10 小雀、初めてキスをする


「おいウズラ! ピーナッツパンかってこい!」


 弟子になって以来、師匠は私を良くコンビニに走らせる。

 ちなみにウズラというのは、一番最初に師匠から貰った名前だ。いわゆる前座名である。

 本名が小鳥遊たかなし 雲雀ひばりというので「じゃあなんか鳥だな、鳥にしよう」という師匠の一存でウズラに決まり、その後二つ目昇進と共に「小雀」と進化するわけだが、微妙にサイズはダウンしている気もする。

 だが、師匠の言葉は絶対なので深くは考えてはいけないらしい。


「ほら早く行け、ピーナッツパンだぞ。コッペパンのやつな!」

「こんな寒い日に女の子を走らせないでください」


 とはいえ、師匠のお使いに文句の一つくらいは言いたくなったが、苦言を呈するより早く藤先生が助け船を出してくれた。

 その頃藤先生は師匠の家の家事手伝いをしていて、その日も私と一緒に夕飯の片付けをしてくれていた。

 テレビでは、たしか明石家サンタが流れていた。そう、アレはクリスマスの夜だったのだ。


「年末興行で疲れた師匠のために頑張るのが弟子の勤めだろう」

「じゃあ、俺が買ってきます」

「お前は弟子じゃない」

「でも、この家のお手伝いですから」


 そう言って財布を手に出て行く藤先生。それを見送っていると、突然師匠にコツンとやられた。


「お前もいけ」

「でも先生が買ってくるって」

「アイスも食べたくなった」

「携帯で連絡すれば良いじゃ無いですか」

「……お前、そろそろ理解しろ。俺は今、凄まじく気を利かせてやってんだぞ」


 どういう意味だろうと首をかしげていると、「とにかくいけ」と家を追い出された。

 仕方なく藤先生をおいかけると、彼はぎょっとした顔で私を見た。


「せめて上着くらい着てこい」


 ちょっと怒ったような声で、彼は着ていたコートを脱いで私にかけてくれた。

 それが嬉しくて、申し訳なくてへらっと笑うと、藤先生が私の頭をコツンと優しく叩く。

 今まで色々な人に「コツン」とやられることが多かったが、私は藤先生のコツンが一番好きだった。


「先生は寒くないですか?」

「ああ」


 柔らかいけど、ちょっとだけぶっきらぼうな声が耳朶をくすぐる。

 最初会ったときは紳士的で穏やかな人だと思ったけれど、仲良くなってみると先生は結構無骨で男っぽい。言葉数もさほど多くないし、しゃべり方も少し冷たいときがあるが、そこがむしろ好きだったし、いいなぁと思っていた。


 だからこうして二人きりで出かけて、彼の時間を独り占めできるのは嬉しい。


「そういえば師匠、アイスも食べたいって言ってました」

「こんなに寒いのに?」

「物好きですよね」


 言いながら、具体的な商品名は聞かなかったなと今更気づく。でもコンビニに着くと、藤先生は迷うこと無く、チョコモナカジャンボをかごに入れた。後ピーナッツパン3つと、タピオカミルクコーヒーもかごに入れた。全部、師匠の好物だ。


「藤先生、師匠の好みバッチリ把握してますよね」

「まあ、尊敬している人だしな。それよりお前こそ、もう少し把握した方が良い」

「把握はしてます。ただ、コンビニにいくと、つい自分の好きな物を買いたくなっちゃって」

「お前は、本当に自由だな」

「だって、コンビニ楽しいじゃないですか。色々あって、見てて楽しくて、だからつい思うがまま買いたくなるんです」

「でもせめて、一個くらい師匠の好きな物も買ってあげてくれ。ウズラがちっとも言うこと聞かないって、拗ねてるぞあの人」

「そういうところ、可愛いですよねー」


 そう、可愛いとは思っているのだ。だからそういう顔を見たくて、すこし、意地悪をしてしまうのだ。

 だからきょうも、先生がかごに入れたピーナツパンを一つだけ棚に戻し、師匠が嫌いなイチゴジャムパンを一個かごに入れる。

 それに藤先生は苦笑していたけれど、結局そのままレジに持っていった。

 パンとアイスを買って、コンビニを出ると外では雪がちらつき始めていた。


「おおおお、コレがホワイトクリスマスって奴ですね」

「ああ、珍しいな」


 見たのは初めてだったので、私は少し興奮していた。

 そしてこの中を藤先生とのんびり歩きたいと思ったけれど、彼は薄着なのでそうも行かない。


「早く帰らないと、風邪引いちゃいますね」


 寂しいけれど、先生にはあまり我が儘を言わないようにと決めているので、私は慌てて家へと向かう。


「おい、どこ行くんだ」


 でもそこで、不意に腕を捕まれた。


「どこって?」

「そっちは、逆方向だろ」


 言われて、私ははっとした。ホワイトクリスマスに気を取られて、私はすっかり緊張感を失っていたらしい。


 冬に入り、寒さが募るにつれ、私の目は急速に視力が落ちていた。

 それでも訓練のお陰で、仕事中に自分の居場所を見失うことは無いけれど、藤先生といると彼の事ばかり考えてしまい、つい集中力が切れてしまうのだ。

 本当はそろそろ杖を使わなければいけないのだが、そうすれば目が見えなくなることを周囲に悟られるからと踏ん切りが付かない。

 どのみち言わねばならない日は来るのだけれど、藤先生に笑ってもらえる日までは隠し通したい気持ちがあった。

 もうすぐ見えなくなると知ったら、彼は同情してくれるだろう。そして無理にでも笑ってくれるに違いない。だからこそ、私はまだ目のことを誰にも言えなかった。

 自分の実力で、彼を笑せたかったのだ。


「雲雀」


 どこか心配そうに名を呼ばれ、私は先生を見上げる。


「最近ぼんやりしていることが多いけど、大丈夫か?」

「大丈夫です。師匠が忙しいせいで雑用も多いから、確かに疲れてはいるけど」

「これから更に忙しくなるし、休めるときは休め」


 藤先生の言葉に、私ははいと頷く。それに、藤先生がふっと笑った。

 だいぶ見えにくいけれど、まだ、見える。まだ、かろうじて見える。

 それにほっとしていると、彼の笑顔が突然曇った。


「やっぱりお前変だぞ」

「変ってひどいです。確かに良く変人変態扱いされるけど、私は普通だし、むしろ可愛いし……」

「……ならなんで泣いてる」


 言われて、私はもの凄くびっくりした。

 慌てて頬に触れてみると、確かに私の目からは涙がこぼれていた。


「な、なんででしょう」

「俺に聞くな」

「いや、私もわかんないんです。ゴミですかね」


 目は痛くないのになぁとこぼしながら、私は涙を拭う。

 でも涙は後から後からこぼれて、ちっとも消えてくれない。

 そしてその理由が本当にわからず、私は困り果ててしまう。

 もっとはっきり笑顔が見たいなとは思ったけれど、だからといって泣くほどの切なさや悲しさを感じていたわけではなかった。

 そもそも、私はその手の感情と縁を切ったはずだったのだ。泣きたいような状況には良く陥ったけれど、だからこそ悲しいことには慣れていたし、今更泣いたりするなんて絶対にあり得ないと思っていたのだ。


 だからやっぱりこれは、目にゴミが入ったのだと思いながら、私はうつむく。


「とにかくあの、今は、私のこと見ないでください」

「無茶言うな」


 藤先生は私に近づいてきたけれど、泣き顔だけは見られたくなくて、私は手で顔を覆う。


「見ちゃ駄目です」


 だって昔、祖母から今際の際に言われたのだ。

 お前の泣き顔は気が滅入る。

 見ているだけで嫌な気分になるから、二度と泣くな……と。

 だから藤先生にだけは見せないようにと決めていたのに、なぜ突然涙が止まらなくなるのだろうと私は焦る。


「見せろ」

「嫌です。泣くとめっちゃ不細工だし、藤先生に嫌われたらこまるし」

「前にも見たことはあるし、嫌ったりしなかっただろう」

「ど、どうせ見るならおっぱいにしましょうよ! そうしたら、先生も私の色気に気づいて好きになってくれるかもしれないし」

「そっちの方が逆効果だ」

「こ、こんなにセクシーなのに」

「やっぱりお前、目がおかしいだろ」


 その言葉にドキッとして、私はうっかり油断した。

 直後、先生に腕をつかまれ真正面から泣き顔を覗き込まれる。


「なんだ、いつも通りじゃないか」

「それ、遠回しに、いつも不細工だって言ってます?」

「俺は、お前を不細工だと思った事は無い」


 返ってきた言葉はあまりに予想外で、私は惚けた顔で固まった。

 いまのは空耳だろうか。

 もしくは脳が都合が良く言葉を改ざんしたのだろうかと思っていると、正気に戻れと言うように軽く頭を小突かれた。


「今の顔は少し間抜けだと思うが、不細工だとは思わない」

「本当に?」

「ああ」

「気が滅入ったりとかしません」

「しない」

「だったら、この顔にキスできますか?」

「……」

「やっぱり不細工なんだ……」


 藤先生は私が嫌いなんだと落ち込み、涙が更にこぼれそうになる。

 だがその直後、自分の物ではない大きな手のひらが、涙ごと私の顔を包み込む。

 つづいて、柔らかい温もりが唇に重なった。それに驚いてふらりとよろけると、逞しい身体が私をぎゅっと包み込む。


「……悪い」

 唇が離れ、耳元で、悔やむような声がする。

「い、今の『……悪い』は、どういう意味ですか」

「……未成年に、不純異性行為を働いてしまった……」


 そこでようやく、私は藤先生にキスをされたのだと気づいた。


「不純異性行為……万歳……!」


 だがキスの衝撃はあまりに凄まじく、私はそこで理性を失った。


 正直、その後のことはあまり良く覚えていない。

 でものちに藤先生から聞いた話だと、私はあの後「おかわり! おかわりをください!!」とあまりに色気の無い懇願をしたらしい。

「せっかくなら、胸も触っておきますか?!」と逆セクハラもしたらしい。


 ちなみにその後、藤先生は私と距離を取ろうと必死になったが、むろんそれを許す私ではなかった。

 彼が逃げないよう縋り付き、抱きつき、時に脅迫まがいの脅しをかけつつ、毎日のように纏わり付いた。

 

 そんな努力が実り、私が「おかわり」を頂けたのは、新春興行が一段落したバレンタインデーのことである。

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