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 交差する瞳。刹那の邂逅の先、視線を逸らせたのは少女の方であった。男とは対照的に感情の揺るぎ無く流れる緋瞳の残影は向き直る面差しに隠れ、男の瞳は束ねる事も無く腰まで伸びる銀髪の華奢な少女の背中を映す。


 驚きが先に立ち、掛けるべき言葉と機会を逸した男の後悔は、感情とは裏腹に額に滲む冷たい汗が珠となり溢れて大地を濡らす。それは少女の緋色の瞳に抱いた畏怖からではない。真に男を戦慄させたのは……。


 じりじり、と尚、城壁の上の魔獣は数を増していく。だが、一匹として一体として少女と距離を詰めようとする個体はない。その事実が、現実が、男の心胆を寒からしめる。魔獣にとって人間とは殺し喰らう贄でしかない。ゆえに其処に凡そ人の尺度で推し計れる感情の機微や起伏など介在しない。にも関わらず男の目には魔獣が少女に対して抱く恐れを強く感じさせ、男は知らず身を震わせる。それは生物としての本能的な警鐘と呼ぶべきものと言い換えても良いだろう。


 瞬間、男の視界がすっと下がる。少女の頭部と高さが変わらぬ己の視線に困惑するが、直ぐに両膝を地に突いている事に気づく。先程まで絶え間なく襲われ続けていた激痛は既になく、だがそれが全身に麻痺が広がり感覚を消失しているゆえの変化なのだと男は悟り、同時に己の命の終わりを理解する。


 男の様子を察したのだろう、振り返る事なく少女は僅かに首を振る。


「貴方が望むなら私が苦痛から解放してあげてもいい」


 涼やかな少女の音色が男の耳朶に届く。周囲の喧騒をまるで意識させない明瞭で凛とした声音。文字通り介錯をすると言う意味合いなのだろうが終始声の調子は低く其処に憐憫の情が籠らぬゆえに男は寧ろ少女に対して感謝の念を抱く。だからこそだろう、男は最後に意地を張る。


 歯を食い縛り膝を叩いて尚残る全てを以て再度立ち上がる。メキッ、メキッ、と痛覚が麻痺した状態で無理に起き上がった反動で有り得ぬ負荷が掛かった足の指が悲鳴を上げる音がする。が、男は意に介さず更に大きく一歩を踏み出すと少女の隣に並び立つ。


「配慮は不要。気になされず成すべきを成されよ」


 傭兵を主体とする北壁の攻防戦において主軸を担うのは組織的な行動が可能な傭兵団単位。個人で集まった傭兵はその下に編入されていた筈。漂う雰囲気からも彼女が後者に属する傭兵であるのは訊かずとも察せられる事。であれば何かしらの目的を持ってこの場に現れた事は明白で、それが単独での支砦の支援などと考える程に男は愚者でも楽観主義者でもなかった。


 単独で魔獣の只中を斬り進める程の剣の腕を有する彼女が担う役割は特別なものだろう。ならば尚の事、例えそれが報酬の、金の為だとしても、己の不甲斐なさを理由に邪魔をする事は男の矜持が許さなかったのだ。


「全く……何時の時代も男子おのこって生き物は」


 ──不器用なのに格好をつけたがる。


  流れる緋色が横に並ぶ男を見据える。流し目と呼ぶには余りに少女の眼差しは、横顔は、優しげで、悲しげで、達観した深く静かな瞳の色は四十を越える男にして遥かな年長者の風格を其処に見る。


「私の役割は後始末。出来る限り転化の芽を断っておくように頼まれた」


 短く告げる少女の言葉で男は戦の趨勢を知る。戦場は最も瘴気が発生し蔓延し易い環境。それを放置すれば新たな魔獣を生み出す温床となる。だが、戦の只中でそれを行う意味を分からぬ男ではない。


「なれば急がれよ、傭兵が逃げ遅れて命を堕としては悪い冗談にもなるまいよ」


 男の視線の先、外壁の魔獣の群れは後続に押される形でじりじり、と距離を詰めている。見上げる大階段の上方は既に魔獣の群れで埋め尽くされていた。


 一歩、男は少女を顧みる事無く歩みを進め。不意に立ち止まる男の足が更なる歩みを刻む事は──なかった。蝋燭の炎は消え往く間際に燃え盛り、終わりは突如訪れる。


「ラグナ・アクタ──」


 男は今際の際、美しき精霊の詩を聴く。


──エスト。


 炎の最上級魔法『炎撃』。


 その逆巻く紅蓮の炎は周囲一帯を巻き込んで生者、死者の区別なく一切を焼き払い、焼き尽くし、灰塵へと帰す。


 男が最後に瞳に焼き付けた光景は全てを塗り潰す緋色の世界。しかし其処に恐怖はなかった。寧ろこの数奇な運命に、巡り合わせに感謝する。炎の魔法を扱う凄腕の剣士の存在は、例え見姿が違えども性別が異なろうとも、己の原点たる憧れた英雄の姿を彷彿させ、ゆえであろうか、その最後は不思議と安らかなものであった。


 大陸歴1325年、初冬。北壁──堕つ。

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