赤の女王

「コイツはどっちだレイア」


 魔獣の括りの内、変異種と二足種は脅威度において別格とされている。眼前に映す禍々しくも威圧感漂う異形の姿。エドヴァルドにしても普通の四足種とは異なる圧力に声の質は引き締まったものとなる。


「二足種。けれど......生きた人間が転化した個体ではない。怨讐の果てに還る事を拒んだ死者が転化した魔獣だろう」


 二足種でも生者が転化した個体は思念の残影に引き摺られるのだろう、個体は人形ひとがたに酷似したモノとなる。囚われた情念が強きモノはより顕著に。反して目の前の魔獣の如く意思の霧散した亡者の妄執は歪に形を歪ませる。それら固有の特徴は転化した死者に見られる特有のモノとアストレアは短く語る。


 淡々と......だが未知の魔獣の対しても動じぬ銀の乙女の背中は、肩越しに覗く異形を前にして乱れる鉄血の鎖の面々に落ち着きを取り戻させるに十分な堂々たる雰囲気を漂わせ。エドヴァルドが一呼吸。間を空けて問うたのも、それを見越した老練な傭兵ゆえの判断であった事が窺える。


 地を這う魔獣の挙動はじりじり、と人間たちとの距離を......間合いを詰めていく。対して剣先を地に添わせ下弦に構えるアストレア。エドヴァルドもユリウスも初動の対応を任せたのだろう、先手に回り動く気配は見られない。


 対峙して音はなく。


 張り詰めた静寂の空間は一歩這い寄る魔獣の動作に──踏み込むアストレアの剣戟の間合い。切り裂き一閃させる白刃に弾けて消える。齎される風鳴りが描く銀閃の軌跡は半円を辿り神速の一刀が魔獣の首へと瞬時に迫り。それはアストレアの軌道を歪める不可視なる必剣の一撃。────が、魔獣が速い。交差する刃と鉤爪。伸び上がる魔獣の胴体部。攻勢から一転。続けて襲う鉤爪を剣を返す形で反らせて躱すアストレア。火花を散らせて掠めて過ぎる鋭利な爪が触れる白き頬に流れる血の筋を刻む。最速にして最短。アストレアの剣を魔獣が速度で凌駕する。


「合わせろっ、レイア!!」


 エドヴァルドの猛る裂帛の気合い。態勢を崩されながらも視線を切らさぬアストレアの眼前に迫る魔獣の側面。一瞬の攻防に即応した巨躯は魔獣の死角。唸る剛腕から大剣が放たれる。


 会心にして必勝の間合い。


 ──だが魔獣の反応速度は人域の外。柔軟に撓らせ鞭の如く伸びる魔獣の右腕が角度と間合いからして間に合う筈のない大剣の一撃に物理を越えて併せて見せる。瞬間に交差する二つの瞳。アストレアの奔らせた剣閃が魔獣の腕を弾いて飛ばす。


「おらぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


 脈動する筋肉。剛腕から放たれたエドヴァルドの渾身の一撃が無防備な魔獣の胴に叩き込まれ。直撃する鋼鉄の刃に魔獣はくの字に四肢を折り曲げ大地を削って吹き飛んで往く。その様は薙ぎ払うと形容するのは適切とは呼べず、秘めたる衝撃の凄まじさは轟撃と呼ぶに相応しいモノであった。


 削り取った大地の痕が続く先。悲鳴を上げる樹木の幹が半ばで減し折れ、叩き付けられた魔獣は反動で一度大きく身を跳ね上げさせて地に沈む。並の魔獣であれば二つに牽き潰されていただろう、圧力に耐えて見せた規格外の四肢は......しかし平然とは往かず伏して身を震わせる。が、致命傷足らぬのは首から上。見開く緋眼が人間たちを鋭く見据え、きりきり、と不協和音を奏でて擦れる牙が......衰えぬ敵意と憎悪を顕在に大気を揺るがせる。


「「アルタ.ナーグ────」」


 優秀ゆえに詰めを誤らず。空間に響き漏れるは多重詠唱。魔獣を中心とした周囲の空間を伝導する青白い火花が瞬き散らして消えて往く。現出せしは穿ち撃ち降ろしたる雷。


 理性なき骸の変異。しかし本能ゆえか変化に反応する魔獣は手足で大地を掴み取り這う形で立ち上がる......瞬間に、回避に動く動作の隙を狙い済まし射て放たれた正確無比なる矢羽が魔獣の眉間を穿ち、表皮の隙間に違わず刺さる鏃に魔獣は唸りと共に動きを止める。高位の魔獣にして避け難きユリウスの妙技。それは卓越した弓技の成せる技と称しても語弊はないであろう。


「「──アレイト」」


 魔獣の動きが一瞬鈍り......得られた刻はそれで十分であった。魔術師たちの詠唱と魔獣の咆哮が同時に木霊する。


 ──刹那に現出する落雷が天を睨む魔獣を直撃し閃き奔る閃光と爆音が周囲の視界と音を奪い去る。遅れて広がる衝撃波。伝わる波の震動は一瞬で......回復する視界の先、爆心地の如き風穴に魔獣の異形は失われ、背後の木々は断ち分かれ枝葉を燃やす。盛る炎の光景は行使された魔法の威力を物語る。


 黒煙が立ち昇る森。


 エドヴァルドが地に膝を突くアストレアへと腕を伸ばす。肩で息をする流麗なる銀の乙女の眼前には優美な騎士に非らざる無骨な手。それでも厳の顔は得意げで。アストレアは顔を自然に逸らせて気付かぬ様に口許を僅かに緩めると、差し伸べられた固く大きなその手を取るのであった。


 届く声。


 ──マモ......ル。


 ──ミン......ナヲ。


 発する言霊は形に為らず。


 ──アイ──ナ。


 黒煙に霞む先......幽鬼の姿は陽炎の如く。


「あれで死なねぇとか、とんでもねぇな......おい」


 人間が転化する。それが亡骸であろうとも......人外へと堕ちる程の無念を己の内に。妄執に至る未練と憤怒。それは常人が抱き得る負の情念の成れの果て。


「────っ!!」


 掴まれた手が軋む程の圧力。握られた少女の手が震えている。


「レイア......お前」


 エドヴァルドの眼下。可憐なアストレアの面差しは変わらず美しく......しかし先に向ける瞳は遮る硝子を通して尚......赤く深く朱に染まり、至る緋瞳は離す事なく魔獣の姿を見据えていた。



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