06 夜鴉、ワインを片手にゴリラと身の上話をする
「いやしかし、大企業の社長だって話は本当だったんだな」
ワインバーの洒落た照明の下、ワイングラスを傾けながらしみじみとゴリラ――ではなく獅子猿兄さんが言う。
「大企業どころじゃないですよ。おんぞーしですよ、おんぞーし」
一方雲雀は既に酔っ払っている。『助けたお礼は最高級ワインでいいですよ』と譲らないので、行きつけのワインバーで言われるがままご馳走したのだが、酒に弱い彼女はもはや寝落ち寸前だ。
「カンブラリ宮殿とかにも、昔出たんですよ」
「カンブリア宮殿ですよ姉さん」
「ブルガリア?」
「あ、ここのヨーグルトケーキ上手いんですが、食べますか」
「じゃあ、ホールでお願いしまっす」
言われるがままホールのケーキをオーダーすると、そこで獅子猿兄さんが尊敬の眼差しを向けてくる。
「小雀のボケと傍若無人な振る舞いを軽くいなすなんて只者じゃないとは思っていたが、御曹司パワーだったのか」
「いえ、そんなパワーはありません。御曹司に夢見すぎです」
半年ほどだったけれど、十年前に彼女と過ごした経験が、今になって生きているだけである。
「でも、なんで大企業の社長がわざわざコレを」
「あー、いま私のこと指さしたでしょう!」
「お前、本当に見えてないのか?」
「見えなくても、ひしひしと感じますよ。っていうか、みんなしてカーくんに同じ事ばっかり質問するんですもん」
「普通したくなるだろう。よりにもよって、お前だぞ」
「でもほら、私可愛いし」
「どんなに可愛いくても、小雀だぞ」
獅子猿兄さんの言葉に頬を膨らませたあと、雲雀はわざとらしく俺の身体に身を寄せてくる。
「でも、カーくんは私が何をしても許してくれるんです」
「いや、何でも許しているわけではないです」
むしろ雲雀が起こす騒ぎに呆れることの方が多いし、彼女の馬鹿げた要求を聞き流すことはかなりある。
「その塩対応が、小雀とやっていける秘訣なのか」
「まあそうですね。何から何まで取り合わないのは大事です」
「勉強になる」
「って、何ですかその言い草は! もっと優しくして!!」
「俺は十分優しくしています。だから、姉さんももう少し遠慮してください」
言いながら、俺はこれ以上雲雀が悪酔いしないように、彼女のワインをこっそりジュースと取り替える。
それからガミガミと五月蠅い雲雀の話に適当に相づちをうちつつ、運ばれてきたケーキを食べさせてやる。
そうするとようやく彼女は大人しくなり、最後はテーブルに突っ伏したまま眠り始めた。
そんな彼女に着ていた上着を掛けてやった後、「ようやく静かに飲めますね」と獅子猿兄さんと向き合えば、彼は何やら驚いた顔をしている。
「やっぱり、お前凄いぞ。この小雀を、軽々手なずけるなんて凄すぎるぞ」
「別に手なずけてはいません。自由すぎる姉さんを、手なずけるなんて無理です」
「いやでも、顔色一つ変えずに相手してるじゃねぇか。俺だったらこの五分で30回はうざいなって思うぞ」
「確かにうざいとはあまり思わないですね。それに姉さんが五月蠅いのは多分、俺のためなので」
雲雀は聡いし時々だが空気も読む。だからきっと、俺が余計なことを考えないように、五月蠅く絡んで騒いでいたのだろう。
「それに、気遣ってくれたのは獅子猿兄さんも同じでしょう」
記者とのやりとりに俺が動揺したのを察して、わざわざ酒を飲もうと誘ってくれたことくらいは察しがつく。
「まあ、なんか、ワケアリっぽかったし。先輩として、悩みがあるなら聞いてやろうかなと」
「やっぱり聞いてましたよね、記者との会話」
「聞かないようにって思ったんだけど、出てくる単語が気になりすぎてな」
ワイングラスを傾けながら、獅子猿兄さんがチラリと俺を伺う。立ち入ったことを聞いてもいいのかと、迷っているのだろう。
そうやって人並みに遠慮するあたり、出来た人だなぁとしみじみ思う。
「金持ちだって聞いてたが、やっぱりその……色々複雑な家庭なのか? ドラマみたいな事って普通にあるのか?」
そして最後は恐る恐ると言った様子で尋ねてきた彼に、俺は頷いた。
「ありますしドロドロですよ。良くある両親と血が繋がってないって展開は、まあ体験済みです」
「しれっと凄いこと言うな。あれか、愛人の子とかそういう奴か」
「もっとややこしいです。祖父……と言うことになっている人が実の父親で、父だと思ってた人は腹違いの兄貴だと、15の時に言われました」
「……まって、ちょっと混乱しすぎて脳みそがゴリラになってきた」
うほって言葉しか出てこない……と戸惑う獅子猿兄さんに、俺は落ち着けという意味を込めて、水を差し出す。
「つまり、祖父だと思ってた男が親父で、親父だと思ってた男が兄貴だったってことか?」
「はい。それも、母親は兄貴の本妻です」
「え、えげつねぇ……」
「ただそれだと色々問題なので、戸籍上は兄にあたる男の息子って事になってますけど」
「すごいな。あまりに突飛すぎてその話だけで創作落語一本出来るぞ」
「全く同じ事、小雀姉さんにも言われました」
そのときのことを思い出し、俺は思わず笑う。
「『暗い思い出は笑って忘れよう! 笑って、今後は楽しく生きよう! 次いこ次!』って姉さんに言われました」
「ノリ軽いな」
「軽すぎだろって俺も思ったんですけど、逆にそれが俺は嬉しいんだと思います。今話したほかにも、色々としんどい事が多い人生だったんですけど、ひば……小雀姉さんに笑ってもらえるなら、マシに思えて」
「……お前、二人きりの時は、こいつのこと本名で呼んでんのか?」
「兄さん、今頑張って誤魔化したんですから、そこ触れないで下さい」
あえて言われると妙に恥ずかしいと告げれば、獅子猿兄さんの方が何故だかもじもじと恥ずかしそうにする。
「甘酸っぱくて、いま、ちょっとドキドキした」
「そういうこと、あえて言わなくて良いです」
「いや実は俺、恋愛話聞くの凄い好きなんだよ。萌える」
ゴリラな顔に乙女チックな表情を貼り付けて身悶えるあたり、獅子猿兄さんもたぶんちょっと酔っている。
「お前、普段ドライだからちょっと心配してたんだけど、小雀の事結構好きなんだな」
「ええ、まあ」
そして獅子猿兄さんの言葉を素直に認めるあたり、俺も多分酔っている。
「ちょっと、詳しい馴れ初めとか教えろよ~」
「兄さん、酔うと絡むタイプですね」
「いいじゃん。俺はお前の大先輩だぞ。真打ちだぞ」
そう言って身体をくねらせるゴリラに敵うわけもなく、俺は酔った勢いに任せて今まで誰にも話したことのない馴れ初めを口にする。
「恋を自覚したのはずいぶん後ですが、多分俺は、雲雀がジャージ姿で落語講座に現れた時から、彼女が気になって仕方なかったんです」
十七の少女に惹かれるなんて我ながら犯罪だなと思う。でも雲雀の真っ直ぐな眼差しにはいつも落語への愛と好奇心が満ちていて、最初はそこに惹かれたのだ。
その後、圓山師匠の弟子の座を彼女に奪われたせいで恨みを募らせたりもしたが、結局俺は彼女を憎みきれず、愛おしさばかりを募らせていたように思う。
弟子の話が立ち消えた時点で、俺は落語と一切の縁を切る他なかった。
だからそれ以上の深入りをすべきじゃないとわかっていたのに、馬鹿みたいに真っ直ぐで、どこか危ういところのある彼女を、俺は段々と放っておけなくなっていったのだ。
そして向けられた好意に、応えたいと思うようになっていた。
たとえ僅かの間でも、俺は雲雀のことを大事にしたくて堪らなかったのだ。
だからこそ、別れを決めた時は本当に辛かった。
本当に身勝手だったと、俺は過去の自分を思い出して苦い気持ちになる。
それを消したくていつもより強い酒を頼んだものの、もやもやとした気持ちは消えず、その晩もまた懐かしくて辛い夢を見た。
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