05 小雀、ファンに囲まれる


『こんなことなら、おとっつぁんなんか連れて来るんじゃなかった』


 子供の仕草と表情で一番大事なを口にすれば、笑い声と大きな拍手が耳朶を打つ。

 そのまま深々と頭を下げてから、私はすっと立ち上がり舞台を下りた。

 誰の手を借りることも無く、私はいつも一人で舞台に上がり、舞台を下りる。

 地方公演などで見知らぬ会場で演じるときはともかく、今日の寄席はなじみの浅草演芸ホール。舞台はもちろん楽屋でもトイレでも売店でも、私は目をつむっていてもいける。まあ、つむってもつむらなくても見える景色は同じだけれど。


「いつも思うけど、小雀の金坊はすげぇな」

「すっごい腹立つのに、すっごい可愛いのが腹立つよな」


 なんて声が聞こえたので、つい得意げな顔になってしまう。

 どうやら私と同じ二つ目の噺家たちが、舞台袖で聞いていてくれていたらしい。


 今日、私がやった演目は『初天神』。

 口八丁手八丁で父親を丸め込む『金坊』と、彼に振り回される父親の初天神でのドタバタが描かれる話である。


「悪ガキと言えば小雀、って言われるくらいですからね」


 胸を張って言うと、そこで何かが私の頭をコツンと叩いた。

 この感じは、多分師匠だろう。


「お前が悪ガキだって意味だよそれは」

「でも良かったでしょう初天神」

「あれはお前の十八番だろう。それで客わかせられなかったら目も当てられねぇよ」

「素直に褒めてくれたら良いのに」


 拗ねてみせると、そこでも一度コツンとやられる。


「むしろお前、そろそろ人情話をやれよ。出来るだろう他にも」

「嫌ですよ。笑ってもらえる方が楽しいですもん」

「だが、そればっかりだと評価されねぇよ」

「評価より笑いが欲しいんです」


 自分で言うのも何だが、人情話は得意だ。

 むしろ最初に評価されたのは、そちらばかりだ。

 だけどシリアスな噺であればあるほど、客は固唾をのんで聞く。

 それが、わたしはだめなのだ。


「なんか、佳境に入るにつれて笑いどころが少なくなると、お客さんたちが息を潜めるじゃないですか。ああなると、なんか客席から人が消えたんじゃないかって不安になって、嫌なんですよ」

「消えやしねぇよ、お前の噺きいて出て行ける奴なんていやしねぇ」

「でも不安なんですよ。だからね、人情話は風邪が流行ってるときか、花粉症の時期にしかやらないって決めてるんです」

「くしゃみで喜ぶなんて、お前くらいのもんだぞ……」


 むしろ気が散らないかと二つ目たちから質問が飛んできたが、音がする分には気にならない。


「それにほら、私って目が見えないせいで存在がシリアスでしょう? これで人情話すると、なんかしゃれにならない感じするじゃないですか。景清とか、微妙な空気になったし」

「お前、上方の景清しかやったことないじゃねぇか」


 限りなくギャグ寄りだったじゃねぇかと師匠に指摘されたが、聞かなかったことにした。


「ともかく、私は笑われたいんです」

「でもたまにはやれ。花粉症の時期でいいから」


 頷く代わりにビシッと親指を立てると、もう一度コツンと叩かれた。

 それから私は師匠と二人、「小雀姉さんは本当にマイペースだなぁ」と見習いの子たちが溢すのを聞きながら、楽屋へと戻った。


■■■      ■■■


 師匠の出番が終わるのを待って、私たちはホールから外へと出る。

 師匠は高齢でよぼよぼで顔も良くないが、こう見えても人間国宝なので、外に出ると大抵出待ちのファンがいる。


「小雀さん!」


 そして嬉しいことに、私にもファンがついてくれている。

 むしろ最近では、師匠より数が多いらしい。

 見えないので分からないが、何となく師匠が面白くなさそうな雰囲気なので、今日は私のファンの方が多いのだろう。


「得意げに笑ってるんじゃねぇよ」


 ここでまたコツンとやられたが、すぐさま師匠は自分のファンの方へと行ってしまう。

 師匠が遠ざかるのを感じつつ、私は声をかけてきてくれたファンの元へと一歩進んだ。アイドルとは違うので多いときでも十数人程度だけれど、それでも「小雀さん」と寄ってきてくれるのは嬉しい。

 写真撮影やサインに応じ、少しの時間世間話なんかをした後、最後は必ず全員と握手をして別れる。

 顔は見えない分、手で相手を覚えたいからだ。

 若い男性が増えたらしいけれど、手の感じからして今日は女性の方が多い気がする。それを優しく、感謝の気持ちを込めてぎゅっと握っていると、不意に固くて大きな手のひらと重なる。


 あっと思って顔を上げたが、既に重なった手が遠ざかった後だった。

 見えないのだから逃げる必要は無いのにと思うが、“彼”はいつもあっという間に去ってしまう。

 それを名残惜しく感じながら、次々と重ねられていく手を握り返す。

 でもいくら手を重ねても、あの固くて大きな手のひらの感触だけは、最後まで消えなかった。

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