第2話

 声をかけてきたのは仁礼 聖羅にれ せいら

 身長も高めでスタイルも申し分のない、華やかな美少女だ。


「良かった! 瑞貴君もいたのね。瑞貴君、私、怖い……」


 瑞貴のブレザーの襟をちょっと掴みながら、上目遣いで目に涙を溜めつつ、そう言って瑞貴へと女らしい体を摺り寄せ、安堵のため息を漏らす仁礼を見て、杏は眉根を寄せる。

 無意識だったが、どうにも瑞貴の側に彼女がいると落ち着かないというか、有体に言えば嫌なのだ。

 仁礼には不思議とコンプレックスを刺激される。

 自分と見比べて女性らしく見事に成長している仁礼に、杏は劣等感を抱いていた。

 もっとも、杏が密かでありながら強烈に劣等感を抱いているのは彼女ではないのだが……


 当の瑞貴だが、心は毛ほども動かない。

 むしろ鬱陶しい。


 杏にとっては仁礼がいつもの様に瑞貴に絡みついている事が心を騒がせて嫌なのも常通りで、彼女がその感情の出所が分からず当たり前の様に首を傾げながら、仁礼の取り巻きがいない事に気が付いて声をかける。


「仁礼さん、坂口さんと天野さんは一緒じゃないの?」


 不満そうな顔をしながら仁礼が口を開く。


「ええ。どこに行ったのかしら……」


 瑞貴が面倒そうにしつつ


「仁礼、瑠那を見なかったか?」


 仁礼はムスッとした表情になりながら、それでも瑞貴の問いだからとしぶしぶ答える。


「知らないわ。それと瑞貴君、私の事は聖羅で良いって言ってるじゃない」


 瑞貴は苦笑を顔に張り付け、唾棄しそうになる本心を綺麗に隠す。


「ごめん。仁礼さんを名前で呼ぶのはもったいなくてね。それとありがとう」


 やはり瑠那でなければダメだと認識できたため瑞貴は礼を言ったが、当然仁礼は気が付かない。


「良いのよ。それも瑞貴君らしいし!」


 気分良さそうに可愛らしく微笑む仁礼に、見事で綺麗な笑みを返す瑞貴。

 その瑞貴の笑みに頬を愛らしく染めて見惚れる仁礼。

 一見仲睦まじげに見えるが、その実瑞貴は仁礼が心底どうでも良い。


 気付かない杏はそんな二人を見ていたくなくて、今日の事を思い出していた。



 いつもの様に祖父母、両親、弟妹と朝食を摂ったのだ。

 祖父母と両親の仕事場である持ちビルは近いし、いつも家族で一緒の食事だった。

 別棟の祖父母も一緒の食事を摂るのが常で、料理は祖母と母、杏と妹の四人で作ったりすることもあるけれど、家事代行サービスと今は言うが、祖父母に言わせると家政婦という事になる、そういう人に頼むのも当たり前だった。

 祖母も母も綺麗好きではあるが、普通とされるものより広いのだといつの頃からか気が付いた家がいつも綺麗なのは、家事代行サービスを多用しているからだろうと杏も妹も思っていた。


 客はもとより家族が食べる食事も自分の手作り料理というより、家に料理人を呼んで作ってもらうか出前を頼むのが普通であると認識している杏だったから、瑠那の料理好きには常々驚いていたのだ。

 朝、教室で会った瑠那は、いつもの様に自分で手作りした弁当を持ってきていた。

 瑠那はいつも昼食は自分の手作りの弁当で、彼女は瑞貴の分も作っているらしく瑞貴も常に弁当だった。

 学食で瑞貴も交え三人で食事を摂るのが常だったから、自分だけ学食なのがもどかしく、母に弁当を作って欲しいと頼んだら、家事代行サービスの人が作り置きしていたおかずを詰めた物が出てきて、ちょっと杏はモヤモヤしたものだった。


 瑞貴の家も瑠那の家も杏の家よりとても裕福だったにも関わらず、瑠那は何かと手作りするのが好きだったし、瑞貴は瑠那手作りの何かをもらう事をとても喜んでいたのだ。

 刺繍や縫物、編み物も瑠那は得意で、杏は羨ましかった。

 手先が不器用な訳ではないが、家庭科の授業でも瑠那ほどには上手に出来なかったから。

 とはいえ、クラス中、否、学年中を見渡しても、彼女の様に見事な出来にはならないだろうと杏は独り言ちる。


 二時限目が終わった休憩中、瑠那のハンカチにしてある菖蒲の刺繍が綺麗で見せてもらっていたのだと思い出す。

 瑠那はいつも季節に合わせた刺しゅう入りのハンカチで、手を拭くのがもったいないのではと杏は思うのが常だった。


 瑠那が次の授業の予習が不安だと席に戻り、杏が自分も確認しようとした時だったろう。

 眩い光に包まれたのは――――


 そして目を開けたらこの白いモノで覆われた真っ白な空間だったのだ。



「校長先生とかいないのかしら……先生達も全然だめね」


 瑞貴に寄り添いながら大人達に目をやり、仁礼は深くため息を吐く。


「先生達も混乱してるんでしょうね……ねえ、丹羽君、さっき丹羽君が言っていた様に、もしかして、瑠那ちゃん、ここには居ないんじゃないかな……?」


 杏は周りを見渡しながら瑞貴へと問いを発する。


「どういう事だ?」


 瑞貴が先程自分でそう言っておきながら不安そうに杏を見る。

 彼は瑠那が見つからない現状に、常日頃ではあり得ない程異常なまで不安定になっていたのだ。

 だがそれに気が付かず彼の視線が自分に向いた事に密かに喜びながら、そのことに自分で驚きつつ、杏は自分の考えを答えた。


「うん。ここから見る限り、全校生徒は居ないと思うの。この場所って平坦だよね。それに私は背が高いから結構見渡せる。それで体育館とか講堂で全員整列した時より絶対に人数が少ないって思う。丹羽君も言っていたでしょう? 少ないって。なら、ここに居ない人がいるはずなの。確かにここには百人以上は確実に居る。でも、それでも高等部全員には絶対足りない。ちらっと見ても分かるくらいクラスメイトの何人かはやっぱり見当たらない。その人達がどこにいるかって言ったら、一番可能性が高いのは、元居た教室じゃないかなって……」


 後半は確信が持てず力なく杏は答えたのだが、それを聞いた丹羽は、静かに瞳を閉じ、深くゆっくりと息を吐いた。


 そんな時だ。

 頭の中に声が響き渡ったのは――――

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