04 小雀、ゴリラと飲み会をする
「小雀はいつも脳天気だが、暗い気分になる日はないのか?」
失礼な質問を突然投げられたのは、高座終わりの飲み会に参加していた時のことだった。
噺家は全体的にお給料が安い。その上今日の飲み会は比較的年の若い前座や二つ目が多いので、場所は格安がウリの居酒屋チェーン店である。
そのため店は騒がしく、私はその声の主を特定するのに時間がかかった。
「逆に聞きますけど、猿兄さんは明るい気分の時ってあります?」
「ない。だから聞いている」
低く張りのある声は、どこか不機嫌だった。
まだ視力があったときにみた猿兄さんは体躯も顔立ちもゴリラそのものだった。その上前座時代の名前は『小猿』だったため、名前とのギャップだけで笑いを取れるある種の勝ち組だった。
だが見かけだけでなく、中身もまたゴリラなのが猿兄さんの欠点だ。
顔に似合わずナイーブで、争い事を好まず、胃が弱く、笑いを取る職業だというのに普段は全く笑わない。
芸にストイックで、凄まじい努力家故に先輩たちからは可愛がられているが、本人は周りの期待がプレッシャーになり、真打ちになるまで長くかかってしまったらしい。
「あいかわらず、つまんないことで悩んでるんですか?」
「つまらないことではない。俺はまだまだ精進が足りず、故に今日も客を笑わせられなかった」
「いや、猿兄さんがやったのは人情話じゃないですか。泣かせる話で笑わせちゃあだめでしょう」
「そこはいいんだ。ただマクラで笑わせたかったんだよ俺は」
「だって兄さん三年付き合った彼女との別れた話とかするんですもん。むしろみんな、本題よりそっちで泣いてましたよ」
かくいう私も、あまりの不憫さに舞台の袖で泣いていた。
『あいつはほんと、どこまでも女を見る目がねぇなぁ』と、お師匠たちも泣いていた。
「まあでも良かったと思いますよ。猿兄さんの彼女、四股してましたし」
「……え?」
「あ、今のは聞かなかったことに」
「できるわけないだろう! なんでだ! 見たのか!?」
「見えませんよ私には」
失言をしたと思ったのか、猿兄さんが息をのんだ気配がした。
それくらいで傷つくような柔なキャラじゃないのにと笑いながら、私はビールを引き寄せた。
「他の兄さんたちが浮気現場みてたんですよ。それに前、猿兄さんが絶対つけなさそうな香水の匂いが彼女さんからぷんぷんしたんで、これはと思って」
「言ってくれたら良いのに……」
「みんな、それとなくアピールしてましたよ。でも猿兄さん、恋に落ちると周りが見えないから」
「……分かっている。だが、どうにも……どうにも……」
「まあそう落ち込むことないですよ。ほら、この前ニュースでやってたじゃないですか、上野動物園のゴリラにも春が来たって」
「ゴリラと一緒にするな」
「いやでもゴリラでしょう。だから兄さんにもきっと新しい春が来ます。私には、幸せなゴリラの未来が見えます」
「いや、見えてないくせに」
「見えてないですけど、分かります。フォースがあるから、私」
「お前、本当にテキトーだな」
呆れるような声と共に、そこで大きなため息が一つこぼれる。
「むしろ猿兄さんは、もう少しテキトーな方が良いですよ。テキトーだとね、楽しく生きられますから」
「それが、お前がいつも楽しそうにしている理由か?」
「そうですね。『いつも楽しく、テキトーに、頑張らないで生きる』が私のモットーです。猿兄さんも私みたいに生きれば、人生バラ色ですよ」
「どれも、俺には難しそうだ」
「神経質ゴリラですからね」
「うるさい」
そういって、大きな手のひらが私の頭を小突く。
師匠もそうだが、私が何か言うと、みんな良く「コツン」と私の頭を小突く。
この「コツン」は、表情が見えない私に「怒っているんだぞ」「呆れているんだぞ」とアピールするためのものだ。
前にファンの人から、いっぱい小突かれてかわいそうなんて言われたが、自分の口が招いたことなのでかわいそうでも何でも無い。
むしろ大して痛くないし、こちらは「このお茶目さんめっ☆」的な意味として受け取っているので、むしろ嬉しい。
とはいえ喜んでいるとコツンとしてもらえなくなりそうなので、形ばかり不満な顔をしていると、目の前に何かが置かれる音がした。
「だがまあ、アドバイスの礼に俺の分のプリンをやろう」
「食べかけは嫌ですよ?」
「お前は本当に、一言多いな!」
「だって嫌ですよ、ゴリラと間接キス」
「俺だってお前みたいな可愛げがない奴とキスするのは嫌だ」
猿兄さんの言葉にほっとして、私は差し出されたプリンを早速食べる。
「つーかお前は、最近どうなんだよ」
「最近とは?」
「……間接キス、するような奴はいないのか?」
「間接、いります?」
尋ねると、何やら恥じらうような気配がする。どうやらこのゴリラ、年甲斐も無く若い女子に恋愛トークを振ってしまったことが、今更恥ずかしくなってしまったらしい。
「噂になってるぞ。最近、凄いイケメンのファンがついてるそうじゃないか」
「生田斗真に似てます?」
「いや、どっちかって言うと、何とかフジオカ」
「あー、そっちかー」
守備範囲外だなぁとつぶやきつつプリンのスプーンをくわえていると、猿兄さんがずいと身を乗り出す気配がした。
「聞いておいてアレだけど、やっぱり見えなくても顔は大事か」
「大事ですよ。見えない分こっちは想像で補わないといけないんです。でもほら、私なんとかフジオカの顔って見たこと無くて」
「じゃあ最近の若手はだめか」
「少し古めが良いです。あっ小栗旬! 小栗旬はよかったなぁ花沢類!」
「最近、そういえば、またテレビでやってたな」
「そうなんですよ! 見たかったんですよー! あれほど目が見えなくなったことを後悔した日はなかった!!」
「いや、他にあるだろう」
「だって、小栗旬の花沢類ですよ!!」
コレより他に見たい物があるかと頭を抱えると、なんだか申し訳なさそうに、大きな手のひらが私の頭を撫でる。
「あぁ。ゴリラじゃ無くて小栗旬に頭撫でられたい」
「そんな言い草じゃ、一生無理だぞ」
「どちらにしたって、一生無理でしょう」
だって小栗旬は山田優のものなのだ。
「あぁ、悲しい……」
「じゃあ、フジオカ似のファンにしておけよ。お師匠さんたちがこっそり探りを入れてたが、奥さんも恋人もいないらしいぞ」
「待ってください、探りって何ですか?」
「小雀に春が来るかもしれん! って最近盛り上がってるんだよ。だからフジオカもそうだが、若そうな男が寄席に来ると『小雀か!小雀のファンなのか!』ってじじいどもが色めきだつんだよな」
そして帰り際に引き留め、私の恋人になり得るどうかチェックしているらしい。
「それ、逆に恋が遠ざかるパターンなのでは」
「そう思って止めたが『あいつにやる気がないぶん、わしらが頑張らねば!』ってじじいどもが張り切ってるぞ」
「うわぁ、ありがた迷惑……」
このご時世に、本人の意思に関係なく相手を見つけようなんて、見る人が見たら大激怒である。私がツイッターでもやっていて、このことをおかしく書いたとしたら、『時代錯誤の年寄りたちですね!』とリプが飛んでくるに違いない。
「本気で嫌なら、止めさせるがどうする」
「まあ、面白いからそのままで良いですよ。じじいの空回りは、後々いいネタになりそうだし」
彼氏よりも、面白いネタの方が自分は大事だ。
「それに彼氏はいらないんです。私、心に決めた人がいるから」
「生田斗真ってオチじゃないだろうな」
「あれ、バレました?」
そう言って笑うと、呆れたため息が更に重なり、猿兄さんが「便所」と呟き席を立った。
それを見送ってから、私は小さく項垂れつつ、プリンを頬張る。
「落語じゃあるまいし、そんな単純なオチなわけないじゃないですか」
ぽつりとつぶやいた言葉は居酒屋の喧噪に消えて、誰にも届かない。
でも、それでいいのだ。
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