ちよこれいとこわい:3話
バレンタイン当日、俺は楽屋でチョコを配る雲雀を遠巻きに眺めていた。
「今年は、唐辛子チョコにしました!」
はしゃぐ雲雀の声に会わせ、師匠たちが俺をチクチクと睨む。
『止めろって言っただろうが!!』という心の声が聞こえるが、俺はそれを笑顔で交わした。
「ほらほら、食べて下さい! 今年は力作ですから!」
そう言って、一番に纏わり付かれているのは圓山師匠である。
「師匠には、アーンしてあげましょうか!」
「やめろバカッ!」
「師匠と私の仲じゃないですか、ほらアーン!!」
「そ、そういうのは夜鴉にしてやってれよ。ほら、俺がされるガラじゃねぇだろ?」
いい逃げ道を見つけたと思ったのか、師匠がしたり顔で俺を見る。
『裏切り者から死んでしまえ!!』という心の声も、聞こえた気がした。
だから俺は師匠の口に突っ込もうとしている雲雀の手を、そっと掴む。
「がらじゃないなら、このチョコは自分が貰いますよ」
「お、おうっ! って言うか全部持ってけよ! 刺激物は医者から止められてるんだよ」
師匠の言葉に、他の噺家たちも「その手があったかと」と顔を上げる。
そしてこういうとき、機転が利くのが噺家だ。
「俺も胃が弱くて」「刺激物は駄目で」「彼氏の前で、さすがに手作りチョコを貰うのは悪い」とすぐさま言い訳を思いつき、彼らは次々俺に箱を押しつけてくる。
「自分が独占してしまっていいんですか?」
途端に、その場にいたほぼ全員が大きく頷く。
唯一、俺の笑顔から何かを察した獅子猿兄さんだけが箱を持ったまま立ち尽くしていたが、それ以外のチョコをあらかた回収した。
その様子が見えていない雲雀は、惚けた顔でチョコをつまんだまま固まっていたけれど、察しの良い彼女がこの状況に何も感じぬ訳がない。
「あの、もしかしてみんな、そんなにチョコ欲しくなかったんですか?」
小雀の言葉に師匠がわかりやすく動揺した。
その動きを肯定ととったのか、小雀の表情が僅かに暗くなる。
だから俺は、急いで雲雀の手首を持ち上げ、彼女のつまんでいたチョコをそっと啄む。
指先に唇が当たった瞬間雲雀は真っ赤になったが、おかげでそれ以上の追及はなかった。たぶん今ので、ここ数分の記憶も全て消えたことだろう。
「私たちに気を使ってくれたんですよ。そうでなければ、こんなに美味しいチョコを断るはずがない」
甘く囁くと、雲雀は「うわああああ」と叫び、その場から逃げ出す。本当に目が見えていないのかと疑いたくなる、見事な逃げっぷりである。
一方その後ろでは、何かを察した獅子猿兄さんが箱を開け、チョコにかぶりついていた。
「な、なんじゃこりゃああああ」
往年の探偵ドラマを彷彿とさせる雄叫びを上げ、獅子猿兄さんはゴリラのようにバクバクとチョコに食らいついている。
そこで初めて、圓山師匠が俺の腕を掴んだ。
「……あれ、唐辛子入りじゃないかったのか?」
「入ってますよ。ただ後味にピリッとくるくらいです」
それが良いアクセントになり、チョコの味が引き立つのだと笑って解説する。
ついでにフランスの一流ショコラティエ直伝のレシピと最高級カカオから作ったと言えば、噺家たちはようやく自分たちが間違った選択をしたと気づいたらしい。
特に師匠は、縋るように俺に身を寄せてくる。
「……なあ、一口」
「刺激物は、医者に止められてるんですよね?」
柔らかな声と笑顔を向けたのに、何故だか師匠は恐ろしい物を見るような目を俺に向けてくる。
「お前、まさかこうなることまで見越して……」
「見越すなんてまさか。ただ、小雀姉さんの大事なチョコを独り占めできないのは悔しいなと思ってましたから、この展開は好都合でしたけど」
と言うことでこれは全て自分が食べますと微笑んで、俺はチョコを紙袋にしまった。異を唱える者は、誰もいなかった。
そして俺は、廊下で身悶えているであろう雲雀の元に向かう。
楽屋でのやりとりはもうすっかり消し飛んでいるだろうが、念のため、もう一言か二言甘い言葉で動揺させておくべきだろう。
今日はバレンタインデーだし、キスくらいしても許されるはずだと考えながら、俺は廊下の隅にしゃがみ込んでいる雲雀の横にゆっくりと膝を突いた――。
ちよこれいと怖い【おわり】
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