緋瞳のアストレア

ながれ

ある傭兵の回想

 大陸歴1325年。ナグア王国─北壁─。


 大陸の北部に位置する小国ナグア。その領内でも最北端に建造された砦は古き歴史を有し北壁の異名で国内外に知れ渡る北の要衝であった。歴史が物語る北壁の外壁は長城の如く辺境を望む平原に長く広がり、戦果を誇るかの様に補修を重ねた重厚な高き外装は年月の重みを感じさせ、大陸史を遡る事300年前、内陸部へと侵攻する魔神王の軍勢を水際で防ぎ続け最前線の地として刻まれる北壁は、今尚、現在に至るまで役割を終える事なく存在していた。


★★★


 季節は冬の訪れを告げ、見上げれば厚い雲間より粉雪が舞い降りている。そんな曇天を一人外壁の上から望む人影があった。


 長身とは言えぬ上背。しなやかさが滲む体の線は細く、肌を隠す外套の外からでも窺い知れるその体躯は一目で女性のソレと知れた。流れる寒風が彼女の長い銀髪を靡かせその容貌を束の間覗かせる。恐らくこの場に他者が居たならば性別の区別なく息を飲んだ事だろう。呼吸を一時ひととき忘れる程に余りに美しいその造形は、少女と呼ぶには大人びた、しかし妙齢と断じるには幼さを残す面差しは例えるならば可憐に咲く百合の花。


 そんな彼女の頬を更なる風が触れ──鼻孔を擽る冷気とは異なる籠った異臭に整った眉を曇らせる。


「因果は巡る、か。皮肉に過ぎて笑えやしない」


 全く困ったものだ、と呟く澄んだ鈴の音は、言葉とは裏腹に知らずか自虐的な笑みを浮かべていた。


 色濃く濃度を増してくる瘴気を前に彼女は外壁の先、辺境の地平線へと眼差しを向ける。瞳に広がる荒野の果て、先程まで無人の野であった筈の地平は生じた瘴気が大気を陽炎の如く揺らめかせその色を黒一色に染め上げていた。犇めき埋め尽くす黒き獣の群れ。魔獣の群体を黙視する彼女の瞳は陽光の反射など無い筈の空の下、爛々と紅く輝きを帯びる。


 300年と言う年月は魔神王の存在を歴史の一編に、伝承の内に埋もれさせ、確かな存在としての定義すら曖昧なモノへと変われども、天災の類いとして或いは疫病の類いとして定着した瘴気の存在を疑う人間は今の世には居ない。瘴気によって『転化』した魔獣が跋扈する差し迫り目に見える驚異に怯える人の世で、誰もそれを過去の残滓と否定も笑えも出来ぬゆえに。


 魔神王の呪い、とソレを人は呼ぶ。


 『転化の秘術』は瘴気を生み出し、帯びた生物を人外の化け物へと堕とすのだ、と。


 ──刹那、魔獣の襲来を告げる銅鑼の音が鳴り響き、束の間の静寂は一転して周囲は慌ただしい喧騒に包まれていくが、何処か一貫性と統率感に欠けた場の空気と変化は彼女には馴染み深いモノで良く知るがゆえに緊張の色はない。


 原因は明らかで北壁に詰める大半はナグア王国の正規兵たちではなく魔獣狩りを専門とする雇われ傭兵たちであったからだ。本来、魔獣討伐の報酬は高額で今回集められた人員の規模からしてもとても小国が一国で支払える額ではない。しかし群体への対処は人類共通の驚異を御旗として大陸諸国からの義援金が見込まれる。それが今回の資金源となっているのは明白で、しかし同時にナグア王国と領土紛争で血で血を洗う近隣国までもが出資している事に、その滑稽さを彼女は笑う。


「それほどに魔獣が恐ろしいのなら、さっさと戦争など止めてしまえば良いものを」


 彼女の呆れた調子の独白は、だが、そんな愚かしい人間たちを憎悪し愛していると言うのだから己のもて余す感情に困惑した様子で可憐な面差しを曇らせる。


「まぁ、答えはまだ先でいいさ」


 己への言い訳か、慰めか、小さな溜め息と呟きは風に流され消えて往く。同時に踵を返した彼女の足は喧騒の内へと向けられていた。


 向かうべき先は戦場。


 彼女の名はアストレア。


 彼女もまた魔獣を狩るべく北壁に集った傭兵の一人であった。

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