15 小雀、胃もたれに苦しむ
静岡県産マスクメロンパフェ税込み2160円によって充実感を得たおかげで、家に帰った私は師匠にも笑顔で対応できた。
「次、合コンとか言い出したら、たとえ人間国宝だろうと容赦しませんからね。その少ない髪、ぶちっと引き抜きますからね」
声は冷え切っていたけれど、私は笑顔をたたえたまま、そう言った。
そして笑顔のまま二時間ほどじっと張り付いていると、師匠も観念したのか「うん、もうやめとこうか」とぽつりと溢した。分かってくれたようで何よりである。
それから私は部屋に戻り、ごろりとベッドに横になる。
目をこらしても天井は見えない。
けれど不思議なことに、じっと目を開けていると、ここでは無い部屋の――藤先生のマンションの天井がぼんやりと浮かび上がってくる気がした。
先生の寝室で眠ったのは、結局一回だけだった。そしてもう目も大分悪くなっていたのに、あの時の光景は、不思議と目に焼き付いている。
先生のベッドで目を覚ました朝、私は少しでも長くこの幸せな時間が続かないかと思いながら、藤先生の大きな手のひらをそっと撫でていた。
「さっきからそうしてるが、雲雀は手フェチか?」
寝起きで少しかすれた声をくすぐったく思いながら、私は先生と自分の手を重ね、その大きさを測っていた。
「確かにそうかもしれません。だから握って、撫でて、覚えておこうと思って」
見えなくなっても触られてすぐ分かるように、私は硬い手の感触と温もりを覚えようと躍起になっていた。
「今更の質問なんだが……」
藤先生のどこか弱々しい声で響いたのはそのときだ。
彼らしくない声に首をかしげると、先ほどよりもっと頼りない声が私の耳朶を打つ。
「お前は、俺のどこに惚れたんだ。顔か?」
尋ねられて、私は素直に頷いた。迷いは無かった。
「顔ですね。めっちゃ好みです」
「でもお前、小遊三師匠が好きなんだろう」
「はい。好みで言ったら小遊三師匠の方が好きです」
なので二番目の男ですねと言うと、拗ねたように藤先生が私の頭に頬を寄せた。
「そういう所、可愛くないな」
「だって嘘をついても仕方ないじゃ無いですか」
それに好きな人には、嘘をつきたくないじゃないですかというと、藤先生が苦しげに息を吐く。
「じゃあ俺はどんなに頑張っても二番目の男か」
「安心してください、二番目なのは顔だけです。総合的に見たら、先生が一番です」
「なら他は、どこが好きなんだ」
再度尋ねられ、私は先生の手をぎゅっと握りしめながら、彼の好きなところを言葉にしていく。
私のことを、雲雀と優しく呼ぶ低い声。
すぐ調子に乗る私をたしなめるように、頭を優しく小突く指。
美味しいうどんをさらっと作ってしまう料理の腕。
キスした後に出来る、どこか困ったような眉間の皺。
あとはお爺ちゃんが死んだとき、途方に暮れた私と一緒に喪服を買いに行ってくれたところにも、私はぐっときていた。
寂しくて眠れない夜に電話すると私の大好きな『猫の皿』を聞かせてくれるところや、私の色気にやられているくせに、十代だという理由で煮え切らないところも好きだ。
そして煮え切らないくせに、一緒に寝たいと駄々をこねる私をベッドに招き入れてくれた弱さも、私は大好きだった。
次々溢れる彼への気持ちを口にしながら、私は彼の手の形をゆっくりと肌に覚えこませていく。
そんな時間は、とても幸せだった。
「……あと多分、これからも、好きなところは増えると思います」
「とか言って、明日には愛想尽かすかもしれないぞ」
「尽かしません!」
「簡単に断言するな。俺は、お前の思っているような優しい男じゃないかもしれない。ある日お前を捨てて、姿を消すかもしれない」
それは嫌だなと思ったけれど、でもたぶん、それでも私は藤先生に愛想を尽かしたりはしないだろうと言う予感が、このときからあったのだ。
「小遊三師匠に求婚されない限り、先生が悪い男でも、私を裏切っても、ずっと好きだと思います」
でも小遊三師匠に求婚されることは多分無いので、つまり一生私は藤先生が好きなのだと宣言した。
すると先生は、私の頭を撫でながら、じっとこちらを見つめた。
部屋が暗いせいもあって、彼の表情は捕らえられない。
でもきっと笑顔だろうと、そのときの私は思ってしまった。
熱烈な告白をしたのだから、きっと彼は私のことをもっと好きになって、甘い笑顔を向けてくれているのだと思っていた。
■■■ ■■■
目の前に広がっていた景色が消えて、ゆっくりと視界が闇に閉ざされる。
幸せな朝の続きを見たいと思ったのに、眠くてぼんやりしているせいか、もう何も思い出せなかった。
「いや、そもそも、記憶が無いから無理か……」
あの後も他愛ないやりとりをして、私は家に帰ったはずなのに、そのときのことはあまり記憶に残っていない。
そしてその後、藤先生は消えてしまい、初天神のお披露目会にもきてはくれなかった。
だからあの朝、手を重ねながら見た先生の顔が最後の記憶なのに、焼き付いた表情はぼやけたままだった。
「でも、あのときどんな顔をしてたのって聞いたら、教えてくれるのかな」
そもそももう一度会えるかもわからないのに、そんな言葉がぽつりとこぼれる。
期待しすぎてはいけない。そう分かっているのに、マスクメロンパフェが引き起こす胃もたれが、私に淡い希望を抱かせるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます