セネ村
大陸でも北端。辺境に接するナグア王国は小国なれど北壁に代表される歴史的経緯からも北の防人として広く大陸に名の知られた国家であった。大陸図を眺めれば北域の諸国の内で最も広い版図を有し......一方で北方領の大半を占める痩せた土地に悩まされ、王国の税収を担う南方領は源泉となる鉱物資源を国境線を跨ぐ山脈群に集中させている。結果、隣国との間で緩衝地帯を設ける事が困難な鉱山の採掘問題は多くの軋轢を生み出し、小競り合いや紛争の絶えぬ隣国との関係性は王国の国庫と人的資源を圧迫し続けていた。
歴史に長き王国なれど絶えぬ魔獣への対処と果てなき資源争いがナグアを小国たらしめ......ゆえに北方領を開拓し農耕による新たな税収の確保と農産国としての国家の転換を示した王国の方針は新王の御代に変わり往く時代の必然であったのかも知れない。結果として争いに疲れ疲弊していた領民たちの支持を背景に徴兵の免除と開墾した土地の所有権を約束した国策は多くの民を北の地へと導く事となる。
──それから五十年。世代は移り......北壁が陥落した現在に至っても北方の地は今も尚、魔獣の被害と荒地が広がる枯れた光景が広がっていた。
ナグア王国領─北部開拓村セネ─。
街道に沿って平原を見渡せば生活煙が立ち昇る平屋の数々。水源となる広場の井戸を中心として民家が立ち並び、村の境界を示す木の柵から覗く先には収穫期を終えた畑が広がりを見せている。空を見れば昼時を迎えるこの時刻。日常であれば炊き出しに並ぶ村人たちで賑わう広場は閑散としている。広場に集まる人影は女子供と老人の姿。順番を待たずに食事にありつけた子供たちが無邪気にはしゃぐ一方で、不安な表情を浮かべた女と老人たちは同じ方角に視線を向けている。映す先は村の集会場。いや......正確にはこの時期にセイレムの街から遣って来た傭兵を。
★★★
集会場の外には話を聞き付けた村の男たちが集まっていた。混乱を避ける為だろう、限られた代表者たちが参加している話し合いを固唾を飲んで見守っている。目を内へと向ければ、長机が一つ置かれただけの簡素な室内は暖炉に火が炊かれ、机を囲んで数人の男たちと向かい合うアストレアの姿を浮かび上がらせていた。
「つまりこれが最後の警告と言う訳ですかな」
「捉え方は君たち次第。セイレムへの退避勧告に従わない自由と責任は君たちの側にあるのだから。只の伝達者の私が何かを強制するつもりはないよ」
村長との対話に際して一貫して低調で突き放した物言いに終始するアストレアの態度に、初めこそ彼女の容姿に見惚れていた男たちも次第に苛立ちを隠せなくなっていたのだろう、ちっ、と何処かで舌打ちの音が漏れる。
「避難だ退避だと簡単に言ってくれるがな嬢ちゃん。この時期に村を長期間離れるって事は村を捨てるのと変わらないんだよ。手入れを少しでも怠れば畑は駄目になっちまう。爺さんの代から土壌を馴らしてやっと此処まで......それをお前らの不始末の
村長の息子は怒りを湛えた瞳をアストレアに向ける。北壁が堕ちたのは王国の失態。北壁を死守出来なかった責任は傭兵にある、と何よりその眼差しが語っていた。元々に立場と事情が異なる両者の温度差は顕著に明白に。セイレムからの使者に何かしらの救済を期待していた村側と魔獣狩りの支援が本来の役割であるアストレアとでは認識の差に大きな乖離があった事実は否めぬだろう。
「君たちの都合は私の預かり知らぬ事。私は頼まれたままに告げただけ」
国に対する不満を爆発させる男を突き放すアストレアの冷淡な姿を前にして周囲のざわめきは頂点を迎え。所詮は守銭奴の傭兵か......と、行き場のない憤りが捌け口を求め代表者たちの間で静かな囁き合いの内に罵倒が漏れる。
「頼る身寄りや伝手のある者らは既に村を離れておりますじゃ。残った者たちは他に行き場のない者たち......息子の言う様に街に避難して一時の安全を得られても村と畑を失えば儂らは生きては行けぬのです。どうかご理解下され」
重苦しい空気と剣呑な気配を察した村長は努めて穏やかに告げる。
「ですが貴女様がアデルとアイナ。村の子供たちを救って下さった事......心から感謝致します」
続ける言葉でアストレアに謝意を伸べた。一連の様子は流石は年の功と言うべきか、意識的に自らが頭を下げる事で彼女は村の恩人、と再度皆に認識させる事で場を制し諌めて見せたのだ。そんな村長の姿を前に他の代表者たちは黙り込む。
僅かな静寂。
「了解した。協会には言葉通り報告しよう」
アストレアは村長を一度見据え......そして瞳を伏せる。沈黙は一瞬。思考の先に開いた唇から漏れた言葉は問いよりも自問に近い色が在る。
「君たちの決意と意思を私は尊重する。しかし君たちは私の来訪の裏を考慮するべきだ。何故協会がこの村にだけ遣いを送ったのかを」
開拓村が抱える問題の根は深く......ゆえに同じ命題に開拓民たちは苦悩する。確かにセネ村の事情は深刻ではあるが特別である訳ではない、と。この北の地で多くの開拓村が同じ境遇に陥っている筈だ、と。
にも関わらずセネ村にだけ協会が再度に渡り警告する理由。
「確かな確証はない。けれど恐らくこの村は近く魔獣の群れに襲われる」
結論へと至るアストレアの推測に......しかし笑う者の姿はなく、先程までとはまるで異なる沈黙に場は静まり返るのであった。
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