協会問答
戦争を効率的に行う為に職業としての軍人制度が確立してから一世紀。農村部への過度な徴兵制が緩和された一方で収穫期に際しても軍を編成出来る組織的な仕組みが普及した大陸では、資源を廻り、領土を廻り、人種を廻り、思想を廻り、大陸全土、見渡せば其処に戦場があった。
戦争が非日常ではない世界。各国は国内の人的資源の枯渇を防ぐ為の手段として傭兵を重用し続く思惑の先に新たな枠組みとして
設立の経緯からも知れる通り、在野に広く公募と勧誘を重ね、確保した傭兵を斡旋する協会の方針は信仰に基づく神殿や真理の探求を是とする魔術結社とは大きく性質が異なる。協会は国に帰属する組織であるがゆえに横の繋がりが希薄、と表現するよりも強く競争的であり、戦争当事国同士の協会に至っては
曰く、魔獣に関連する特殊事例である。
★★★
ナグア領セイレム。
セイレムはナグア王国において第三に挙げられる街。しかし基準となる国力が小国ゆえに規模としては大なりとは言い難く商業に寄らぬ近隣の開拓村との取引に、農業に支えられた街であった。近年では歴史に古い北壁が観光の名所として旅人の往来も増え、資源に乏しいナグアの新たな源泉として注目を浴び始めた矢先での北壁陥落の一報は経済的な側面でも王国にとって大きな痛手であった事だろう。
従って先の経緯を踏まえて見ても小国が抱えるには資金的にも馬鹿にならぬ協会支部が小なりとは言えどこのセイレムにも存在していた事はこの段になって思えば不幸中の幸いであったのは言うまでもない。
だがそれでも集結する傭兵に支部だけでは対処仕切れず街外には協会の臨時の天幕が立ち並び、街から溢れ宿を取れぬ傭兵たちが夜営する天幕と合間ってさながら野戦地の様相を呈している反面、一方で有力な傭兵団や個人への対応を主とする街中の協会支部では館内が人で溢れる事もなく相反して一定以上の平穏を保っていた。
そんな支部の一室。招かれたアストレアの姿が在る。
「報酬は手形で全額前払い。他の傭兵団、即席の
「私からの条件を全て飲むと言われてはね」
仕方なく、と言った様子ではあるが肯定的にアストレアは頷く。しかし青年に向けられる彼女の眼鏡越しの瞳には拭えぬ懐疑的な色がある。
「私の如く実績もない新参に、こんな破格な条件を提示しては協会の規約に反する......いや、背信行為として君が処罰を受けるんじゃないのか?」
アストレアが訝しむのも当然で、内規に照らしても恐らく異例に過ぎて明らかに
「心配には及びませんよ。レアさんが憂慮する様な事態。つまり私が責任を取らされる結果に至るのは契約対象が契約条項を満たせなかった場合のみですから。今は非常事態ですし何よりこの世界は結果が全て。先例がないのなら作ってしまえば良いのです。成果を以て黙らせるのも手腕の内なのですよ」
それとも自信がありませんか? と信頼とは異なる挑戦的な表情で語る青年にアストレアは僅かに目を細め......一瞬で空気が引き締まる感覚に青年の背に冷たい汗が滲む。魔法の類いではあるまいし本当に室内の空気が重量を増した訳ではない。青年がアストレアに抱く信頼を遥かに上回る恐れの感情。それが内的要因となって心身に影響を及ぼしているのだ。
彼女の美しき容貌は例えて魔性。男を狂わせ国を傾かせる抗し難い背徳的な魅力に満ちている。この歳で一人、旅をせねばならぬ理由をそれだけで納得出来る程に。青年は己が
このひと月、幾度か依頼の立ち会いで彼女と行動を共にしていた青年は戦慄を禁じ得ぬその剣の腕前と性質を嫌と言う程に知って......弁えている。彼女の剣の先、例え対象が人間であろうとも見えぬ剣閃が鈍らぬ側の人種である事も、だ。
彼女が協会を頼るのは滞在中の生活で生じる不便さを補う為に便利な小間使いを欲したからに過ぎず、魔獣を専門に扱うのはどの国でも優遇されるのを知るからだろう。人として歪んだ彼女と接するに重要なのは理解出来ぬモノに魅入られず己を保つ事。自身の為国の為、優秀な部分のみを此方も利用すれば良いのだ。
青年の額から流れる汗が床に落ち、束の間の緊張が続く室内に無言の内に契約書に署名するアストレアの筆の音だけが静かに響く。その光景を眼前に青年は胸中で深く安堵の息を吐く。
だからこそ──本人すら気付けなかったのだろう。
俺だけが真に彼女を理解しているのだ、と知らず想い見つめる己の眼差しに熱が籠っていた事に。
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