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 長い髪を腰まで伸ばし。黄金の君は花のかんばせをエドヴァルドに。泉の如く碧眼を向ける。妙齢の美女の落ち着いた佇まいは年齢よりも大人びた印象を周囲に与え。穏やかな深窓の令嬢の例えが語弊なく当て嵌まる。それがネセサリアの見姿を目にして語る最適な表現と誰もが頷くモノであった事だろう。


 彼女の本質を知らぬ団員以外には......との注釈が必要になる訳ではあるが。


 酒場で歳を揶揄されて。如何わしい目的で絡まれて。暇なく繰り返される煩事の解決に物理的な手段で制圧して来た数々の蛮......武勇をして火竜の逆鱗。と、一部の界隈で逸話と武名が広く知れ渡るネセサリアの烈火の如く激しい気性は。言葉より拳を以て語り合う女傑として団員たちに周知されていた。


 然りとて......荒ぶる気性に難は有れども、仲間の為にと医学を学び習得して見せた知性と教養。戦場では常に先頭に。敗する戦は最後方。己の背中に仲間を庇い盾と成り剣となって勇猛に駆ける姿は我らが黄金、と称される程に皆が信を寄せる女性である事も確かな事実。ゆえに北壁での撤退戦で傷を負い、他の傷病者と共に残留組としてセイレムで療養していた経緯はあれど、あれからひと月。他の者たち同様に既に傷は癒え以前と変わらぬネセサリアの姿に。久しぶりに顔を揃える馴染みの会合に。応接室の雰囲気も軽く和んだモノとなる。


「レイアの具合はどうだった?」


 然して意識せず、気楽な調子でエドヴァルドが訊ねたその瞬間......までは。


「正直に言って私の手には負えないわ」


 憂いを帯びた泉の瞳。軽々しく虚言を弄する人間でない事を知るゆえに、滅多に動じる事のない二人の男が色を変えてネセサリアを見る。森から後。別れたユリウスより、街に至るまでアストレアに同行していたエドヴァルドの方がより驚いた様子を見せているのは、別れる直前まで変調の兆しなく変わらぬ姿を目にしていたからに他ならない。


「左の肩口に魔獣の爪が貫通していた......。エド、負った傷の原因はそれで間違いないのよね?」


「ああ......けどな──」


「大凡......全治にして二ヶ月。損傷次第では二度と腕を動かせなくなる可能性も否定は出来ない程の重症よ」


 続けようとするエドヴァルドの言葉を......重ね遮る告知を前に。場の空気は重く張り詰めたモノとなる。


 が......。


「けれど私が彼女を診断した時点で。処置を必要としない程に傷は回復していたわ」


 最後に綴った一文は意外な程にあっさりと。ネセサリアは前言をひるがえす様に二人に告げた。沈黙は僅か。男たちは揃って安堵の息を吐く。ゆえに心情を察すれば次に発したエドヴァルドの声音の内に少し咎めた色が籠るのも仕方がないとは言えただろうか。


「おいおいおいっ、ネス......。お前にしちゃあ珍しく冗談のつもりかよ。まったく、驚かせるんじゃねぇぜ」


「冗談? 今の私の報告の何処に笑える箇所があったのか、是非に訊かせて貰いたいわね」


 ネセサリアはまなじりを決して。瞳は揺らめく波紋の様に。言葉には挑発的な響きが帯びている。


「私は彼女が人間とは異なるモノと言ったつもりだったのだけれど、そんなに面白い話であったのかしら」


「いい加減にしろよ。幾ら何でも話が突飛に過ぎる」


 これには流石のユリウスも目付きを険しく気配を変える。アストレアが団に与えるであろう影響をエドヴァルド程に楽観はしていないユリウスではあれど、それでも仲間と成る者に対する配慮に欠け、踏み込み過ぎるネセサリアの発言に不快感を隠さない。


「全治にふた月は掛かる怪我をたったの四日程度で癒してしまうモノを人間とは呼べないわ」


「お前......本気で言ってるのか?」


「勘違いしないでねユリウス。私は積み上げられた事実を元に語っているのよ」


 戻った団員たちから聞き及んだ多くの証言。


 卓越した剣の技量。撃の位階に至る魔力量。高位の魔獣に迫る運動能力。そして......魔獣の象徴である緋色の瞳。全ての事柄が一つの事実を現しているのだ、と。


「人間が転化した魔獣は人形ひとがたに似ると言われているわ。なら一際に強大な力を有する個体なら、人間と区別が付かぬ見姿に擬態も可能だとは思わない? それなら異常な回復能力も。見た目より遥かに長く生きているゆえの成熟さも。寿命の概念が曖昧な魔獣であれば頷ける話」


 加えて美しく可憐な少女の姿は実に役に立つだろう、と。それはユリウスが懸念していたアストレアが持つ魔性に属する魅力にも意味を与え......。


 時に真実とは物語よりも奇なるモノ。


 例え水辺のない荒野で旅人が溺死したとしても、常識的にあり得ぬと事実である死因を否定しては成らぬのと同じ事。理由と過程が不明であれど、説明が付かぬとしても、確定している結果を歪めては全てを見誤るとネセサリアは警告する。


 正論にも思えるネセサリアの憶測に......だが、反感と反論を以て臨む者が室内には居た。


「なるほどね。その言い分は一周回ってお前が何よりも毛嫌いしている神殿の連中に似ているな」


 長机の上。用意されていた木製の杯に手を伸ばしていたネセサリア。明確な皮肉が籠められたユリウスの言葉に掴んだ手を止める。みしりっ、と杯が軋んで内の葡萄酒が波紋に揺れる。


「歴史的に否定された六英雄。それを信仰を広める為に利用して居もしない虚像の英雄を神の使徒として崇め。関連付けて魔神王が復活する末世を仄めかし民たちの不安を煽って権威を高めて金を集める。大陸で六英雄と魔神王が誰でも知る有名な物語なのは浸透させた神殿の影響だしな」


 神殿の教義が記された聖典。


 目録の最後に綴れた一節は余りにも有名で誰もが知る。


 ──福音の刻、開かれし最後の門。六英雄は世に再臨す。悪しき獣は世界に排され迎える創世は祝福される。


 魔獣なき世が訪れるとされる神殿の予言は......長き歴史の内に民衆に希望を与え。時に過ぎたる盲信に多くの血が流されてきた。都合良く己が為の真実は妄想と紙一重。神殿の事例をして同列とユリウスはネセサリアを揶揄する。


「何が言いたいのか分からないわね」


 言葉とは裏腹に、びしっ、と再びネセサリアが手にする杯が圧力で軋む。


「まぁ、俺が言いたいのは──」


 ユリウスは熱くなり過ぎて本来伝えるべき本筋から外れている事に気付き。頭を掻いて自重する。ゆえに続く言葉は端的で。


「安易な解釈で勝手に仲間を化け物扱いしてんじゃねぇよ」


 辛辣であった。


 瞬間──室内に響き渡る破砕音。木片を飛び散らせ潰れる木製の杯。握り潰したネセサリアの手は葡萄酒の淡い朱色で染められる。


「良い度胸だわユリウス」


 たおやかな花は握る拳をそのままに。嗤いながらも席を立ち。物騒な兄弟喧嘩を前にして何時もなら諌める筈の家長の姿は無言のままに。腕を組んで両者を見据え......動く様子は見られなかった。




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