王都へ

 長い夜が明け、昼も過ぎた頃合いにもなると二日酔いに頭を抱えていた男たちも亀の如き緩慢さではあるが動き始める。周囲を見れば敷地に張られた天幕は片付けられて見る影はなく。団と言っても傭兵としての性格は各々で。まだ寝起きの者が居る一方で既に旅支度を終えた一団が開け放たれた邸宅の門を過ぎて往く。


 鉄血の鎖は基本的に依頼の最中でもない限り纏まった集団で行動する事はない。集合場所が指定されているのなら尚の事。気の合う数人で移動するのが常である。個人で行動しないのは魔獣への対策と道中で別件の依頼を受ける機会に対応する為で。決まりがないのが決まり事。それは鉄血の鎖の自由な気風をそのままに現した光景であったとも言える。


 邸宅と中庭を見渡して半数の姿が既にない。が、邸内の廊下に面した寝室の壁を震動させる大男のいびきが木霊して。耳を抑えて、がしがし、と騒音の元凶たる寝室の扉を蹴り続ける優男の姿だけが一際に目立ち。場面としては異質で目を惹く光景ではあるが喧騒と言えばその程度。探し見て話題の新人の姿はと言えば。


 ★★★


「いやぁ、少し会わぬ間に友人......いえ、相方が出来ていたとは正直に言って驚きましたよ」


 所は変わり。セイレムの中心街に居を構える協会支部の一室。報告に訪れたアストレアを招き入れたアルヴィの眼前には二人のうら若き女性の姿。一人は無論アストレア。では残る相方はと言えば。


「ネセサリア·イヴァンスよ。名前くらいは御存じかしら?」


「勿論ですよイヴァンスさん。鉄血の鎖の狂......斬り込み隊長の名は高名ですからね」


 内心を見せる事なく微笑むアルヴィのソレは愛想笑いの類いではあるが、相手に不快感を抱かせぬ訓練と教育が行き届いた見事なモノで。しかしネセサリアが返す笑みもまた色のない同質のモノ。


「貴方の事はレイアから訊いているわよ。色々と待遇が良い依頼を回してくれる好青年だってね」


 無言のアストレアを代弁して穏やかに語るネセサリア。だが時折動く手は隣に座る柔肌に触れ、銀の髪を優しく撫でる。それを拒む様子がないゆえに背徳的で艶かしい光景は同性間での深き関係を夢想させ。アルヴィからして見ればアストレアを知るからこそだろう、拒絶を示さぬ態度が生々しくも説得力を持たせていた。


「妙に警戒させてしまったかしらね。でも今日、同伴させて貰った理由は別に貴方にとっても悪い話ではなくてよ」


 意味有りげに流れる蒼い瞳がアルヴィを見据える。


「私もそろそろ独立を考えているの、とでも言えば察してくれるかしら。良い相方に恵まれたのに......この先も男共に囲まれて生活するのも、ね。協会として見ても私たちは良い看板となるでしょう?」


 形の良いネセサリアの指先が机を叩き。暗に条件を提示して見せろとアルヴィを促して見せる。自信に満ちた美しい表情は半端な条件を出せば其処で話は終わりと告げていた。売り手側が圧倒的に優位な立場で交渉を進めるのは避けたいが、鉄血の鎖が依頼を終えてセイレムを立つと言う噂は既に得ていた既存の情報。ゆえに此処で逃せば二度とは巡り会えぬ大魚を前にアルヴィは瞬時の判断を迫られる。


「大変に歓迎すべき提案ではありますが性急な話ではありますし今少し......条件面での話はお待ち頂けないでしょうか? 支部長と相談させて頂き──」


「あらそう、ならもう良いわ」


 アルヴィの話を最後まで聴く事なく白けた表情を浮かべたネセサリアがアストレアの手を握って退室の意思を示し。


「待って下さい二人共!!!!」


 焦ったアルヴィは残されていた最後の札を切る事にする。


「実は私は今回の功績が認められ王都の協会に栄転が決まっておりまして......引き継ぎもあり少しだけお時間を頂ければ、支部で提示出来る条件などとは比べられぬ最高の待遇を御約束させて頂きますので」


 如何でしょうか、と頭を下げて腰を折る。


「ナグアの協会で最高の待遇と言う訳ね?」


「お二人が所属して頂けるなら確約致します」


「支部の勧誘員スカウトの口約束をそのまま鵜呑みにしろとでも? それとも王都の協会で権限を持ち得る地位に就ける確かなモノと。此方が納得する程の功績とやらの説明をしてくれるつもりがあるのかな」


 此処まで静観を貫いてきたアストレアの不意の呟きが二人の会話に水を差す。その声は淡々と冷たい響きを帯びたモノであったが、それこそがアルヴィが知るアストレアの姿。ゆえに其処に違和感を抱く事はなかった。


「確かにレイアの言う通りね」


 と、乗り気を見せていたネセサリアの翻意を前にしてアルヴィは焦燥感を募らせる。アストレアが所属する事は支部長の意向にも沿う話。増して狂戦士の名は物騒ではあるがネセサリアもまた一流と呼べる傭兵。二人共に協会に引き抜けるならば過去最高の条件で迎え入れる事に否を唱える者など居る筈もなく。問題なのはアルヴィが今の自分の立場でそれを証明する術がないと言う。最も厄介な信用に関わる壁が立ち塞がっていた事にある。


「ではこうしましょう。私たちは此れから王都に向かうのだし。もしかしたらナグアで冬を越すかも知れないわ。だから流石に春先までは待てないけれど多少の猶予なら与えて上げても良いかもね」


 けれど、とネセサリアは潜めた声で念を押す。


「今後の付き合いを思えば信用は大切よ。私たち傭兵は清濁併せ飲む存在。だから別に貴方が清廉潔白な人間で有るか否かは問題ではないの。肝心なのは信頼出来る人間であるかだけ。だから貴方が本当に出世するのなら、その顛末も隠さず話して頂戴な。それが私たちからの条件よ」


 アストレアの髪を撫でながら微笑むネセサリア。断れば、首を横に振った時点で一方的に話は終わる。ゆえに提示された条件に選択肢などないのだと知るアルヴィは迷わず肯定の意を示して頷いて見せた。


 支部長と相談せねば成らぬとしてもこれは思いも掛けぬ更なる功績に繋がる細い糸。切らせてしまうのは余りに惜しかった。最終的に考える時間を与えられた事が精神的な余裕となってアルヴィに大胆な選択を容易にさせていた。


 兎に角。今を凌いで後に方策を探れば良いのだ、と。


「セネ村の住民たちはどうなった?」


「その話なら王都で、との約束なのでは」


 アストレアの囁きに精神的な錯綜ゆえに知らずアルヴィは不用意にも己の関与を認めてしまう。それが失言と気付かぬままに。


「では王都で決着を着けましょう。楽しみに待って居るわね、坊や」


 ネセサリアの誘う眼差しは怪しく色を帯び。立ち去る二人の背を前に優秀ゆえに心の内で整然と段取りに追われるアルヴィには。その不自然な言い回しに意識を向ける余裕すら残されてはいなかった。



 

 

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