12 小雀、おかわりをする

 

 外泊許可を貰った翌日、私は藤先生とご飯を食べた。

 私が無理を言って、先生の自宅に押しかけ、手料理を作った。

 先生の自宅は想像していたとおりのタワーマンションで、台所も凄くハイテクだった。

 そのせいで私はハンバーグを焦がし、結局夕飯は、先生が作ってくれたうどんになった。


「面目ないです」


 そう言いつつうどんを啜ると、先生はコツンと私の頭を小突いた。


「問題ない。パン粉の代わりにクッキーを入れるとか言い出した時点で、予想はしてた」

「クックパッド先生が、そう言ってたんですよ」


 そう言って印刷したレシピを見せてみるが、「そんな文章どこにもないが」と呆れられた。

 最近文字がかなり読みにくいなと思っていたが、どうやらコレは深刻らしい。


「それに何度も指を切りそうだったし、見ていてヒヤヒヤした」

「でも、切らなかったでしょう」

「切らないように、途中から俺が切ったからだ」

「でも、フライパンに油を引くのは、我ながら上手かったと思うんです」

「……量がおかしすぎて、大惨事になってたじゃないか」


 ハンバーグも黒焦げじゃ無いかと言われると、それもそうかと思う。


「人間には向き不向きがあるんだ。無理なことは、しない方が良い」

「でも、料理で胃袋掴めって奥さんに言われて」

「奥さんだって、胃袋掴めてないだろ」


 言われてみると、料理や家事が駄目だから、藤先生が家事手伝いをしていたんだなと、思い出す。


「そういえば最近、先生師匠の家に来ませんね」

「色々と忙しくてな。大学院も、もうすぐ卒業だし」

「じゃあ誰が、あの家でまともなご飯を作れば良いんでしょう」

「世の中には、出前という便利なサービスがある」


 でも私は、出前のお寿司やピザより、先生のこのうどんを毎日食べたいなと、思ってしまった。


「先生のご飯より、美味しい物はこの世に無いと思います」

「雲雀は褒め上手だな」

「先生にだけです」

「たしかに俺を贔屓しすぎだな。師匠たちが『ウズラはまったく可愛げがない』といつも言っている」

「可愛いと思われたいのは、藤先生にだけですから」


 言いながら、私は当初の目的を思い出し、鞄からチョコレートを取り出す。


「安心してください。一応食べれます」


 藤先生が不安にならないよう箱を開け、中身が凶器で無いことを示す。

 すると先生は苦笑を浮かべ、不格好なチョコをつまんで素早く口に入れた。


「なんとも不思議な歯触りだ」

「中にグミを入れました。藤先生がお好きだときいたので」


 あとピーナッツと、八つ橋と、葛餅も入れてみましたと言うと、先生は小さく吹き出した。


「なんとも凄い組み合わせだ」

「先生の好きな物を、詰め込みたかったので」


 そうすれば、くらっときてくれるのではと思って頑張ったのだ。


「ありがとう。全部食べるよ」


 そう言ってチョコをもう一つ食べてから、先生は「ちょっと待ってろ」と寝室に入っていってしまう。

 残りのうどんを食べながら待っていると、先生は小さな箱を手に持って戻ってきた。


「これ、お前に」


 そう言って箱を差し出され、私はたじろいでしまう。


「バレンタインは、女子がチョコをあげるイベントですよ」

「それは日本だけだ。他の国ではカードや花なんかを女性にあげたりもする」

「じゃあこれは、お花ですか?」

「それも考えたけど、残る物がいいかなと思って別の物にした」


 藤先生の言葉を聞きながら箱を開けると、中に入っていたのは綺麗な扇子と手ぬぐいだった。


「師匠から、『そろそろ初天神を聞きにきてやれ』って言われてるんだ。だからそのときに、これを使って欲しい」

「つ、使います!!」


 喜びのあまり、私は扇子と手ぬぐいをぎゅっと握りしめた。

 それから目をこらし、手ぬぐい柄を見ると、可愛らしい小鳥が描かれている。


「私のために、選んでくれたんですか?」

「まあ、一応な」

「もう一生、コレしか使いません!」

「大げさだな」

「使いません!」


 たとえカレーをこぼそうと、牛乳をこぼそうと、絶対にコレしか使わないと言ったら藤先生は噴き出した。

 彼が笑ってくれたのが嬉しくて、私は先生の顔を見つめる。

 けれど彼の輪郭はもうぼやけていて、あの素敵な笑顔を上手く捕らえることが出来ない。


「雲雀?」


 不安そうな声で名を呼ばれ、私ははっと我に返る。

 そうだ、今日はまだ、ここで終わるわけには行かない。

 この前のように、無様に泣いたりしている場合ではないのだ。


「藤先生」

「な、なんだいきなり正座して」

「先生にお願いがあります。後生ですから、今夜私に先生の乳首を見せてください!」


 そう言って深々と頭を下げようとしたら、肩をがしっと掴まれた。


「……雲雀、お前、今何を言ったかわかっているのか?」

「いえ、正直今ものすごく緊張していて、いっぱいいっぱいで、何も分かりません!」

「じゃあ今のは、無かったことにしよう」

「……乳首、駄目ってことですか」

「……そこは、覚えてんのか」

「乳首、見たい……」

「だから何度も言うな」

「でも乳首の色、知りたい……」


 そのままシュンとうつむくと、藤先生の指が私の頤をそっと持ち上げる。


「てっきり『おかわり』をねだられると思っていたが、乳首の方が良いのか」

「お、おかわり……ほしいです」

「じゃあ乳首は我慢しろ」


 先生は、私の顔をゆっくりと上に向かせ、唇を優しく奪う。

 あまりの心地よさにウットリしたけれど、唇が離れると同時に私ははっと我に返った。


「だ……だめです! おかわりで誤魔化そうとしても、乳首は諦めませんよ!」

「……今は少し黙っていてくれ」


 そこで今度は、さっきよりずっと深いキスをされ、私は卒倒した。

 あまりに幸せすぎて、一瞬魂が抜けていた。


「藤先生、好きです」

「知ってる」

「たぶん、あなたが思っているよりずっとずっと好きです」


 これは一生物の恋なんですと、そんなことを私は彼に必死に伝えていた。


「お前の気持ちは、わかってる」


 そして先生は、私の気持ちを受け止めてくれた。そこでもう一度優しくキスをしてくれた。

 よく見えなかったけれど、穏やかに笑っていてくれていたと思う。


「だが、乳首はだめだ」


 とはいえ、先生は頑固な男だった。

 結局、その後の展開も私が思っていたのとは少し違った。

 キスは三回で終わり、めくるめく大人の時間は訪れなかったのである。


 けど私が「どうしても帰らない!」「乳首を見る!」と騒いだせいで、嫌々ながらも彼は家に泊めてくれた。

 その後シャワー中の藤先生に突撃し、無事乳首を見ることが出来た。どんな色だったかは、私だけの秘密である。


 そして私に行動力に根負けしたのか、一緒に寝ようと駄々をこねたときも、最後は折れてくれた。もの凄く渋々だったけれど。


「雲雀には、勝てる気がしないな」


 同じベッドに寝転がりながら、彼がこぼした言葉は愛の告白にしか聞こえなかった。

 私は、多分舞い上がっていたのだ。この恋は叶うに違いないと浮かれていた。



 だから私は、先生が沢山の悩みと問題を抱えていたことに気づかなかった。

 自分の存在が悩みの一つであった事にも気づかず、ひとりではしゃぎ、先生が私の初天神に笑ってくれた暁には、今度こそ既成事実を作って結婚してもらおうとさえ考えていた。


 でも結局、藤先生は私の初天神を聞きに来なかった。

 それどころか、彼は私の前から姿を消してしまった。幽霊のように、消えてしまったのだ。

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