エピローグ

エピローグ 小雀、粋な返事が下手になる

 

「目が見えた頃と今と、高座に上がる時の感覚はやはり違いますか?」


 今日も今日とて、私もそんな質問を投げかけられる。

 相手は大手新聞社の記者だったし、今いるのは演芸場の楽屋。周りには師匠を筆頭に他の噺家さんもいるので、下手なことは言わないようにとそのときは思っていた。


 だから師匠が言う『粋な返事』を、私はいつも通りの返す。


 ――でも何故だろう。

 今日はそこで終わらせたくなくて、私は「だけど……」と言葉を繋げていた。


「やっぱり不自由なこともあります。大変なこともたくさん」


 私の声に記者が「そうですよね」と同情の声をかけてくる。


「でも良いことも沢山あるんです。目が悪い分私は耳が良いから、大好きな人たちの息づかいや感情を前より理解することが出来るんです。たとえばほら、斜め後ろにいる圓山師匠、あの息づかいは絶対私に嫉妬してます。最近、私ばっかりインタビューされてるから拗ねてます」

「拗ねてねぇ!」

「ほら、拗ねてるでしょ?」

 

 私の言葉に、記者さんが笑う。

 他人にもわかるくらい、師匠の反応はバレバレだ。


「あと、右奥にいる獅子猿兄さん、今日はいつもより足取りがおぼつかない。そういうときは絶対女性にフラれた直後です!」

「ふ、フラれてない!!」


 今度は獅子猿兄さんが声を上げたが、こちらもわかりやすいためその場にいる全員から笑われていた。

 他にも師匠たちの気持ちや状況を言い当てれば、笑いと叱責が飛んでくる。


「小雀さんに、わからない事はないみたいですね」


 一通り笑いを取ったあと、記者さんが感心した声で言う。

 いつもなら胸を張ってドヤ顔をする所だが、私はそこで少し声を小さくした。


「いや、わからない事もたくさんありますよ」

「例えば?」

「私、最近ようやく彼氏が出来たんですけど、実は付き合い方がちょっとわからなくて」

「おめでとうございます! こちらも、是非詳細を!!!」


 予想以上に、記者は私の言葉に食いついてきた。

 だから私は恋の相手が側にいないのを確認してから、さらに声を落とす。


「す、素敵すぎて……どう対応したら良いかわからないと言いますか……」

「不思議ですね。相手の気持ちが手に取るようにわかるなら、楽に対応出来そうな気がしますけど」

「確かに、声を聞けば相手の考えはわかるんですよ。でもわかったところで、上手く言葉を返せないんです」


 粋な返事なんてもってのほか、ろくに言葉も返せないのだ。

 口から先に生まれてきたような、この小雀ちゃんがである。


「もしかして、照れてしまう感じですか?」


 記者の言葉に、私は項垂れながら頷いた。


「……だって私わかっちゃうんです。恋人がどれくらい私を大好きか、足音から仕草から呼吸から、感じて取れちゃうんです。もう恥ずかしいったらないですよ」


 なるべく周りに聞かれないよう小声で言ったのに、「惚気か!」と師匠にツッコまれた。


「そういうときにね、あぁ何事も人生経験なんだなぁってしみじみ思います。ほんと、小遊三師匠じゃない別の男を好きになって、恋愛経験積んどけば良かったって思います。少なくとも、うちの師匠は恋愛面でのアドバイスとか当てにならないので」

「おいっ! 俺だって小百合ちゃんとは大恋愛の末に結婚したんだぞ!」

「でも奥さん色々苦労してたって言ってましたよ。師匠がへたれすぎて」

「うぐ……」


 事実だったのか、師匠が項垂れる気配がする。

 それに記者さんが笑い、そして何かをメモしたようだ。


「今度是非お二人の恋愛話もお聞かせて下さい。師弟対談を組ませて頂きたいですし、出来たら奥様と彼氏さんにもお話を伺いたいです」

「小百合ちゃんも出たがりだし、そいつの彼氏も引っ張り出してやってくれ。って言うかなんなら今――」


 師匠が言うより早く、馴染みの足音が楽屋に入ってくるのを感じる。

 それだけでちょっとドキドキしていると、記者さんが「あっ」と息を呑む気配がした。


「も、もしかして……?」

「もしかします」

「想像以上のイケメンさんですね」

「そうなんです。顔だけじゃなくて全てがイケメンなので、目が見えなくても色々威力が高いんです」


 ほんと困りますと言えば、記者さんが再び笑う。


「でもお仕事でもプライベートでも充実していて素敵ですね。なにより、とっても楽しそうで羨ましいです」

「確かに、困ったことも多いですが楽しい毎日です」


 考える間もなく、自然とそんな言葉がこぼれる。

 そんな自分に驚きつつ、私は改めて気づいた。


 噺家になり、私はずっと笑いの中で生きてきた。

 でも同時に、私はずっと寂しかったのだ。

 落語を終えて現実に戻る時や、過去の光景が不意によぎるときは特に。

 

 今はもう無い、かび臭い実家の天井。早くして亡くなってしまった両親の面影。

 ぼけてしまい、干物のことばかり楽しげに語っていた祖父の痩せた身体。

 少しずつ闇に閉ざされていく視界の向こうで、私を大切にしてくれた藤先生の甘い笑顔。


 そういう物が頭をよぎるたび、私は寂しくて苦しかった。

 その苦しさから逃れるために、落語をやっていたのではないかとさえ思う。


 けれど今は、過去がよぎることも減った。

 よぎっても、寂しいと思う間もなく優しい声が私を幸せの中に引き戻してくれる。だから私は、いつも笑っていられる。


「それでは取材は以上です。お忙しい中、ありがとうございました」


 記者さんにこちらからも礼を言う。そんな私の側に立ち、師匠と出来の良い弟弟子もまた頭を下げる気配がした。

 記者さんを見送ると、途端に師匠が「おいっ」と不満そうな声をかけてくる。


「ほんとお前、何を言い出すかとヒヤヒヤしたぞ」

「えー、ちゃんと笑いも取ったしバッチリだったでしょ?」

「まあ、いつもの妙に固いインタビューよりはお前らしかったけどよ」

「なら良いじゃないですか」

「でも鴉が可哀想だろ。こんな女の彼氏だって世間様に暴露されたんだぞ」

「いや、別に俺は暴露されても構いませんよ」

「ほら、当人もこう言ってるじゃないですか!」

「けどいいのか? これだぞ? 最近ますます調子に乗ってるし、嫌になったりしてねぇか?」

「大丈夫です。逆に、自分で逃げ道塞いでくれて助かったと言いますか」


 そこで、声音がほんの少しだけ甘くなった気がして、私はビクッと震える。


「逃げ道って……?」

を積む上で、逃げたくなることもあるでしょう? 小雀姉さんは、迫られるのが弱いですから」

「え、もしやさっきの取材聞いてました!?」


 彼がいないから喋った話題なのにと思っていたら、何かを握らされる。多分これはスマホだ。


「師匠から姉さんが暴走したときは止めるようにと、スマホ経由で内容は聞いていました」

「それは盗聴では!?」

「これも仕事です。師匠の弟子になる条件のひとつに『小雀の抑止力になる』と言うものがあったので」

「なんですかそれ、私聞いてませんよ!?」


 師匠の方をふりかえると、帰ってきたのは楽しげな笑い声である。


「お前を止められるのは鴉くらいだから、そういう条件もつけとこうかなと思ってな」

「その言い方、他にも変な条件つけましたね!! カーくん、なにか変なこと押しつけられたんでしょ!? そうでしょ!?」

「いや、押しつけられたとは思っていません。利害が一致したと言いますか、まあそんな感じなので……」

「ってことだから、まあいいじゃねぇか」

「なにそれ気になる!! 絶対何かある! 変な条件つけられてる気がする!」


 教えてと迫ったけれど、二人は笑って流そうとする。

 もちろん食い下がったのだが、「雲雀、この話は終わりだ」なんて甘い声で言われてしまったせいで、私の理性は吹き飛び何も言えなくなってしまったのだった。



◇◇◇      ◇◇◇


 

 ――その後師匠たちが交わした条件は謎のまま、月日は流れることとなる。


 そして条件があったことさえ忘れ、様々な人生経験を積んだ4年後の春――。

 真打ちに昇進すると共に明かされたの内容に私は笑い泣きすることになるのだが、それはまだまだ遠い先のことだ。



小雀恋模様【おわり】


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小雀恋模様 28号(八巻にのは) @28gogo

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