」


 自分など忘れて幸せな人生を歩んで欲しかった。彼女の幸せを願う余りに最善と思っていた行動が、最後まで愛した女性に此処までの苦悩を与えていた現実にアストレアは言葉を失う。


 言葉にせねば伝わらぬ想いが在る。


 俺が救いたかったのは世界ではなく君だったのだ、と。


 君が生きる世界を護りたかった。


 君が愛した人々を護りたかった。


 エリアス·アークライトの人生には常にアルテイシア......君が向けてくれる笑顔が、存在が在ったのだ、と。


 己が彼女を想うより遥かに深く愛されていたのだと知れば知る程に。向き合って告げねば為らなかった想いが在ったのだと今に知る。己の弱さゆえ。己の愚かさゆえに失われてしまった機会。それが二度とは取り戻せぬアストレアの三百年に渡る後悔であった。





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