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北域四国が北壁奪還に向けて挙兵する。ナグア国王の御名において正式に布告された宣言に王都は熱狂に湧いていた。この季節、南方の紛争も終息を見て例年の内でも比較的に穏やかな雰囲気が漂うスレイヤールの都ではあったが、北壁陥落と言う暗雲が立ち込める中、陰鬱と年を越えるのかと思われた最中での突然の転機に民衆が湧くのは必然であったのだろう。
国民を過熱させる大きな要因の一つとして隣国シェラードの参戦が挙げられるだろうか。南部の地では因縁浅からず遺恨を抱える中。国内に多く胸中複雑な者たちが居るのは確かな話。然れども紛争地より遥か遠く都にあっては希薄な戦地の空気感は負の感情より淡き期待を民衆に抱かせるのであろう。魔獣の脅威を前にして団結する国々に。共に肩を並べて戦う勇姿の先で変わり往くかも知れぬ両国の関係性に。人間の本質は善なるモノなのだから、と虚構の先に夢を見て。
★★★
王都の中央広場。
歴史に豊かな建造物が多く今に残る古き都。都の中央に広がる市場は憩いと娯楽を両立させる劇場や広場が併設され、眺め見て高所には歴史古き名所を覗かせる。それら整備された光景は冬の到来を前にしても尚、通りには民衆の往来が絶えぬ。まさにナグアの文化と経済の中心地して恥じぬ威光と趣に満ちていた。
ゆえであろう。広場の端々に設置されている休憩用の長椅子に一人座るアストレアの面差しを隠す外套の異質さを誰もが気に留めず行き交う人々の姿は人口と比して希薄となる人との繋がり方は。地方とはまるで異なる大都特有の空気感とさえ言えるであろうか。
「待たせたな、レイア」
声を掛けて来た気配は二つ。容貌を隠しても体格からして性別は自ずと知れるアストレア。ゆえに端から見れば明らかに若者に絡まれている女性の構図は中々に不穏なモノではあるのだが......応じて席を立つ細身の影の様子を見ても、良く聞けば気さくな若者たちの声の調子からも、彼ら二人が見知った鉄血の鎖の傭兵たちである事が見て取れる。
「手配はしておいた。けれどお前が神殿に礼拝したいだなんて意外だな。正直ウチはネス姉を筆頭に神殿を毛嫌いしている連中が大半だから──」
発する若者の背を隣の若者が、ばしり、と激しく叩く。勢いのままに喉を詰まらせる若者に向ける瞳は無粋な事を訊くなと訴えている。この一連のやり取りからも同年代の若者たちが多く所属する鉄血の鎖にしても個人として見れば性格も個性もそれぞれなのだと窺える。外からは見受ける事が難しいそれも内を知ればこそ、ではあるだろうが。
「個人で動くなときつく言われていてね。君たちには面倒を掛けて本当に済まないと思っている」
「いやぁ、まぁ、暇だったから別に......」
「丁度手が空いていたしなぁ」
と、口では調子の良い言葉を並べるが、若者たちの緩んだ表情を見れば知れる通りに満更でもない様子は明らかで。神殿に偏見の少ないと言う或る意味で厳選された者たちの内から選ばれただけ、と分かってはいても、やはりこれ程に美しい少女から誘われれば悪い気などする筈もなく。若さとは眩しいモノで。アストレアとのこの先の関係性に期待を寄せて夢想して。頬を緩めてしまうのは致し方がないと言えるのだろう。
下心が見え見えで......けれど陰に籠らぬ若者たちの振る舞いに。懐かしさすら覚えアストレアは面差し深く苦笑する。彼らとの肉体的な意味での深き関係は可能性として有り得ぬ話。しかし生死の狭間を駆ける傭兵たちゆえに。刹那の性への衝動を不快に思える程にアストレアとて潔癖に生きてきた訳ではない。
思えば今は若き女の身。見目麗しいとの賛辞の言葉や対応は彼女の身姿に対する称賛ゆえに心に響く事こそないが、若き異性に対する関心も内に抱く願望も嘗ての自身も過ぎたる道。ゆえに見上げ細める眼差しの先。瞳には僅かな懐古を宿す。
「御礼と言う訳ではないが......今晩は個人的に私が酒を振る舞おう」
懐かしさゆえの気まぐれか。本来の気質によるものか。然し乍らも子供の口約束ではあるまいし意図する意味は明確に。もしも私が酔い潰れたのなら好きにして良いとアストレアは暗に二人に告げてやる。
瞬間に二人の動きが、ぴたり、と止まり......ゆっくりと互いに顔を見合わせてから歓喜に震える手で拳を握る。そんな先の妄想に励み興奮する若者たちの姿を前にして。アストレアとしては絶対に負けぬ戦を持ち掛ける事に対する罪悪感を若干なりと抱かぬ訳では無かったが、流石にこの身を抱かせてやる訳にもいかぬので。淡い期待を酒の肴に気兼ねなく今宵は大いに飲ませてやろうと心に決める。
もしもユリウス当たりがこの場に居れば、男心を弄ぶ如く少女の行動に悪女の片鱗と気苦労にも頭を悩ませたかも知れないが、幸か不幸かそれを知る術はなく。アストレア本人としても男を惑わす気など毛頭ないのだから尚の事。反省の仕様がないとも言えるのだが。ともあれ三者三様。単純に本人たちが喜んでいるのは見て取れて場が盛り上がっているのは間違いなく──。
アストレアたちが王都を訪れてから数日の時が過ぎ。
依頼ではなく身内の頼み事。ゆえに奴隷商の行方より優先される冬越えの長期滞在の手配に主要な面々が動く中。独断での行動を禁止されていたアストレアが神殿を訪れる行為と意思には連れ立つ若者たちに相応の感謝を示すだけの意味があった。
ナグアは歴史に古き王国。そして大都スレイヤールの大神殿とアストレアは縁に深き関係性に在る。現在の神殿の規範とされる六英雄への信仰の礎を築いた聖女こそ、嘗て背を預け共に旅をした仲間の一人であったがゆえに。
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