11 小雀、師匠に気をつかわれる
「ウズラ、チョコはねぇのか」
「ありますよ。藤先生のために作りました」
「俺のは」
「え?」
なんで師匠のチョコを私が作るのだろうかと本気で考えていると、師匠は突然拗ねた顔をする。
「もう、子どもじゃ無いんだから」
そんな彼の前に、ぽんとチョコを置いたのは奥さんだ。
「お前、これ……手作りか!!」
「ウズラちゃんが初めて作るって言うから、一緒にやってみたのよ」
手作りチョコを手に身もだえている師匠は、子どものような笑顔だった。
いいなぁ、うらやましいなぁという気持ちになるのはこんな時だ。
師匠は奥さんが大好きで、それを見ているとなんだか甘酸っぱい気持ちになるのである。
寄席では「かかあ天下だ」「可愛げのない女だ」とか言っているくせに、師匠は家に帰るとすぐ奥さんの側に行く。
そして奥さんも、そんな師匠が大好きなのだ。
私が菓子作りの方法を調べていると、『たまには、私も作ってあげようかしらね』と言い出した奥さんは凄く可愛くて、側にいた私はうっかり胸キュンした。
私は不器用だし、奥さんも料理は不得意なので、出来たチョコレートは少々いびつだけれど、つくる顔は一生懸命で、やっぱり可愛かった。
「これ、今すぐ食べても良いか?」
「じゃあ、紅茶でも入れましょうか」
「あ、なら私が入れますよ」
二人の空気を邪魔したくなくて、私は席を立とうとした。
けれど、それをすっと制したのは、師匠だった。
「飲み物なら、俺が入れてやる」
そう言って、彼はがらにも無く台所へと向かう。
それがチョコのお礼……であればよかったのだけれど、そうではない。
近頃、師匠は私が何かしようとするとすぐ、こうして遮ってしまう。
「やるって言ってるうちが花よ。やらせておきましょう」
そう言って奥さんは笑うけれど、私は内心複雑だった。
お湯さえ沸かせなかった師匠がお茶を入れるようになったのは、私の目がもうすぐ見えなくなると、告白してからだ。
視力の低下を気取られるような失敗はしなかったけれど、さすがに今後お世話になる人にずっと隠しておく訳にはいかない。
そんなことに今更気づき、私は年明けの抱負を聞かれたとき『来年は、目が見えなくなると思うので、怪我に気をつけたいです』と打ち明けたのだ。
あのときの師匠と奥さんの仰天した顔は忘れられない。その後どうして言わなかったんだと怒られた。
「迷惑をかけるって考えに、全く至ってなかったので」と素直に言ったら、コツンと頭を小突かれた後、師匠に抱きしめられた。加齢臭がする抱擁だった。
その後、目が見えなくても生活が出来ること、高座に上がれることを証明するために、目隠しをして外を歩いたり落語をやったり、太神楽曲芸師の鏡華姉さんから教わった傘の曲芸なんかを披露してみたが、師匠は私のことをずっと心配している。
目隠しをしたまま傘で升を華麗にまわしてみせたのに、「お前の器用さが逆に怖い!」と、更に過保護になってしまったのだ。
とりあえず藤先生に目のことを言わないよう約束はさせたが、あまりに色々世話を焼いてくれるので、バレるんじゃ無いかとヒヤヒヤしている。
「そういえば、藤君にチョコいつわたすの?」
「明日の夜、ご飯を食べる約束をしてるので、そのときに」
「外泊、してもいいわよ」
奥さんの言葉と重なるように、台所の方からガシャーンと何かが割れる音がした。
師匠に任せて本当に平気なのだろうかと思ったが、奥さんが「放っておきなさい」と笑うので、席は立たなかった。
「外泊したいですけど、たぶん藤先生は、電光石火の速さで私を送りかえすと思います」
「そう? 結構脈有りだと、思うんだけれど」
「でも私、未成年なんで。藤先生そういうの気にするタイプだから」
「しそうねぇ。もう、えいっと、やってしまえばいいのに」
「えいっと、やってほしいですけどね」
「やっぱりウズラちゃんもしたいわよね?」
「ええ。このままずるずるしてると、目も見えなくなっちゃいますし。その前に先生の裸、見たいです」
乳首の色とか、確認しておきたいですと口にすると、台所で再びガシャンと音がした。
その後何とか紅茶は出てきたけれど、正直美味しくなかったので、今後は自分で入れようと私は固く決意したのだった。
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