16 小雀、師匠に見捨てられる
無事合コンの話は立ち消え、その後見合いなどを強制されることも無く、気がつけばもうすっかり春めいている。
「ああぁ、鼻がむずむずする!」
師匠は長引くスギ花粉の猛威に苦しめられており、それを見ているとたまには人情話でもやってみようかという心持ちになる、今日この頃である。
「そういえば小雀よ」
「やりませんよ」
「おい、まだ何も言ってねぇだろう」
「だって最近、師匠の提案に乗って良いこと何一つも無かったので」
「合コンのことは悪かったと思ってる。どうやっても小栗旬は無理でよぉ」
「だからってアレは無い」
「いや、俺も若いのがいいとは思ってたんだよ。でもうちのがさ、お前が年上好きだって前に言ってたからさ」
「だからって、年上のバツイチと年上の売れ残り突っ込むこと無いでしょう」
「わかってるよ。かみさんにも勝手に合コンさせるなってめっちゃ怒られたよ。だからほら、俺もちっとは考えを改めたじゃねぇか」
いつになく殊勝な師匠に、ひとまず文句は飲み込む。
「それで、今回は何をやらせようって言うんですか」
「うん、そろそろな、弟子をもうひとり取ろうかって思ってるんだ」
師匠の言葉に、私は思わずぎょっとした。
「えっ、でも師匠、弟子は一人しか取らないって決めてたじゃ無いですか。あ、もしや私を真打ちにしてくれるとか!」
「馬鹿言うな。お前みたいな半端もん、世間に放り出せるか」
「まあ、ですよね」
じゃあいったいどういう了見だと思ってしまったのは『弟子一人』というルールが、師匠にとって何よりも大切なものだったからだ。
「まあほら、昔はいっぱいいたわけだからよ」
「それで失敗して懲りたって、言ってたじゃないですか」
「そうだな、だが俺も、お前みたいな問題児抱えたおかげで、ちょっとは成長したと思うからよ」
その昔、師匠の元には十人ほどのお弟子さんがいたらしい。
人間国宝と言われるだけあり、彼の弟子になりたい噺家は沢山いたのだ。
その上その頃、師匠は調子にのっていた。十人もの弟子にちやほやされて、さらに天狗になっていたらしい。
仕事も忙しく、沢山の弟子の面倒を見る余裕も無かったのに、調子づいた師匠はホイホイ弟子を増やしていたのである。
そして日に日に弟子たちの不満はたまり、やれ誰が贔屓されている、誰が師匠のお気に入りだと弟子たちの中でいがみ合いが始まってしまったのだ。
その結果、誰が師匠の一番弟子かという馬鹿馬鹿しい喧嘩が勃発し、警察を巻き込む大乱闘騒ぎになってしまったのである。
端から見たらしょうもないが、その乱闘を止めようとした奥さんが大けがをおったことで、師匠は事態を深刻に受け止めたらしい。
以来師匠は深く反省し、自分の手に負えない事はしないと決め、一度に一人の弟子しか取らないことにしたのだ。
「俺も年だし、ちゃんとした後継者を育てたいって思う訳よ」
「あの、さらっと私のこと無視してません? 私、ちゃんとした後継者じゃないですか?」
「だってお前、俺のこと敬ってないじゃないか」
「そんなことないですよ」
「それによ、お前はなんて言うか破天荒で天才過ぎるんだよ。俺が教えたことちっともきかねぇのに、俺より上手い落語やるしよ」
「個人的には、師匠のを真似してるつもりなんですけどねぇ」
「いや、どこかだよ」
「あ、でも顔が五月蠅くなりすぎないようにはしてます」
そこのせいで師匠の落語と違っちゃうのかなと首をかしげていると、大きなため息が側でこぼれる。
「コレで下手ならしかれるが、上手いから始末に負えねぇ。それに正直、お前を別の所にやろうかて思った事もあるんだよ」
「別の所って、まさか破門ですか!?」
「違うよ。お前の演じ方にあったお師匠さんに教えを請うた方が良いかなと思ったんだよ。実際、何度か他の噺家のとこに手伝いでいかせたろ」
「行きましたね」
「で、すぐ追い返されただろ」
「はい」
「あんなの手に負えねぇよって、突き返されてたんだよ」
どうやら私は、自分の知らぬところで出荷され、気づかぬうちに返品されていたらしい。
「念のため言っておくが、みんなお前を嫌ってるって訳じゃねぇんだよ。むしろ、口が悪いアホの子だと思ってたのに、存外真面目に落語をやるんだなって関心もしてた」
「えー、なのにリリースされたんですかぁ……」
「だってお前、並の師匠より落語上手いんだもん」
「だもんって……」
「悔しい訳よ。俺はまあ人間国宝レベルだからギリギリ自尊心保てるが、そうじゃなきゃプライドズタズタだよ」
「つまり、さもしい男のプライドをズタズタにしたせいで、返品されたと」
「その上お前、そういうことしれっと言うから……」
まあ、イラッとさせる所はあるかもなと、我ながら思う。
「でもなぁ、私そんなに上手いとは思えないんだけどなぁ」
「とかいって実は自信あんだろう」
「無いですよ。ただ楽しいなぁ~って気持ちでしかやってないですし」
「でもその『楽しい』って感覚が、聞き手にバッチリつたわることなんてそうそう無いんだよ。でもお前の落語にはそれがある。お前が楽しいなぁと思いながら見てる世界が、ばんっと頭の中に入ってくるんだよ」
凄いことなんだよと、いつになく師匠が力説をする。
「落語っていうのは、聞き手の想像力に左右される芸だ。でもお前のは想像しようと身構える前に光景が浮かんでくる。それも鮮明に、登場人物の感情まで入ってくる。そういう噺家はそういない」
「なんか、褒められ過ぎて居心地が悪くなってきました」
「まあ、褒めるのはここまでだけどな」
「えっ……?」
「お前は凄いが、凄い故に俺には手に余る。お前の才能はお前にしか伸ばせねぇし、どこかでぽっきり折れても、それを直してやることはたぶんできねぇ。俺が教えたことと、お前がやってることは全然違うから」
「師匠でもですか」
「無理だな。だからしんどいと思うよ、お前の心が折れたらもう、今みたいにはできないよ」
「何それ超怖い!」
「まあお前は凄まじくポジティブだから大丈夫だと思うが、折れたら終わりな弟子とか怖いだろ。そもそも俺の芸を素直に継承もしてねぇし、予備がいると思うだろ」
「そんな理由でもう一人取るんですか! だめです、もう少し私を構ってください! いざという時に私が死なないよう向き合ってください」
「無理。絶対無理」
「じゃあ私喧嘩しますよ! 新しいお弟子さんと喧嘩して、乱闘して、家とかボコボコにしちゃいますよ」
だから考え直してください、弟子は一人でお願いしますと泣きついたら、ゴツンといつもより強めに小突かれた。
「子どもみたいに駄々をこねるな。お前はあれだ、宇宙人なんだよ。宇宙人は人間とは相容れないんだよ理解しろ」
「だからって見捨てるなんてひどいです! ETのエリオットくんを見習ってくださいよ!」
「見捨てるなんて言ってねぇよ。出来るだけの面倒は見るよ、でも俺の手だけじゃあまるから、そういう意味でも人手が欲しくて弟子を取るんだよ」
「とかいって、新しい人ちやほやするんでしょう」
私の言葉に、師匠がすっと私から顔を背けた気配がした。
「目をそらしたでしょう」
「お前、見えてんのか?!」
「見えて無くてもわかります! 師匠の薄情者! 馬鹿! ハゲ!」
「おまっ、師匠に向かってハゲとは何だ!!」
「だってハゲじゃないですか! 前より後退してるの知ってるんですからね!」
見えなくても、育毛剤の匂いで分かるんですからねと捨て台詞をはいて、私はその場を飛び出した。
このところ穏やかな日々が続いていると思ったが、全てはまやかしだったのだ。
だからもう、コレは家出をするしかないと思い、私は部屋に帰ると荷物をまとめ、家を飛び出したのである。
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