第9話
小さなスイッチ音がしたと同時に、三つある通路の内左側のものから異形と言える生き物が複数、悪臭と共に現れた。
耳と鼻は長く尖っている。
凶暴そうな牙が小さいながらビッシリと見え、頬まで裂けているのは口だろう。
獣と思われる皮を腰に巻いている以外の身に着けている衣装は無い様だ。
手に持っているのは太さから棍棒だろう。
一メートルは無さそうだが、頑丈そうなのが見て取れる。
身長は日本人女性の平均前後だろう。
肌の色は緑系。
おそらく深緑なのだろうが薄汚れている為正確には分からない。
体は痩せ気味に見えるが脆弱な感じもせず筋肉質に見える。
「ゴ、ゴブリン……?」
ほぼ全員が時間が停止でもしたかのように固まる中、現れた異形の生き物を見て逢坂が思わず呟く声が不思議と響く。
それと同時だったろう。
五体現れたその異形の生き物は耳障りな甲高い雄叫びを上げ、目を殺意にぎらつかせて襲いかかってきたのは。
誰も彼もが動けない。
思考も体も現実だと認められない者が大半だからだろう、咄嗟の事態にも行動できたのは――――
「皆、元来た場所まで――――」
真宮が叫び、土岐は人を押しのけ誰より先に逃げ出し、雪音と逢坂、芽依咲の三人は周囲の動けない者達を急き立て引っ張る。
杏はいつもの様に恐怖で固まり、聖羅は瑞貴を必死に目で探す。
その狂騒は一瞬ではあれどスローモーションの様でもあった。
「動くな」
それらを終わらせたのは唐突に響いた他を圧し従わせる声。
同時に全員が思わず声に従って動きを止めたのだが――――
その全員の視界を思わず奪ったのは、今まさに自分達に襲い掛かっていたはずの緑の異形の生き物が、喉や片目から血飛沫を上げながら倒れようとしている光景。
誰も声さえ発せられない。
有り体に言えば訳が分からず頭がフリーズしてしまっていたのだ。
不気味な沈黙に支配されたとでも言える空間を意にも介さず、何処に居たのか突然瑞貴が緑の異形へと近づいていく。
慣れた動作で確かに死んだと確認してから、瑞貴はリミッターを壊していた事を壊し、きちんと全て調べ終わってからでないと危険だなと猛省していた時だ。
脳内に、よくあるゲームのレベルアップ音と共に無機質な先程の説明していた声が響く。
『おめでとうございます。職業を得られました。レベルアップしました。以後レベルアップしたかどうかはご自分でお調べ下さい』
それだけ言って後は何も聞こえては来ない。
今度は瑞貴の方がフリーズしそうになる。
説明では誰か一人、人間を殺せばあちらが決めた職業になるはずだ。
……確かに人型だが、この緑の生き物、おそらく”ゴブリン”だろうが、それも人間にカウントされるということか?
自問しあり得ないと瑞貴は独り言ちる。
あの声の主がそれ程善意あふれているようには思えない。
何か致命的な罠が隠されているのではないか?
そう、人間にカウントされたのだから、もしかしてあの”ゴブリン”は――――
「丹羽君、大丈夫?」
集団から抜け出し瑞貴の傍らには心配そうな表情の聖羅がいた。
「……ああ。近藤は?」
その声を聞いて恐る恐る杏も集団から瑞貴へと近づいてくる。
横目で見ながら、此処で職業を確かめるにしろ考察するにしろして良いのか瑞貴が悩んでいると、何故だろう、この広くなっている空間で気になる箇所が複数あるのだ。
今までは気にならなかった。
だが、現在は数か所に違和感を感じる。
瑞貴は近くにありながら、聖羅と杏からも、固まっているだろう他の者からも離れている絶好の場所で確かめてみる事にした。
いつも護身用に持っている天然石類ではなく、身代わり用の小石に瑞貴の髪の毛を貼りつけたものを取り出し、そっと投げてみる。
すると、またカチリと音が小さく、だが確かにしたのを瑞貴は確認した。
それとやはり同時に、今度は三つに分かれた通路の右端から、大型犬くらいはあるだろう犬のように見える生き物が、これまた複数現れたのだ。
現れたと同時に、ギラつく殺意しかない目を輝かせ咆哮を上げながら襲い掛かってきた犬らしき生き物から逃げようにも、先程の声の効果で大多数はまったく動けない。
どこか呆然としている内に、三頭いたその犬に似た生き物達はキャインと声を上げて血塗れでまた倒れていた。
濃い茶色の毛並みに鋭い牙の犬の様な生き物を観察し、一頭は絶命し、二頭は狙った通りの瀕死であるのを確認してから声をかける。
「仁礼、近藤、来てくれ」
聖羅は静かに、杏はおっかなびっくり瑞貴の側に行く。
「武器が欲しいと思え」
瑞貴が命令口調なのはいつもの事だが、それに従う様に調整しているのは緊急事態故だ。
二人はキョトンとしながら言われた通りに素直に思ってみる。
すると、手の中にナイフが現れたのだ。
そのことに動揺している二人に有無を言わさず、瑞貴は告げる。
内心申し訳ないと思いながら。
詳しく説明していると面倒な事になりそうだったのも手伝い、独断専行になっている事も分かってはいたが、こればかりは此処に居る中では二人以外には頼めない。
「それでこいつの片目で良いから思い切り刺せ」
端的な言葉だったが、二人は不安そうに瑞貴を見る。
「必要だ。無理にでもやれ」
難しいのは分かっている。
元居た世界で生き物を直接殺す機会など普通は無い。
しかもこれ程大きく、その上犬の様な生き物なのだ。
まだ虫の様な姿であったのなら違っただろうが、どうみても犬にしか見えない。
これを躊躇なく殺せるのは、間違いなく異常者といえるだろう。
――――瑞貴の様に。
それでもどうしても実行して欲しい。
後で後悔するかもしれない。
だが生き残るにはこれが最良だと瑞貴は思ってしまった。
悪辣な罠が張り巡らせているのなら、どうしても力がいるだろう。
それが罠を仕掛けた当事者に与えられた物でも。
何をするにも生き残るしかないのなら、力を得るのは必須だ。
だからこそ瑞貴は二人の選択を待つことにした。
言葉足らずなのは自覚しているが、人間相手に真面な言葉をかけられるのは瑠那だけな瑞貴である。
自分でもこれは無いと思ってはいるがどうしようもない程の人間嫌いなのだ。
意を決した聖羅は静かに肯くと、しっかりと目を開いて虫の息の犬らしき生き物への片目へとナイフを突き立てたのだが――――
今度は先程の瑞貴が倒した時とは違う変化が起きてしまう。
そう、聖羅がナイフを突き立てたと同時に犬のような生き物は、光の粒になって消えたのだ。
跡にはただ、濃い茶色の小さめな長方形テーブルくらいの大きさはある毛皮と、十キロくらいはありそうな肉の塊、幾つかの牙と爪、鈍く光る透明度の低い水晶の様な小石が一つ。
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