10 夜鴉、恋と笑いに生きると誓う
【小雀姉さんとの大事なお約束】
その1 キスは許可制。
その2 甘い台詞は不用意に吐かない。
その3 「好き」「愛してる」と言う前には必ず一声かける。
「いいですか、今後はこの三つを必ず守ってくださいね」
「これ師匠の字じゃないのか? まさかとは思うが書かせたんじゃないだろうな」
「今は師匠はどうでも良いんです。ともかくお約束は守ってください」
気になる点は色々あったが、俺はひとまず頷き、雲雀の手から紙を受け取った。
「雲雀」
「はい?」
「好きだ」
「あうとです!!」
一声かけたのに何がいけなかったのかと、俺は紙をもう一度見直す。
何か見逃した項目があったのかと思ったが、何度見てもアウトの原因はわからなかった。
「すまない、今のは何が駄目だったんだ?」
「一声かけろって言ったじゃないですか」
「名前呼んだだろ」
「も、もうちょっと、『これから好きだって言うよ、言っちゃうからねっ!』って感じで声かけてください。今のじゃ不意打ちと同じです」
「その感じがわからないのだが」
「感じて!!」
なかなか無茶を言う雲雀に、俺は頭を悩ませる。
「まったく、楽屋で馬鹿なことやってるんじゃないよ……」
そうしていると、他の噺家たちと共に昼食から帰ってきた師匠が、俺たちに呆れた顔を向ける。
「おつかれさまです」
「いや、そりゃこっちの台詞だ。お前また、小雀に無茶言われてたんだろう」
お前もいちいち真面目に取り合うことないぞと言いながら、師匠は俺の手からひょいと紙を取り上げる。
「グイグイせまるわりには、初心だよなぁ小雀は」
「師匠は、カーくんの恐ろしさを知らないんですよ! 師匠もドキッとさせられたらわかりますよ! いっそ壁ドンとかされてみてくださいよ!」
「ドキッとなんてするわけねぇだろ」
「言いましたね! 言っちゃいましたね! それならほら、今すぐやられてくださいよ!」
雲雀が喚くと、他の師匠方まで面白がって笑い出す。
そして俺と師匠は壁際まで追い詰められ、さっさとやれよと囃し立てられた。
「うるせぇな! わかったよ! やるならさっさとしやがれ!」
師匠は男気のある口調と表情で、俺を見上げる。
彼がそう言うならやるほかに道はなく、仕方なく俺は覚悟を決めた。
師匠は好きだがもちろんキスをしたい程ではない。だが師匠の顔をじっと見ていると、大きな笑いを取れるかもしれないという下心が少し湧いた。
俺だって噺家だ。人並みにはウケたいという願望はあるのだ。ありそうもないと、周りには言われるけれど。
「では、失礼します」
一声かけて、壁際に立つ師匠の顔の横に腕を突いた。
相手は雲雀だと言い聞かせながら、俺は師匠の耳元にぐっと唇を寄せた。
加齢臭がするので気分は全く盛り上がらないが、こういうのは日和ったら負けだと思ったので、甘く愛の言葉を囁く。気持ち、感情を多めに込めて。
「お、おぅ……」
すると俺を見上げた師匠の顔が惚けたようにぽうっとなる。
チラリと周りを見れば、他のお師匠たちや前座たちまで、何やらぼけっとした顔をしている。
俺の予想では、ここで笑いが起こる予定だったのだが、誰一人口を開かない。
何故笑いが起こらないのだろうかと悩みつつ、俺はドラマで見た壁ドンのシーンを思い出す。
「そうか、これだけじゃ足りませんね」
ドラマを思い出しながら、俺は師匠の顎をそっと持ち上げ、唇を軽く啄む。
とたんにバタバタと人が倒れる音がした。振り返ると、何人かの師匠と前座が鼻血を出しながら床に頽れていた。
そして他の者たちは、やっぱり惚けた顔で固まっていた。
いつまでたっても笑いは起きず、そのことに少し落ち込む。するとそこで、近づいてきた雲雀が俺の胸にしなだれかかっていた師匠をベリッと剥がした。
そして無理矢理、俺は廊下まで連れて行かれた。
「……雲雀、俺は何か間違えただろうか」
連れ出された廊下で、俺は雲雀にそっと尋ねる。
落ち込んでいたのが声に出ていたのか、雲雀がそこで、よしよしと俺の頭を撫でる。
「カーくんは悪くないです。カーくんを見くびっていたじじいたちがいけないのです」
あとあえて言えば、悪いのは醸し出される色気ですと告げながら、雲雀は師匠の手から奪ってきた先ほどの紙を、俺の襟に差し入れる。
「ということで、今後壁ドンも甘い言葉も私限定です。これも約束に追加です」
「わかった」
「あと、たとえ師匠だろうとキスは絶対禁止です」
「さっきのは、笑いを取ろうと」
「だめです、死人が出ます」
そう言ってから、雲雀は指先で俺の唇をゴシゴシと擦る。
がんばって、師匠の名残を落とそうとしているらしい。
「雲雀……」
「い、今のは、どういう意味の『雲雀……』ですか」
「擦るより、もっと良い方法があると言いたくて呼んだ」
「……あれですか」
「あれだ」
「上書き的な?」
「それだ」
「でもあの、今したら師匠と間接キスすることになるんですが」
「……それは、少し嫌だな」
師匠と雲雀がキスするのは嫌だなとこぼすと、そこで彼女が小さく吹き出す。
「笑うところか?」
「だって、自分がキスしたときは顔色一つ変わらなかったのに」
面白過ぎますと言いながら、雲雀の笑いはどんどん大きくなっていく。
「でもさっきは、笑いが取れなかった」
「大丈夫です。高座で話したら絶対ウケます」
むしろ私が話して良いですか。マクラでぶちかまして良いですかというので、俺は頷いた。
前座は持ち時間が少ないのですぐ本題に入らねばならないし、そもそも俺はまだ自分のことを笑いに変えるのが上手くない。
「いやでも、正直ちょっと悔しいです。最近、カーくんに面白さで負けている気がします」
「どこがだ。俺なんかより、お前のほうがよっぽど面白いだろう」
「いやいや、だってもう、カーくんは存在からして面白いじゃないですか。勝ち組じゃないですか」
イケメンで、御曹司で、不貞の子で、大企業の社長まで経験した上に、人間国宝と平気でキスできるメンタル持ちなんて面白過ぎますと、雲雀は俺を笑ってくれる。
「どちらかと言えば、笑えない要素の方が多いと思うが?」
「だからですよ。人間はギャップに弱いんです。シリアスなほど笑えます。この私が証明済みです」
言いながら、雲雀はそこで俺にぎゅっと抱きつく。
「そのうえ、この私の彼氏ですからね。よりにも寄って私を選んじゃう男ですからね。役満ですよ」
はっはっはと高笑いをする雲雀を見ていると、なんだかこちらまで可笑しくなってくる。
「でも私も、負けませんからね。これからもっと面白くなりますからね!」
「不幸な意味で面白くなると困るから、頑張るのは芸の方で頼む」
「言われなくても大丈夫ですよ」
だって、カーくんが側にいたら不幸になんてなれません。
そう言って笑う雲雀は、可愛くて眩しい。
そしてそんな恋人に――冬風亭小雀という最強の姉弟子に少しでも近づけるように……。
俺も自分の全てを笑いに変えていけたらと、そんなことを思うのだった。
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