冬の都
夜の闇。
本格的な寒期の訪れを告げる粉雪が曇天から舞い降りて石畳の路面を濡らす。宙より見渡せば都市の家々から覗く営みの灯火が堅牢な外壁が象る円環の内。開かれた宝石箱の如く闇夜の星に負けぬ輝きを見せている。北域最古の都市。指して白き麗人の名で知られる王都スレイヤールの夜景は歴史の呼び名に違わぬ壮麗で幻想的な情景を闇夜に浮かび上がらせていた。
円環の都市に接する先に目を向けて。宝石の如く城下町を見下ろす台地に鎮座する白亜の王城を中心に主要な施設と貴族たちの邸宅が立ち並び。整備された王権の中枢は一つの区画として。台地全体が貴族街として一般の者たちが立ち入れぬ特別な地域となっていた。
夜半の貴族街は民衆が住まう城下町とは一転して静寂に包まれている。整備された街路に並ぶ外灯が淡く照らす先。私邸の壁や続く鉄冊を朧気に映しはすれど、往来の途絶えた通りと同様に住人の気配は見られない。時折遠方より響く
★★★
固く閉ざされた鉄門の内。邸宅の敷地に大型の荷馬車が二台停車している。空の荷台には積み荷の影はなく。周囲を取り囲む人影は二十に届くであろうか、各々が手に持つ松明で照らされた輪郭でそれが武装した集団であると知れ。荷馬車を囲んで待機する一団の先。邸宅の入り口に設置された篝火が複数の姿を映して影を伸ばしている。
「積み荷の方は指示通り御屋敷の地下牢の方に。ただ......長旅で相当に疲弊しておりますので管理の際は御注意下さいませ」
向かって正面。正門の方角を背に立つ三人の男の姿。言葉を掛けたのは中央の男。両脇に立つ傭兵と思しき者たちとは身なりからして異なる。恰幅の良い体を上質の衣服で隠す中年の姿は......だが纏わせる雰囲気と眼差しは職業柄か陰湿な気配を外へと滲ませ。高価な衣服を台無しに上品さに欠けた印象は拭えない。染み付いた業とは祓えぬモノで、嗅覚に優れた者であれば気づけたであろうか、彼らが奴隷商とその子飼いの傭兵団であった事に。
「最初の報告と比べて随分と数を減らしている様だが?」
向かい合う男は二人。上段からの物言いは雇い主。或いは上位者である事を窺わせ。対比して衣装こそ奴隷商と印象を同じくするが。しかし此方は相応の品格と風格を漂わせていた。明瞭な佇まいの差は先天的なモノに非らず、生きてきた環境と身分の違いによるモノと。両者の立場を知ればこそ現実の格差を端的に現していたとも言えるであろうか。
「何分と急な御依頼でありましたもので......準備に不備があった事は......その......何とお詫びを......」
奴隷商は狼狽した様子で弁明するが......対して貴族然とした。面差しも暗く男の眼差しが黙しながらも奴隷商を見据えている。
「此度は状況が状況ゆえ。相応の者らが雇われるのは至極当然。ゆえに多少の不始末は想定の範囲内では御座いませぬかな」
闇夜に混じる嗄れた声。主は貴族と並ぶ老人。白髪に枯れ木の如く細い体を上下通した黒色の衣裳で覆い。合間に見える肌には深き皺が刻まれて生きた年月の長さを覗かせる。
「済んだ事柄に
老人の諫言に貴族の男は顎に手を添え。一時思案をするが......直ぐに興味が失せたのか、奴隷商から視線を外すと老人を一瞥して背を向ける。一連の動向を見守っていた奴隷商は異様な緊張感から解放されて、ほっと胸を撫で下ろすが......。
「それと始末の程は協会に赴任した連中に任せよ。我が家の関与を疑わせる痕跡は完全に排除せねば為らぬからな。その為に態々、取るに足らぬ地方の連中を使って。更には目立つ様に王都の協会に役まで与えてやったのだからな」
「承知で御座います、卿」
両者の会話に奴隷商の顔が見る間に青ざめていく。それは当然で......本来の依頼主は協会の支部長であるゲルトであり。荷の届け先が貴族の邸宅であったに過ぎない。夜半に関わらず検問で荷も改められず貴族街に入れた事からも周到に手が回されていたの明らかで。整えられた外面に貴族と奴隷商を繋げるモノは何一つとして存在してはいない。これまで保険として捉えていたゲルトとの関係性も、それすらもが捨て駒に過ぎぬのであれば別の意味合いへと変貌してしまう。
事が露見しても協会の一部の輩が北部の騒乱に乗じて奴隷商人と結託し悪事を働いた、と。悪質な蛮行ではあるが世に多く見られる乱世の習い。ゆえに当事者たちを処断すれば終息する小事として終わる、と。いや、遇えて露見させる事で早々と終わらせる。その選択肢までもが見えてくる。
認識を新たにする関係性の内。己の立場が如何に危ういか。貴族の発言が己の末路を暗示している事を悟った奴隷商は慌てて背後を振り返るが......映す視界は闇色に。遠く荷馬車を囲んでいた松明の灯火は今や一つとして見られない。断末魔も抗う喧騒が漏れる事もなく。全てが終わり静まる闇夜が其処に在る。
代わりに耳元に響くのは、ぼきり、と骨が折れる嫌な音。荒事と無縁ではないゆえに奴隷商はそれと気づいてしまう。貴族へと再度振り向けぬ緊張感の中。両脇の護衛たちが力なく地に崩れる気配と視界の内。音もなく闇夜に紛れて蠢く複数の人影を見る。
「暗殺者......か」
直前まで気配を相手に悟らせぬ特種な隠形術。対象の急所を違わず狙う手口。奴隷商は同じ側に属する人間ゆえにその正体を知る。
「ご明察痛み入る」
老人の嗄れた声。同時に首筋に触れる刃の冷たい感触。それが奴隷商が最後に感じられた全てであった。
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