未だ春の兆し遠く軍靴は凍風に鳴り響きたる
降り
ゆえに夕刻のこの時刻。本来であれば雑多な賑わいを見せる通りには人影も疎らに多くの店舗は早々と店仕舞いの準備を始めている。そんな中、一転して盛況な様相を呈している界隈もまた存在し......暖を取るに適し飲食を提供する酒場が並ぶ繁華街はこれからが稼ぎの本番であった。
立ち並ぶ酒場の一つ。個室が常設された酒場の一室にアストレアの姿があり、卓を囲む連れ合いは馴染みの顔が其処に並ぶ。ユリウスとネセサリアの両名の姿である。
絶世と呼べる少女と美女。そして優男が密室に揃えば両手に華と。色に耽る甘美な空気に包まれそうなものではあるが、現実とはままならぬモノ。無言のままに各々が手酌で酒を呷る光景は夢想とはかけ離れた静かな空気が流れている。
「考えてみたのだけれど」
沈黙と呼ぶ程には重くはないものの、静かな場の雰囲気を壊す事のない美声ではあるが低調なネセサリアの声が個室に流れる。
「色々と面倒な行程はこの際省いて拷問しましょう」
今日は冷えるわね、と挨拶する調子で語るネセサリアの物騒な物言いにアストレアは無言のままに拒絶を示して首を振りユリウスは嘆息して酒を呷る。
「心配は無用よ。私は人体の構造を熟知しているからどう壊してあげれば人間が素直になるか理解しているわ。知らぬ事柄なら兎も角、内に潜ませる真実を私の前で黙秘を貫くなんて不可能よ」
「いや、そういう問題じゃないよ。セイレムの協会での遣り取りで私の
「そうだぜネス。仮にそんな真似をして罪を告白させても後に覆されて逆に訴えられたら俺たちは晴れて罪人だぜ。裁きの場では内容が虚言か真実かは問題じゃない。強制した時点で俺たちに正当性はなくなっちまう」
「後って何よ? 司法に頼る? ユリウス......貴方馬鹿なの。連中にそんな機会を与えてやる訳ないでしょ。村人の居場所と盗賊たちの所在を吐かせたら殺すに決まってるわ。人攫いで私腹を肥やすような下衆を相手に律儀に約束を守ってやる道理なんてある筈もないのだから」
激する事なく苛烈に言い切るネセサリアにユリウスはもう何度目になるだろうか、深く嘆息する。非合法な依頼も請け負う傭兵らしい思考だと言えなくもないが、この場では、アストレア相手では間違いなく悪手であるからだ。
「君たちが私の我が儘に協力してくれている事実を軽んじている訳ではないし感謝を忘れた訳でもない。けれど......それでも私には譲れぬ道理がある。馬鹿馬鹿しい主義と、理解出来ぬと笑って貰って構わない。けれどサリアの言が例え最適解だったとしても済まないがそれでも私に受け入れられる案ではないよ」
迷いなくネセサリアの案をアストレアは拒絶する。しかし全否定しない当たり言葉は悪いが少なからず進歩したと言うべきだろうか。以前程に他者に対する頑なさは今のアストレアには見られない。
「連中の懐に入り込み物証を掴む。その為にセイレムから今日まで布石を打ってきたんだろう。それを今更面倒と強硬手段に打って出ようなんてらしくないぜ。ちゃんと説明しろよネス。何が気に入らない?」
一方でネセサリアの変転ぶりに思い当たる節があるユリウスは合いの手を......いや、恐らく彼女が望んでいるであろう本筋へと水を向けてやる事にする。大体にしてそんな強硬案をアストレアが受け入れぬと当人も十分に心得ての発言を敢えて切り出した意図を汲んで。
「そうね」
と、頷き澄んだ蒼き泉を湛える瞳が二人を見据える。
「近日中に四ヵ国連合軍が北壁奪回へと遠征に出ると公表されてから色々と王都の情勢が慌ただしいのは承知しているでしょう? 私が気に入らないのはそれにエドが一枚噛んでるんじゃないかって事」
なるほどね、とユリウスは合点がいく。まだまだ付き合いの浅いアストレアには表情を読むに上手く伝わっていない様であったがユリウスには直ぐにネセサリアの意図が理解できた。最近のエドヴァルドの言動や行動に同様の疑問を抱いていたゆえに。
「つまり当初計画していた様に協会相手に時間を掛けるのは得策じゃないとネスは考えてるんだな」
「端的に言ってその通りよ。多少強引であろうとも妙な横槍が入る前に事態を動かした方が良い。私はそう思うわ」
「少し待って欲しい二人共。君たちが不安視しているのが貴族とエドヴァルドの繋がりを指しているのなら、多分それは杞憂だと思う」
最近のエドヴァルドがアルメシアと言う子爵家と緊密に接触している事はアストレアも知っている。事実として鉄血の鎖が冬を越す為の住居の問題を子爵家が公邸の一つを貸し出した事で解決を見ている。それ一つを以てしても鉄血の鎖が子爵家に雇われたと勘違いされても仕方がない事実ではあるが神殿への訪問に際して両者を繋げてしまったと言う自覚を持つアストレアとしては無意識にエドヴァルドを擁護してしまう言動をとってしまう。
両人が古くからの友人である事はユリウスもネセサリアも当然周知の事実ではあるのだろうが、団の方針として貴族の依頼は受けないとしてきたエドヴァルドがこの遠征を前にしてその方針を翻したとあれば当然この手の反発が起きるであろう事は想像に難しくなく。それが誤解である事を当事者としてアストレアは知るゆえに思わず言葉を発してしまう。
「残念だけれどそれが杞憂とは言えないのよレイア。大元を辿れば私たちがこの国に来たのはその子爵家......いいえ、現アルメシア家当主であるアデラールと言う男の親書が発端なの」
「アデラール.ヴァン.アルメシア。王国が誇る大英雄にして遠征軍の指揮官の一人として大々的に喧伝されている男。北域統一を掲げる過激思想の持ち主だという噂もある物騒な野郎さ。そんな男の傍らにウチの団長の影がちらちら見え隠れしてるのは俺たちにとって気分の良い話じゃないって事さ」
「だとしても」
と、続けるアストレアに
「アルメシア家は神殿だけではなく協会とも深く繋がる家柄とも訊くわ。エドと二人して何を目論んでいるのか......それはどうあれ、私たちがこの時期に協会を相手に立ち回る事を良しとしない可能性は充分に有り得る話よ。貴女も感情的にエドを擁護するのではなく客観的に考えてみなさい」
この二人が意見を同じくするのは珍しい。それだけにアストレアには厄介であった。エドヴァルドを良く知る二人ゆえ。アデラールと言う男についても良く良く調べて至った結論なのも窺える。
だが事実は違うとアストレアは知っている。神殿への伝手を得る為に自分がエドヴァルドを頼り、結果として彼がアデラールと言う男に貸しを作ったのだろう事は容易に想像出来る。二人が言う様に最近のエドヴァルドがらしくないと言うならば、それは何かしらの要求をされたためだろう。だが、もしそうであるならば、それは全て私が負うべき責任というものだ。
しかし今はこの場でどう二人を説得するかにアストレアは悩んでしまう。二人の誤解をどう解くべきか......それが一番の難題であった。今回の一件とアルメシア家は全くの無関係である事を。
緋瞳のアストレア ながれ @nagare
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