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セネ村の入り口。
柵が続く合間に開かれた木の扉。内に建てられた鐘楼から見下ろせば人の気配は四つ。西方へと沈み傾く日差しに伸びるは一人を送り出す三つの人影。閑散とした周囲の光景に口を開いた成人の男の声のみが響く。
「アストレアさん......本当に申し訳ない」
男の謝罪に籠る意味は、村に留まる事を決めた村長の判断ゆえに。アストレアの示唆は魔獣を知る北の民には軽視できぬ可能性。それでも頑なで揺るがぬ意思を示す村人の心を動かすまでには至らなかった事実。恩人に対して見せた村人たちの態度に、と多くの側面を併せ持つ複雑なモノ。しかしより強く息子と娘の命を救って貰った父親として恩人に一夜の宿すら提供出来ぬ己の不甲斐なさを恥じている様子が窺える。男の名はアイゼル。アストレアが森で出逢った子供たちの父親の姿であった。
「謝罪は不要」
と、再度告げるアストレアの端正な顔立ちに感情の揺らぎは見られない。アイゼルとは対照的な静かな佇まいと美しいが低調な声の響きが相まって受ける印象を問えば冷淡と感じ取る者は少なからず居るであろうか。引いた視界で周囲を見れば、父親の隣、アデルは掛ける言葉に悩み、アイナは父親の服の袖を強く握って不満を顕にしている。
別れの場面と現すには言葉に足らず、惜別と例えるには互いの心の距離は埋められず......僅かな沈黙の先に外套に手を掛け深く面差しを隠すアストレアの返す踵は木扉の先、村の外へと向けられる。
歩む背に届く声。
「子供たちを大人の事情や因習に縛り付け巻き込むべきではない。本当は子供たちだけでもセイレムに......安全な地に避難させたい、と子を持つ親なら皆がそう思っているのです」
アイゼルの告白にアストレアの足が止まる。
「ですが......世界は優しくはない。誰もが現実を知るからこそ望みを口には出せぬのです。自分たちが死んだ後、街に残した子らは幸せになれますか? 神殿や国が面倒を見てくれますか?」
と。
ナグアは決して豊かな国ではない。隣国との紛争と貧困から生まれ続ける戦災孤児たち。国や神殿が救い上げられる数は比例せず溢れた子らの行く末は......。文字も読めず字も書けず、路頭に迷う先に待つ結末は良くて農奴か犯罪に手を染めた果ての縛り首。それでも人身売買が禁じられぬ国で奴隷に堕ちた先に待つ死に勝る隷属は生きる絶望であると多くの民が知っている。愛しているゆえに、それが例え短く幸薄い人生だとしても、それでも大切な我が子と共に死ぬ。我欲の極み......なれど悲壮な親心が言葉の全てに真摯に宿る。
「若き貴女が傭兵として生きる意味......我々よりも恵まれた人間などと思う村の者たちはおりません。ですが皆が貴女の様に強くはない......強くは生きられぬのです。妻を流行り病で失った私にはこの子らが生きる意味の全て......子供の幸せを願わぬ親など居る筈がない。ですが残した我が子の生きる先に闇しかないのなら......離す事なく共に生き最後の時は共に迎えたい。どうか馬鹿だと愚かだとお笑い下さい」
「私には......関わりない事柄だ」
ゆえに笑う理由はない、と残酷に答えるアストレアが、向けぬ隠れた表情に、僅かに開けた時の間に、誰にとっての幸いか、この場で気付けた者は居なかった。
遠く去り行く少女の背中。
目で追い続けるアデルの耳元に癇癪を起こす妹の声を聴く。
「馬鹿馬鹿馬鹿っ!! 父さんの馬鹿!!」
小さな拳が父親の背を叩き、涙でくしゃくしゃな瞳は真っ直ぐにアイゼルを睨んでいる。
「お姉ちゃんはとってもとっても優しくて......いっぱいいっぱい優しくて......でも皆は自分の事ばかり......なんでそんなに苛めるの?」
お姉ちゃんが可哀想だよ、と必死に訴えるアイナをアイゼルは強く抱き締める。それでも必死に訴えるアイナに、ごめんな、と短く漏れる呟きは微かに弱く小さな耳に届く間もなく消えていく。
★★★
村から少し離れた平野にアストレアは一人立つ。銀の髪に朱を添える夕焼け。手を伸ばす美姫の光景は詩の一編を思わせる。暁の空に小さな羽音。向かう先、形の良い指先に舞い降りる小鳥は瞬時に文字を綴った紙片へと形を変える。
それは紙を媒体とした伝達魔法。魔法結社が専売として扱う一般的な魔法具。伝達範囲が狭く情報の漏洩に対する安全性と触媒自体も高額で一般には余り普及してはいないが、対となる触媒を用いる事で特定の対象と連絡を取り合える一定の利便性を有する。ゆえに使い方次第。特にアストレアの様に単独で行動する傭兵には全体の状況を把握するに高い有用性を有している事は間違いないだろう。
夕焼けに映える瞳が文字を追う。
「昔から嫌な予感だけは良く当たる......」
短文に綴られた内容に眼差しは険しくアストレアの呟きに答える声はない。
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